第6話 晩餐会2


 ユーリは臥台から起き上がり、立ち上がって二人を見た。


「勝手に決められては困ります。私はまだ、何も言っていません」


 セウェルスは意外そうに目を丸くして、アウレリウスも軽く目を細めた。


「まず、私はこの世界を何も知らない。魔物の脅威が迫っていると聞いたけれど、魔物がどんな生き物なのかも知らないんです」


 だから、とユーリは続ける。


「何も知らないままで決めてしまわないでください。それに私は、そりゃあ『雑学』しか取り柄のない一般人ですけど、大人です。自分の生活費くらい自分で稼ぎます」


 言いながら、ユーリの心に一つの思いが浮かんでくる。

 ――日本で大学まで行って、就職して。代わり映えのない日々だと思っていたけれど、ちゃんと働いて。私は一人前の大人だったはずだ。

 急に連れてこられた異世界で、役立たずの烙印を押されるいわれはない。

 たとえここがどこであろうと、私はまた仕事をして人の役に立ってみせる。

 そうすることが、今は唯一の希望。かつてそうして暮らしていた日本と……故郷と繋がる心のよすが。


「私、働きます」


 目を丸くする二人を交互に見ながら、ユーリは言った。


「日本では、前の世界では会社員をやっていました。事務仕事は得意です。体力だって、それなりにある方です。お二人や他の人たちの役に立つ仕事がしたいんです!」


 セウェルスとアウレリウスは気圧されたように押し黙る。少ししてからアウレリウスが言った。


「しかしきみは不完全なヤヌスの選定で、字が読めないだろう。文字が読めなければ計算もできない。事務仕事ができるはずもない」


「覚えます。会話ができるのなら、字を学ぶのもそんなに時間はかからないはず。それに計算は得意です。経理課ですから」


 ユーリがにっこりと笑うと、アウレリウスは複雑な表情になった。しばらくの間をあけて、ため息をつく。


「そこまで言うのなら、いいだろう。私の軍団の本拠地であれば、こまごまとした仕事もある。早急に文字と数を覚えて仕事に出てくれ」


「はい!」


 ユーリは思わず小さなガッツポーズをした。そんな彼女をおかしなものを見る目でアウレリウスが見ている。


「……何ですか?」


「いや。女性というものは、奴隷にかしずかれて生活の心配がなければ、それで満足なのだと思っていた。意外だ」


「そうですか? 私のいた国では、女性も働くのが普通です。みな、自分の能力を生かして仕事をしていますよ」


 ユーリが当然の口調で答えると、セウェルスもうなずいた。


「アウレリウスよ、それは少々古い価値観だろう。今どきユピテルでも、外に出て働くご婦人は珍しくないぞ」


 アウレリウスは給仕にワインを注がせてあおった。


「古くて結構。ブリタニカ北部は冬の寒さと魔物の脅威が厳しい土地です。男が外で働き、女は家を守る。私はそのような環境で生きてきましたので」


「……それもきっと、間違いではないのだと思います。でも私は働きたい。仕事を通じて自分の力をみなの役に立てたいのです」


 ユーリがきっぱりと言うと、アウレリウスは目を上げた。感情の薄い紫の目に見つめられて、ユーリは困惑する。

 こうして見れば、アウレリウスはかなり整った容姿をしていた。後ろに撫でつけた金の髪は、ひとすじ額に落ちかかっている。紫の瞳は底が見えない湖のようで、燭台の光を受けて揺らめいていた。

 しばしの沈黙が落ちる。やがてアウレリウスはユーリから視線を外して、口を開いた。


「それでは、旅人殿――」


 言いかけた彼の言葉をユーリはさえぎった。


「私はユーリです。山岡悠理。旅人ではなく、ユーリと呼んでください」


「……了解した。よろしく頼む、ユーリ」


「ユーリか。いい名だ」


 口々に答える二人に、彼女は笑いかけた。


「こちらこそよろしくお願いします。セウェルス様、アウレリウス様」


 不安が消えたわけではない。それでもユーリは笑ってみせた。

 明日はもう今日の続きではなく、何が起こるかすら分からない。故郷に帰る日は来ないかもしれない。


(転職より、婚活より、すごいことになってしまったわ!)


 それでもユーリは前を向く。

 孤独と寂しさに涙する夜を予感しながら、さらにその先の希望を見据えて。


(そう。こう考えましょう。私は引っ越しをして、転職をしたの。新しい職場でまた頑張らなければ)


 そうしてユーリは決意した。この世界で生きていくことを。






+++


ここまでで導入部終了です。読んでくださってありがとうございました。

次からは新しい町に旅立って、いよいよユーリの仕事が始まっていきます。

少しでも面白く読めましたら、フォローや★★★での評価をお願いいたします。とても嬉しいのです。

どうぞよろしくお願いいたします!

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