第2話 ヤヌス神殿1


 ――開け、開け、ヤヌスの扉。


 ――今まさに国難のとき。


 ――来たれ、来たれ、異邦の旅人。


 ――ヤヌスの扉をくぐり、この地に降り立つべし。







 ユーリは落下している。光に呑まれて以来、時間の感覚を無くして落ち続けている。

 どこか遠くで歌声が聞こえる。高く低く、さざなみのように響いている。

 と。

 ある地点で位相がくるりと反転した。落下は上昇に変わり、ふわりと引き上げられる感覚がある。

 奇妙な浮遊感の後、急に足元がしっかりした。

 気がつけばユーリは、石造りの建物の床に立っていた。


「成功だ! 異世界からの英雄召喚に成功したぞ!」


 ユーリは十人ほどの人に取り囲まれていた。みな、フードを被って顔はよく見えない。

 がらんとした空間は広くて、声が反響している。空間を囲むように柱が並んでおり、どこか神殿を思わせた。

 やや薄暗く、明かりは高い天窓といくつかのかがり火があるだけだ。

 ユーリは足元の床を見た。そこに描かれている模様に見覚えがあった。


 ――これは、あの光の模様。


「英雄殿! ようこそ我らがユピテル帝国へ」


 ユーリが無言のまま立ち尽くしていると、一人の男性が近づいてきた。まだ若い、二十歳になってない年頃に見える。

 布を巻き付けたような見慣れない服装をしている。ユーリは何となく、古代ローマや古代ギリシアを連想した。


「なんと、英雄殿がこのような女性だったとは。もっと勇猛な男性を想像していましたが……」


 彼は頬を上気させて、少年のように純粋な瞳でユーリを見つめている。


「しかし、ヤヌス神の選定に間違いはない。英雄殿よ、あなたはどのような武器が得意ですか?」


 問われて、ユーリは返答に困った。彼女は武器など持ったことがない。中学のとき、剣道部の体験入部で竹刀を握ったくらいだ。しかも結局剣道部には入部しなかった。


「武器の経験はありません」


 仕方なく正直に言うと、若者は面食らった顔をした。しかしすぐに立て直して続ける。


「なるほど、魔法使いでしたか。どの属性の魔法を使うのです? 炎? 風? 癒やし? それとも全てを!?」


 こいつはふざけているのだろうか、とユーリは思った。


「……魔法は使えません」


 当たり前でしょうがと心の中で付け加える。


「なんだと。――おい、アウレリウス」


「はい、セウェルス様」


 若者が呼ぶと、控えていた人々の中から一人が進み出る。二十代後半と思しき背の高い青年だった。金の髪と紫の目が、かがり火の照り返しを受けている。

 服装は他の者と変わらなかったが、フードの奥の目つきは鋭い。冷徹な眼差しに一瞬、ユーリは気圧された。


「『鑑定』してみろ」


「既に済んでおります。――スキルは『雑学』。それだけです」


「……はぁ!?」


 冷静に告げた声に、セウェルスは大げさに頭を抱えた。

 控えている神官たちもざわめいている。


「そんな馬鹿な。ヤヌスの選定で選ばれた異邦の英雄だぞ! 雑学だと? あり得んだろうが!」


「と、言われましても。私の『鑑定』スキルは確かにそれのみと告げています。……そうだな、そこの異邦人よ」


「は、はい」


 アウレリウスの紫の目で見つめられて、ユーリは内心でぎくりとした。


「武芸の腕はなく、魔法も使えない。戦うすべを知らないと解釈してよいか?」


「はい。何と戦うのか知りませんけど、私はただの無力な一般市民です」


「では『雑学』に心当たりは?」


「ええと……」


 ユーリは首をかしげた。

 彼女は幅広いジャンルの本を読むのが好きだ。また、知らない話を聞くのも好む。知らないことを知るのは楽しい。

 そういえば、そのおかげで小学生のときは『雑学王』なんて呼ばれていたっけ。


「人より色んなことに広く浅く詳しいとは思います」


「ふむ。例えば?」


 しつこく突っ込まれてユーリはうんざりした。先ほどから意味不明な状況で疲れているのに、まだ続くのか。


「例えば、冬のブーツのニオイ対策に、十円玉をいくつか入れておくとよいですよ」


「十円玉とは?」


 あ、外人さんだから十円が分からないのか、とユーリは思った。


「銅貨の小銭です。銅は消臭効果があるので、ブーツの臭いニオイをやわらげてくれます」


「…………」


「………………」


 広い空間に妙な沈黙が落ちた。みな、戸惑った顔で黙っている。

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