第5話 晩餐会1


 扉の先はやや広い部屋だった。正面には食卓が据えられており、さまざまな料理が盛られていた。

 ボリュームのある豚肉のローストが目を引くが、牡蠣や魚料理もある。アスパラを使ったサラダまである。パンは何種類もあって、カゴに盛られていた。

 食卓の奥と左右は臥台が置かれていて、向かって左側の席にはセウェルスが寝そべっている。

 ユーリは部屋にいた給仕に案内されて、奥の正面の席に腹ばいになった。アウレリウスは右手の席だった。


「ヤヌスの選定の半ばの成功と、異世界の旅人殿との出会いを祝って、乾杯」


 半ばやけっぱちのような口調で、セウェルスがワインの盃を掲げる。アウレリウスは形ばかり応えてみせた後、グラスに口をつけた。


「旅人殿、せめてもの詫びだ。遠慮なく飲み食いしてくれ」


 ユーリはグラスを握ったまま戸惑っている。


「日本では……私の国では、寝転んだまま食事をする習慣がなくて」


「そうか。まあ、ユピテル帝国でも寝そべるのは正式な晩餐のみだ。朝や昼、簡単に済ませるときの夕食は椅子とテーブルで食べる」


 この寝そべり食事会は、セウェルスの心遣いであるようだった。そう思えば、ユーリとしても不便だと文句を言いづらい。


「旅人殿の今後を決めなければ」


 アウレリウスが言う。


「先ほども言ったが、今回の召喚は我々の一方的な都合に過ぎない。旅人殿の生活は保証するし、住む場所の希望などもあれば最大限配慮しよう」


「ああ。魔物の脅威にさらされているとはいえ、このユピテル帝国は豊かな国だ。皇帝の息子である俺の力をもってすれば、女性の一人くらいは贅沢な暮らしをさせてやれる」


「皇帝の息子なんですか」


 ワインをちびりと舐めてユーリが言った。ワインは冷えてこそいなかったが、日本のものに劣らない芳醇な香りがする。


「そうとも。俺は現皇帝ウルピウスの第二子。次の皇帝に最も近いと言われている男だ」


 セウェルスは得意そうに言って、豚肉のローストをかぶりと噛みちぎった。


「皇子様なんですね」


 ユーリが言うと、アウレリウスが肩をすくめる。


「東方の専制君主国家ではあるまいし、この国でそういう言い方はしないな。皇帝の子は有力な後継者であるが、即位するには皇帝の指名の他に、元老院の賛同と近衛兵団の支持が要る。セウェルス様はまだ実績が足りぬ」


 セウェルスは反論せず、蒸し牡蠣を殻から外して口に放り込んでいる。食べ盛りらしい旺盛な食欲を見せるセウェルスに対して、アウレリウスは上品に食事を進めている。


「誰にでも分かりやすく、かつ絶大な戦功が見込めると主張して、伝説に謳われるヤヌスの選定を行ったのだが。結果はこのとおりだ」


 アウレリウスの淡々とした言葉に、セウェルスは牡蠣を飲み込んだ後に反論した。


「仕方なかろう! このまま魔物と全面衝突をして多大な犠牲を出すよりも、一人の英雄が全てを解決すると思えば、どうしたってそちらに傾く。それが少しばかり非現実的な方法でもだ!」


「……実際のところ失敗したのですから、次の手を打たねばなりません。魔物の暴走がいよいよ起こるその日まで、兵を集めて砦を整え、武具を整備し、食料を確保する」


「分かっている」


 セウェルスは吐き捨てるように言って、ユーリを見た。


「旅人殿が英雄でさえあれば……。あぁ、恨みがましい物言いを許してほしい。俺は幼い頃から、ヤヌスの英雄の話を寝物語に聞いて育った。その英雄の隣に立って魔物どもと戦えると思えば、心が浮き立っていたんだ。

 だが、よく考えれば当たり前のことだった。異邦の者にもそれぞれの生活があり、家族がいたのだろう。呼びかけに応じて馳せ参じるような者であればいい。俺はてっきり、英雄とはそのような者ばかりと思い込んでいた。しかしそうでないならば、無理にヤヌスの門を開くべきではなかった……」


 呻くようなセウェルスの言葉に、ユーリは胸が痛むのを感じる。

 ユーリが身代わりになったあの女子高生は、この世界で英雄になる素質を持った人だったのだろう。

 子供が無理矢理に家族と引き離されて、見知らぬ世界へ連れてこられる。そんなことは間違っている。

 けれどその結果、無能のユーリが来てしまってセウェルスは失望している。


 ユーリは元の世界に、日本に帰りたい。

 だが英雄の召喚を邪魔してしまった責任を感じる。

 彼女のスキルは『雑学』であるという。いかにも役に立ちそうもない名称だった。


 ユーリはずっと代わり映えのしない生活を送っていた。今日と同じ日が明日も続くと疑いもしなかった。

 このままではいけないと思いながらも、惰性と先延ばしで何もしなかった。

 そのツケが、こんな形で現れるとは。


「旅人殿。手近な場所で良ければ、このロンディニウムの町に住居を用意するが、それでよいか?」


 アウレリウスが言う。


「信頼できる奴隷を何人かつけよう。文字の読み書きの教師を手配して、私の名義で月々の生活費も出す。故郷と勝手は違うだろうが、大きな不自由はないはずだ」


「生活費は俺から出してもいいが」


 ワインを飲みながらセウェルスが言うが、アウレリウスは首を横に振った。


「ブリタニカ属州に居を構えるならば、私からの方がよいでしょう。セウェルス様の次の配属先は、おそらくノルド・ベルギカ。遠地で目が届かなくなれば、不都合も生じるかと」


「ふん。では、お前に任せる」


 セウェルスは大きなパンをちぎって口に放り込む。


「旅人殿、アウレリウスはこのブリタニカ属州の北を守る第二軍団ドリファの軍団長レガートゥスだ。ブリタニカにいる以上は、属州総督などよりもよほど頼りになる相手だよ。任せておけば間違いはない。

 今回、ヤヌスの選定にあたってこいつを呼び出したのは、鑑定スキル持ちだからだ。鑑定は人間のスキルやその他のあらゆる事象を見極める、希少性の高いもの。信用できる鑑定スキル持ちで、こいつほど適任はいない。長い付き合いだからな」


 愛想のない口調だったが、それだけに相手への信頼が感じられた。アウレリウスを見れば、顔色を変えずにワインを飲んでいる。

 ユーリが答えないままでいると、肯定と受け取ったようだ。二人はうなずいた。

 アウレリウスが言う。


「それでは、そのように。今日一日だけヤヌス神殿で宿を借り、明日になったら住居に案内させよう」


 その言葉に、ユーリは二人の男性を見た。


「いいえ、待ってください」

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