第6話 サマー・フェスティバル
「こりゃあかん!」
河童は私たちの姿を見ると逃げ出す。
人混みの中を縫うように移動し、瞬く間に姿が見えなくなってしまう。
「――宮本さんはここにいて!」
きっと戦闘になることを考慮したのだろう。
櫛橋さんは一人で河童を追いかけようとする。
しかし河童のように上手く進めず、人にもみくちゃにされて右往左往だ。
「……あの河童、ただの妖怪じゃない」
私は河童の身体の動き、足さばきを見た。
あの巧みな走法は妖術ではなく、洗練された戦の技術そのものである。
見立て通りなら、きっと櫛橋さんは追いつけない。
「……これも仕事だし……」
このまま知らんふりをするのは居心地が悪い。
剣術は使わず、なんとか櫛橋さんを助けられないか。
それこそ、せめて私が視えている道順を教えるだけでも――
「櫛橋さん」
「み、宮本さん!? なんで来たの!?」
「誘導棒、お借りします」
「え、あ、ちょっと」
私は櫛橋さんから赤く光る棒を受け取ると、刀を構えるように右手に握る。
「な、何をするの?」
「誘導の仕事を」
ただし誘導するのは祭りのお客さんではない。
「櫛橋さん、私の後にぴったり付いてきてください」
「え、どういう――」
「行きますよ」
私の足が前へと出る。
小さな一歩、その刹那に、人混みの中を行ける最速最短ルートを割り出す。
私の視界には今、河童の首にまで届く、剣の道が浮かび上がっていた。
「――ここだ」
瞬間、両足のギアを一気に上げた。
周囲の人々の動きが一瞬だけスローモーションに感じる。
「え、はや……!」
さすがは櫛橋さんというか、初動になんとかついてきてくれた。
私はそれを確認すると、誘導棒を構えながら一気に加速する。
「うわ、なんだ!?」「いま人が通った?」「動物じゃないの?」「女の子だったけど」「赤い光が見なかった?」「幽霊じゃね!?」
ご先祖様が残した兵法は、なにも正面から戦うためだけの技術ではない。
そこには敵から逃げ、敵を追いかけ、生き抜くための技もある。
「ちょっ、はやい、早すぎるって、宮本さぁ――ん!」
きっと一般道路で一五〇キロの速度を出したように感じたのだろう。
減速はしない。障害となる人や物は歩幅を狭くして切り返す。
櫛橋さんは半ば泣きそうになりながら私についてきた。
そして――
「……ここは」
やっと足を止めたのは、境内の裏手、あの河童と初めて会った時の場所だった。
相変わらず
その代わり――
「なんて濃さの妖気……まさか一人だけじゃない……?」
櫛橋さんが眉をひそめる。
「あ、ありがとう、宮本さん、足、速いんだね」
「いえ……」
「でもここから先はわたしに任せて」
櫛橋さんが両手を開いて前に構える。
「――櫛橋は『木』の一門。青き龍の威光をもって邪なる者を打ち払う」
彼女の手のひらに風が集まり、ぐんぐんと渦巻いてその力を漲らせていく。
「さぁ、出てきなさい!」
そのまま姿を見せないなら、ここにいる妖怪を一網打尽にしようというのだろう。
しかし暗闇からはうんともすんとも返事がこない。
――私は力を使う気はないものの、万が一、万が一に備えて胸元へと手を添える。
「ま、待ちや!」
私が構えた途端、いきなり悲鳴のような声が上がる。
白旗のつもりか、池の中からあの河童が両手を上げて現れた。
「そんなけったいなもん喰らったら、大事な商品がいてまうわ!」
櫛橋さんは攻撃の態勢を保ったまま彼に問う。
「大事な商品? それは何? もしも人界を脅かそうものなら――」
「そんな物騒なもんちゃうわ!」
河童は諦めたのか、背後にいるのだろう味方に向かって叫ぶ。
「おまえら、もう隠れんでええぞ!」
河童がそう呼びかけると、周囲にまだ潜んでいたのだろう彼の仲間が姿を見せる。
その全員が、河童、河童、河童――
「な、なんて数の河童……」
しかも彼らはみな等しくクーラーボックスを抱えている。なんで?
