5:妖力の覚醒と不審な手紙

 貴族の女性として結婚できないのならと、吹っ切れてビュウとして生きると言ってしまったものの、ルスファ家を抜けたわけではないので、勉強や所作には気をつけなければならない。


 勉強の中でも一番苦労しているのが、読み書きである。私が千年使ってきた文字とはまるで違うものだからだ。


「ビュートリナ……バネッサ……デ……ルスファ」


 まずは自分の名前を書けるようにならないと、話にならない。

 前世はコン・ビュウだったので楽だったが、この国の人の名前はいちいち長いのだ。


「書けました」

「……はい、しっかり書けております。お見事でございます」


 バルタサルに教わりながら、自分の名前を書くだけで半日が潰れた。


 トイレを済ませて手を洗っていると、トイレの外からドンッと音がした。人が倒れたような音である。

 私はさっと手を拭いてトイレの外に出る。


「イタタタタ……」


 女性の使用人が、床に座り込んでしまっている。


「いかがなさいましたか」


 使用人は私を見て一瞬ギョッとした顔をするが、すぐに普通の顔に戻った。


「何もないところで突然転んでしまいました。これくらいなんともございませんので……」


 そう言って手をパンパンと、こするようにはたく使用人。

 しかし、私の目は捉えていた。


「すり傷がございますよ。これでは業務に支障が出るのでは」


 使用人は水を使う仕事が多いので、手に傷があるととても痛いだろう。


 と、その時、私の内側からエネルギーが湧いてくるのを感じた。これは紛れもない、妖力である。


 私は使用人の両手を持ち、「水明すいめいの癒し」と妖術を唱えていた。


 使用人の両手が暖色の煙に包まれ、煙がスーッと消えていく。


「えっ⁉ なおっ、治った!」


 成功だ。


「バネッサ……間違えました、ビュートリナ様は不思議な力をお持ちなのですね!」


「はい、ですが転生してからは初めて使いましたが」


「そ、そんな貴重なお力は、使用人の私ではなく、もっと有効的にお使いくださいませ!」


「何を仰るのですか。ただ、目の前にケガをしている人がいらっしゃるから使っただけでございます」


 使用人の顔がぱぁっと明るくなり、目が輝いているように見えた。


「誠にありがとう存じます」

「お役に立てたようでうれしゅうございます」


 使用人がその場から立ち去っても、私はしばらく呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。


「ビュー様はどちらに……あ、あれ、ビュー様?」


 なかなかお手洗いから帰ってこなかったからであろう。バルタサルが部屋から出てきて、私を見ては首をかしげている。


 私は首だけを動かしてバルタサルの方を向き、伝えた。


「バルタサル……私、妖術が使えるようになりました」


 バルタサルは案の定ぽかんとしている。


「よ、ようじゅつとはどのようなものでしょうか」

「私が前世、妖怪のときに使っていた術でございます。妖怪であれば使える術ですが、どうやら人間は使えないようでございます」

「ですが、ビュー様は現在人間の体なのでは?」


 さすが執事、理解力が早い上に鋭い質問をしてくる。


「そのはずなのですが、使えてしまいました」


 そう、どうして使えたのかは自分が一番よくわかっていない。


 だが、これで思わぬ効果が出た。

 バルタサルにおんぶにだっこで何もできないと卑屈に考えていたが、「私には妖術がある」と前向きに考えられるようになった。

 千年生きた経験が、ようやく活かせると気づいたからだ。


 勉強が捗った。作法の練習もするすると頭に入っていった。


 勉強していく中で、素晴らしい言葉を見つけた。

 それは、アイデンティティだった。






 物珍しい妖術の話は、たちまちこの国の貴族の間に広まった。

 あるときはケガの治療で呼ばれたり、あるときはパフォーマンスとして妖術を披露したり、勉強の傍らでこなしていくのは一苦労だった。


 それでも、私が勉強を必死にこなし、メキメキ所作がお嬢様となっていくのを見て、私は他の貴族から再び信用を得ることに成功した。

 婚約破棄で信用がどん底に落ちた人が、ここまで他の貴族と渡り合えるようになるとは思ってもみなかった。


 さらに妖術を自分のためではなく他の人に、ましてや使用人に使ったという話も広まった。


 ものの数カ月で、私はバネッサと変わらないどころか、より心優しく生まれ変わったとして、貴族にもそれぞれの使用人にも一目置かれる存在となったのだ。





 そんな中、廊下で一枚の紙を拾った。どうやら手紙のようである。

 猛勉強の成果として、中身を読んでみることにした。




 親愛なるティナへ


 君からのお手紙、受け取ったよ。

 素晴らしい夢だと思う。私としても、メンブラード王国と良い関係でいられたら、大いに助かるからね。

 君がその手助けとなってくれるのなら、できる限りのサポートをするよ。何でも聞いてね。


 愛をこめて、チャーリーより




 ティナはアグスティナの、チャーリーはカルロス王太子の愛称だ。


「王太子殿下から妹への手紙?」


 恋文かと思いきや、メンブラード王国という隣の大国の名前が出てきた。

 何か嫌な予感がして、この手紙をアグスティナに返すことなく、自室に持ち帰った。


 椅子に座って、手紙を熟読する。


「『夢』ってなんだろう」


 メンブラード王国と何か友好的なことをするのが夢のように思えるが、それにしては書き方が遠回しすぎる。ということは、書き表してはならないことなのだろうか。


「お嬢様、お手紙をお読みなのですね」


 どこからともなくバルタサルが現れて、ほほえましそうにしている。


「私宛てではございませんよ」

「ほう、誰宛てのお手紙でしょうか」

「妹でございます」

「お読みになっても大丈夫なものでしょうか」

「廊下に落ちていたので、誰宛てか確かめたかっただけなのですが……不審な内容だったもので」

「……お見せいただいてもよろしいでしょうか」


 遠目から眺めていたバルタサルはこちらに歩み寄ってきて、私から手紙を受け取った。


「ふむ、怪しいですね。ただの外交であればこんな書き方をしなくてもよろしいかと」

「私も同じように思いました」


 共通語を五十年使ってきたバルタサルが言うのだから、間違いないだろう。私の勘も当たっていたらしい。


「これからアグスティナ様の言動には注意いたしましょう」

「その方がよさそうですね」


 そもそも私に対して「記憶喪失の病が移る」と言って、そばで話してくれなかった時点で怪しかったのだが。


 失礼な人かと思いきや、何か隠したいから私を遠ざけてる?


 頭に疑問が浮かぶばかりだった。


 手紙は、原文をそのままバルタサルが書き写して保存し、本体は何事もなかったように彼女の部屋に落としておいた。

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