第8話 要塞都市カムロドゥヌム


「私の国ではバターはお料理に使うんです」


「えっ? そんな馬鹿な話が?」


「本当ですよ。絶対に美味しくなるから、見ていてください」


 ユーリはバターをスプーンですくい取って、熱した鍋に落とす。スライスした玉ねぎを炒めると、ジューッといい音がした。

 小麦粉を少量ずつふるい入れて、さらに炒める。少しずつミルクを入れて練れば、ホワイトソースの出来上がりだ。

 わいわいとのぞき込んでくる兵士たちを横目に、ユーリは隣の鍋にホワイトソースを入れた。ちょうど野菜と肉がくつくつと煮立っていて、いい頃合いだった。

 コンソメやブイヨンがないので、味はだいぶ薄味である。それでも肉と野菜のだしが出ていて、ただのスープより一段上の出来になった。


「何か、変わった匂いがするが」


 アウレリウスが顔を出した。兵士の一人が声を上げる。


「軍団長、すごいですよ! ユーリがバターで料理をしたら、すんごくうまいシチューになって!」


「ほらほら、食べてください」


 味見用の小皿によそったホワイトソースを、アウレリウスは口に入れる。そしてわずかに目を見開いた。


「なんと濃厚な。これはミルクの風味か?」


「ええ、そうです。ミルクとバターの味ですね」


「少量でも体が温まるようだ」


「バターのおかげです。バターの脂肪分が熱を蓄えてくれるので」


「なるほど……」


 それからすぐに食事の時間になって、兵士たちは大喜びでホワイトシチューを食べた。

 ユーリが言う。


「このシチュー、こうしてパンにつけて食べても合いますよ」


「本当だ! 携帯用のパンは固くてパサパサするのが難点だが、こうやって食えばうまいもんだぜ」


「ああ、あったまる。春とはいえまだ寒いからなあ」


 兵士たちは上機嫌だ。


「バターは高級品だから、そうそうめったに食えるものじゃないが。こういううまいものを食えると思えば、また頑張ろうという気になりますよ」


(バターは高級品なんだ……)


 兵士たちの言葉を聞きながら、ユーリは考えた。


(ミルクは出回っているみたいだから、遠心分離機があれば量産できそうだけど。いつかアウレリウスさんに相談してみよう)


 そうしてユーリは周囲を見渡す。兵士たちはみな、おいしそうにシチューを食べていた。アウレリウスでさえいつもよりもペースが早い。


(うん。私、やっぱり人の役に立つのが好き。喜んでもらえると嬉しい。次に行く町の仕事も、しっかり頑張ろう)


 ユーリの静かな決意はブリタニカの春の夜空の下で、密やかに輝いていた。







 そうして北へ街道を進むことおよそ十四日。

 一行は北の要衝、要塞都市カムロドゥヌムに到着したのだった。







 カムロドゥヌムは街全体が軍団の駐屯地のような見た目をしている。

 全体が城壁で囲まれた四角形の町は、だが、最大の特徴を郊外に置いていた。


「壁……?」


 町の北側を見て、ユーリは呟いた。町の城壁のその先、数キロメートルほどの距離を開けて長大な壁がそそり立っている。

 壁は左右にどこまでも続いていた。ユーリは馬車から身を乗り出して眺めたが、右も左もどちらも終りが見えない。午後の陽射しが防壁に降り注いで、時折きらりと反射していた。


「ウルピウス帝の防壁だ」


 アウレリウスが言う。


「陛下は北の要衝であるこの地を守るため、二十年の月日をかけて防壁を建造された」


「二十年! かなりの距離の防壁ですね?」


「ああ。この土地はブリタニカ島の中で、最も東西の距離が短い。約百二十キロメートルだ。東の海岸線から西の海岸線まで、途切れなく防壁は続いている」


「百二十キロ……」


 ユーリは呆然として防壁を眺めた。壁は遠目にもかなりの高さがあり、上を兵士が歩いているので幅もありそうだ。

 それだけの土木工事を重機類がないこの国でやり遂げたなんて。

 整った街道もそうだが、ユピテル帝国は土木工事を得意とする国であるらしい。


 ウルピウスの防壁を背景に見ながら、一行はカムロドゥヌムの町に入る。城塞都市の名にふさわしく、分厚い城壁に囲まれていた。

 無骨な見た目の門は、しかし、意外に人通りが多い。商人らしき人々の他、革鎧や毛皮をまとい、剣と弓矢で武装した人々の姿も見られる。


「あいつらは冒険者だよ」


 馬車に同乗している兵士が言った。


「正規の軍団兵では手が回らない小規模な魔物退治や、北の魔の森での採集作業などを生業にしている。何でも屋の便利な連中さ」


「そうなのね」


 ファンタジー物語につきものである冒険者は、ここではそんな扱いなのかとユーリは思った。

 馬車は門を抜けて一列で進んでいく。

 町の北側が軍団の駐屯地になっているようで、多くの軍団兵が揃いの鎧で訓練に励んでいた。

 駐屯地はロンディニウムで見たものと同じような配置になっていて、中央に司令部がある。

 司令部の前の中庭で、一行は馬車から降りた。出迎えを受けながら、アウレリウスを戦闘に司令部に入る。


 彼は司令部の奥、正面の部屋に入った。ユーリと兵士たちも続く。

 そこは祭壇になっていて、軍旗が供えられていた。両脇には軍旗を警備する兵士たちが控えている。彼らはアウレリウスを見ると、敬礼をした。

 アウレリウスはそのまま祭壇の前まで進み、跪いた。兵士たちも一斉に膝をつく。ユーリも慌てて真似をした。内心で、淀みなく揃いの仕草をする兵士とアウレリウスを「かっこいい!」などと思っている。


「ブリタニカ属州第二軍団ドリファ軍団長、アウレリウス・フェリクス・グラシアス、ここに帰参したことをドリファの聖霊に報告申し上げる」


 低く艶のある声が祭壇の部屋に響いて、ユーリはつい聞き惚れた。

 形式的なものだったのだろう、アウレリウスはすぐに立ち上がってきびすを返した。

 司令部のホールまで戻ると、アウレリウスが言う。


「ペトロニウス首席百人隊長ケントゥリオ




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