第4話 ヤヌス神殿3
「……読めません」
ユーリは巻物を開いたが、見たこともない記号が並んでいるばかりだった。
控えていた神官の一人が言った。
「ヤヌスの選定を経た英雄であれば、読めるはずなのですが。選定と異世界への転送において、何らかの不具合が起きたようですね」
ユーリは聞いてみる。
「その選定というのは、どういうものですか」
「ヤヌス神の御力により、異なる場所より高い素質を持つ者を呼び寄せる秘儀です」
ということは、とユーリは思った。
最初に地面の光に呑み込まれそうになっていた、あの女子高生。あの少女が本来の『選定』を受けた者だったのだろう。
それをユーリが割り込んでしまった。そのせいで、こんなことに。
ユーリはさらに尋ねる。
「もし私が何か能力を持っていれば、どうなりましたか?」
「俺が望んだのは魔物と戦う力だ。魔物どもに打ち勝つだけの武力が欲しかった。そのような英雄であれば、俺とともに最前線へ出て戦い続けただろう」
セウェルスが答えると、アウレリウスも続けた。
「過去の英雄の中には、ユピテルにはない叡智をもたらした者もいるという。高度な知識や技術は、単純な武力以上に国の力となる。帝国お抱えの技士なり研究者なりとして、一生を仕えることになる」
(それ、どっちも奴隷みたいなものじゃない!)
ユーリは思わず心の中で叫んだ。
あの女子高生を助けられたのは、良かった。
でも代わりにユーリがここに来て、もう帰ることはできないのだという。
……理不尽だった。あまりにも。
明日も出勤日だったのに。
週末は実家に帰る予定もあったのに。
それらの全てを突然、取り上げられて。
日本の両親や友人たちは、唐突に行方不明になったユーリを探して、どれだけ心を痛めるだろうか。
「帰る方法は、本当にないんですか」
石造りの建物にユーリの声が響く。反響は声の震えを隠してくれた。
「ない」
アウレリウスが言う。きっぱりと。
「過去の英雄の中にも、帰還を希望する者がいた。ヤヌス神殿は総力を上げて方法を調べたが、ついぞ見つけられなかった」
ユーリはショックを受けながらも、言い返した。
「勝手に呼び出して、帰る道はないと言う。あまりに身勝手です」
「返す言葉もない。だが、今はそのような方法にすがるほど状況が悪いのだ」
彼が言うには、この世界には魔物と呼ばれる害獣が多く住んでいる。
魔物はほとんどが人間に敵対的で、しかも好戦的。高い身体能力と魔力を持ち、正面からやり合っては勝てない種族も多い。
そしてその魔物らが、近年非常な勢いで増えているという。
「…………」
彼らも必死なのだと、ユーリは理解した。
だけどそれでも、彼女は巻き込まれただけ。理解はしても飲み込めるものではない。
「とにかく、旅人殿には悪いことをした。今日はもう休んでくれ」
セウェルスが手を差し出す。
その手は取らず、彼の後についてユーリは歩き始めた。
ユーリは小さな部屋で少し待たされた後、夕食へ呼ばれて部屋を出た。
空腹は全く感じなかったが、部屋にいても仕方がない。
アウレリウスの案内で神殿の列柱回廊を通り、奥の扉を開く。
扉の先はやや広い部屋だった。正面には食卓が据えられており、さまざまな料理が盛られていた。
「ヤヌスの選定の半ばの成功と、異世界の旅人殿との出会いを祝って、乾杯」
半ばやけっぱちのような口調で、セウェルスがワインの盃を掲げる。アウレリウスは形ばかり応えてみせた後、グラスに口をつけた。
「旅人殿の今後を決めなければ」
アウレリウスが言う。
「先ほども言ったが、今回の召喚は我々の一方的な都合に過ぎない。旅人殿の生活は保証するし、住む場所の希望なども最大限配慮しよう」
「ああ。魔物の脅威があるとはいえ、ユピテル帝国は豊かな国だ。皇帝の息子である俺の力をもってすれば、女性の一人くらいは贅沢な暮らしをさせてやれる」
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