第一章 ゴチャゴチャ倉庫はカオスの巣

第7話 北への旅


 ヤヌス神殿で一夜の宿を借りたユーリは、翌日、初めて外へと出た。

 神殿は公共回廊フォルムと呼ばれる広場の一角にある。まだ朝の時刻であるが既に人通りは多く、広場では露店や屋台なども出されていた。

 空気はそれなりに冷たい。どうやら今の季節は、早春であるようだ。

 アウレリウスが言う。


「ここロンディニウムの町は、ブリタニカ属州の州都。南のディブリスの港町を大陸本土の玄関口として、北の防壁との間を繋ぐ重要な拠点だ」


 ユーリは周囲を見回した。

 行き交う人々は色素の薄い西洋人を中心に、雑多な人種が入り交じっていた。褐色の肌に黒い髪とあごひげの商人や、黒い肌に縮れた髪の南方人。さすがに東洋人は見当たらないが、この様子であればユーリの様相もそう目立たないで済むだろう。


 アウレリウスの先導で広場を出て、町外れにある軍の駐屯地まで行く。柵で囲われた敷地はかなりの広さで、宿舎が整然と並んでいた。

 正面門まで行くと馬車が用意されていた。二十人ほどの兵士がその周囲に整列している。


「さて。俺はここでお別れだ」


 セウェルスが言う。ユーリは聞いてみた。


「一緒に北に行くのではないの?」


「残念だが、俺はここに残る。近い内に父上から、新しい赴任先の辞令が来る予定だからな」


「そう……」


 皇帝の息子である以上、若い彼にも重い責任があるのだろう。


「ユーリ、改めて……すまなかった。お前のような戦うすべを知らない女性を、無理矢理に引き込んでしまって」


 肩を落とすセウェルスに、ユーリは笑いかける。


「それは、もういいの。本当はよくないけど、謝ってもらいたいわけじゃないわ」


「そう、か。では、もう言うまい」


「うん、そうして。仕事を始めたら手紙を書くわね」


「俺も手紙を書くよ。アウレリウスとユーリに、俺の活躍を知ってもらわないとな」


 セウェルスは照れくさそうに笑う。そうしているとただの十代の少年のようで、ユーリはそっと微笑んだ。


「そういうことは、実際に活躍してから言ってほしいものですな」


 アウレリウスが言うと、セウェルスは憮然とした表情になった。


「まったくアウレリウスは、いつも一言多い。ユーリ、気をつけろよ。こいつは口うるさいぞ。黙っていればいつまでもお説教をしてくるから、さっさと切り上げるのがコツだ」


 明るい笑い声が上がる。やがてそれがふと途切れて、出発の合図となった。

 アウレリウスとユーリは、他の兵士たちと共に馬車に乗り込んだ。簡素な幌馬車で、風がそのまま吹き抜けていく。


「セウェルス様。ご武運を」


 馬車から身を乗り出して、アウレリウスが言う。


「あぁ、お前こそ。無事でな」


 馬車が動き出した。ガラガラと車輪の音を立てて進んでいく。セウェルスが遠ざかる。

 ユーリが最後に大きく手を振ると、彼も振り返してくれた。

 こうしてユーリたちは、北へと旅立った。







 ユピテル帝国は街道の国と呼ばれる国である。

 元は軍団の迅速な移動を目的として作られた街道は、その地域の平定後は物流と人の流れを活発化させた。

 ユピテル帝国は建国時こそ半島の小都市国家に過ぎなかったものの、優れたインフラ整備と統率が取れた軍団統治のおかげで力を伸ばし、今では内海の覇者となっている。


 辺境のブリタニカ属州もその例に漏れず、街道が整備されている。かつてはこの土地の土着の民を征服し、その際に通された街道である。

 また、馬車や徒歩で一日移動する距離に合わせて、宿場町が作られている。おかげで一行は補給や野営の心配をすることなく旅を続けていった。

 道中でユーリは文字の読み書きを学んだ。アウレリウスが子供用の教本をくれたので、何度も何度も読み返した。

 馬車はそれなりに揺れたが、ユーリは乗り物酔いに強いほうだ。いずれ板バネを導入して乗り心地の良い馬車を作りたいと思いながら、文字の習得にいそしんだ。







 宿場町はしっかりとした町から簡易的な旅籠はたごまで何種類かある。

 本日ユーリたちが泊まったのは、宿舎と厩舎、それに自分たちで煮炊きするかまどのついたごく簡素な場所だった。


「今日の晩飯は野菜スープですよ」


 兵士の一人がナイフでニンジンを切りながら言った。彼らは野営に慣れていて、料理もお手の物なのである。


「量は少ないが鶏肉もある。ごちそうだ」


 他の兵士もそんなことを言って、かまどに火を入れた。

 ユーリは食材のカゴを見た。切れ目の入った堅パンの他、玉ねぎやニンジン、アスパラなどの野菜が入っている。他にも小麦粉やミルクなどもあった。

 ヤヌス神殿での晩餐に比べると簡素だが、一通りの食材は揃っている。


「じゃがいもがないのが残念だけど、これなら。ねえみなさん、私にも料理をさせてくれませんか?」


 ユーリの言葉に兵士たちは振り向いた。


「お? ユーリが作ってくれるのか?」


「そりゃあありがたい。何を作るんだ?」


「バターはありますか?」


 ユーリが言うと、兵士は首をかしげた。


「まあ、あるが。持ってくるよ」


 彼はそう言って厨房を出ていってしまう。しばらくして戻ってくると、手には小さな壺を持っていた。


「ほい、バター。早速指でも切ったかい?」


「え?」


「だってバターは傷薬だろう。他に何の使い道が?」


「バターが傷薬なんですか!」


 ユーリは驚きながら壺を受け取った。ふたを開けてみると確かにバターである。匂いをかいでみたが特に問題はなさそうだ。


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