第4話 ヤヌス神殿3
ユーリはさらに尋ねる。
「もし私が何か有用な能力を持っていれば、どうなりましたか?」
「俺が望んだのは魔物と戦う力だ。二百年前の英雄のように、牙を剥いて迫りくる魔物どもを押し返すだけの武力が欲しかった。それだけの力があれば、俺とともに最前線へ出て戦い続けただろう」
セウェルスが答えれば、アウレリウスも続けた。
「過去の英雄の中には、ユピテルにはない叡智をもたらした者もいるという。高度な建築技術や機構の構築などは、単純な武力以上に国の力となる。帝国お抱えの技士なり研究者なりとして、一生を仕えることになる」
(それ、どっちも奴隷みたいなものじゃない!)
ユーリは思わず心の中で叫んだ。
危険な魔物とやらと戦い続けるのも、国に囲い込まれて一生を過ごすのも、どちらも幸せとは思えない。
そんな運命からあの女子高生を救い出せたのは、良かったと思った。
(けど……)
あの子を助けられたのは、良かった。
でも代わりにユーリがここに来て、もう帰ることはできないのだという。
……理不尽だった。あまりにも。
明日も出勤日だったのに。
週末は実家に帰る予定もあったのに。
それらの全てを突然、取り上げられて。
日本の両親や友人たちは、唐突に行方不明になったユーリを探して、どれだけ心を痛めるだろうか。
「帰る方法は、本当にないんですか」
石造りの建物にユーリの声が響く。反響は声の震えを隠してくれた。
「ない」
アウレリウスが言う。きっぱりと。
「過去の英雄の中にも、帰還を希望する者がいた。ヤヌス神殿は総力を上げて方法を調べたが、ついぞ見つけられなかった」
ユーリはショックを受けながらも、言い返した。
「勝手に呼び出して、帰る道はないと言う。あまりに身勝手じゃありませんか」
「返す言葉もない。だが、今回はそのような方法にすがるほど状況が悪いのだ」
彼が言うには、この世界には魔物と呼ばれる害獣が多く住んでいるという。
魔物はほとんどが人間に敵対的で、しかも好戦的。高い身体能力と魔力を持ち、正面からやり合っては勝てない種族も多い。
そしてその魔物らが、近年非常な勢いで増えている。
セウェルスが言う。
「二百年前も同じ状況だった。その際は異界の英雄の武勇とユピテル帝国――当時は共和国だったが――の兵力とで魔物を押し返し、人間の生存圏を守ることができた」
「今はまだ、二百年前ほど状況は悪くない。しかし兆候は各地で見られて、予断を許さない。軍団の再編と城塁の建設を急いでいるが、魔物の侵攻がどれほどの規模になるか想像ができないのだ」
「…………」
彼らも必死なのだと、ユーリは理解した。
だけどそれでも、彼女は巻き込まれただけ。あの女子高生を差し出せばよかったとは思わない。
あの子はちゃんと家に帰ってほしい。家族が待っている家に……。
「とにかく、旅人殿には悪いことをした。今日はもう休んでくれ」
セウェルスが手を差し出す。
その手は取らず、彼の後についてユーリは歩き始めた。
ユーリが通された部屋は、神殿の一角にある小さな空間だった。
簡素な長椅子と丸テーブルがあり、テーブルの上には水差しとカップが置いてある。水差しとカップはガラス製だったが、日本のものよりも厚ぼったい上に歪んでいた。あまり工芸の技術が高くないようだ。
「後ほど食事に案内させる。それまでここで休んでいてくれ。ドアの前に人を置くので、何かあれば伝えてくれ」
「分かったわ」
セウェルスとアウレリウスが出ていった後、ユーリはため息をついて長椅子に座った。
長椅子はマットが敷かれていて、座り心地は悪くない。
水差しからコップに注いで口に含む。水はぬるかった。
部屋を見渡す。高い位置に明かり取りの小窓があり、壁際にはランプが吊ってあるが、室内は薄暗かった。
これからのことを考えようとしたけれど、頭が働かない。
いったいどうして、こんなことに。
そんな思いがぐるぐると回って、ユーリは進むことができないでいた。
しばらくそのままぼんやりとする。
どれほどの時間が過ぎたのだろう、再びアウレリウスがやって来た。
「食事の準備ができた。晩餐室へ行こう」
ユーリは黙ってうなずく。空腹を感じる余裕はなかったが、このままこの部屋にいても仕方がなかった。
列柱が回廊をなす神殿を、アウレリウスの先導で進む。神殿の石壁の向こうからは、人々の喧騒が聞こえてくる。ここはどうやら人通りの多い町なかであるようだ。
アウレリウスは回廊を進み、やがて突き当りの扉を開けた。
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