「ワイは上級河童、シルヴェストル近藤! ここには
私たちが追っていた男は自ら名乗りを上げる。
リーダー格らしいその近藤さんが、降参だと箱の中身を見せてくれるのだが……。
「「……きゅうり?」」
クーラーボックスには、大量のきゅうりが氷と共に納められている。
「ここで店に出すきゅうりを冷やしてたんや」
「まさか、あの長蛇の列ができてる……」
「せや! あれはワシらの店でっせ!」
櫛橋さんが愕然とした表情を見せる。彼らが密かにやっていたのがこれなのかと。
「こちとら千本二千本は軽く売りさばく人気店や。せやけど、あの狭いスペースでの調理や置いとける在庫にも限界がある。冷やすんにだってえらく時間がかかるんや」
だからこの人気のないところで、河童総動員の人海戦術で準備をしていたわけだ。
あれだけの品質や回転率を体現するには、裏方役がいなくて成りたたない――それこそ、私や櫛橋さんが、この夏祭りのボランティアとして働くように。
「そんな……でも祭りを狙ってるって……」
「狙ってまっせ――全出店の中で売り上げナンバーワンを!」
目標は日本中の祭りで一位を総取りすることだとか。
自らの野望を自信満々に宣言する近藤さんである。
「じゃ、じゃあ、なんで、あの日、こんな所に隠れて……」
「あんさんたちと初めて会った日でっか? あれはフィールド・ワークの一環や。売り上げを得るにはマーケティングが重要やさかい。この境内の構造や、人がぎょーさん流れてくる所、派手に目立つ所、そういうのを調査するために潜伏してたんや」
「そ、そんなまっとうな理由なら隠れる必要ないじゃない!」
「阿呆! 他店に勝とういうてんのに堂々とマーケする馬鹿がどこにおる! なによりワイは妖の者! ここの神さんがいる手前、白昼堂々闊歩するのは失礼やろが!」
「う……う……」
言い返す言葉が見つからないのか、櫛橋さんはうなだれる。
「櫛橋さん。良かったじゃないですか。何事もなく済みそうで」
「それは……」
「私たちも、心置きなく単位がもらえます」
ここできゅうりを売りたいだけの河童と揉め続けるか。
それとも目をつぶって平和に祭りをすごし留年も回避するか。
どちらを取るかは明白だろう。
「……はぁ、分かった。本家にも問題なしと報告しておく――これでいい?」
櫛橋さんのその言葉に、河童たちは諸手を挙げて喜んでいる。
「おおきに。お礼と言っちゃなんやけど、うちの冷やしきゅうりどうぞ」
控えていた河童の一人が、私たちに箸に刺したきゅうりをくれる。
「すいません、私は、きゅうりが苦手で……」
私だけそう断ると、その河童さんは超ショックという表情である。ごめんなさい。
「お、美味しい!」
隣を見ると櫛橋さんがきゅうりを頬張っていた……切り替え早いですね。
「今まで食べたことないほどの深味……いや、これはそもそも素材であるきゅうりが……」
どうしてこんなに美味しいのか、河童たちに聞いている始末である。
「それはかの高名な河童、サラマンダー富田先生が作ったきゅうりなんや!」
ブランド品なんだと彼は得意げだ。櫛橋さんも二本目三本目のきゅうりをもらってる。
これで万事解決――といきたいところだが。
「シルヴェストル近藤さん」
しばらくすると少し離れたところで、こちらを伺っていた彼に話しかける。
「それで、なんで私のことを調べていたんですか?」
「あんさんを調べる? なんのことや?」
ここ最近、妙に私の周りに妖気が漂っていた。
先日、河童の特性なのか、水中にいる彼を見つけることだけはできなかったが……。
「さっき、櫛橋さんが風の力を使おうとした。なのにあなたたちは出てこなかった」
「…………」
「でも私が僅かに構えた途端に急いで出てきた。みなさんが向ける視線もほとんどが私へ向けたものでした。本来であれば目に見えて風を操る櫛橋さんを危険視するはずなのに」
私は視線を鋭くして彼を捉える。いつでも刀は抜けるぞと脅しの意味も込めて
「私は戦いたくない。ですが――」
どうしても敵対するとなれば斬るしかない。
「……はぁ、話に聞いとったより、ごっつ恐ろしい剣士さんやな」
近藤さんは観念したように両肩を下ろす。
「正解や。ワイの表の仕事は祭りの調査。そして裏の仕事が宮本絶花の調査やった」
「依頼主は?」
「それは言えな……あ、そんな殺気を向けんといてくれ。う、裏京都や! あそこにおる位の高い妖怪さんたちが、あんさんのことを警戒しとる!」
「裏京都……?」
地理的に京都は遠くないけれど、そんな人たちまで私を監視しようと?
「正確にはあんさんの周囲含めてやけどな。どうにも宮本絶花の首を狙って、けったいな連中がこの町へ近づいてるって話や」
けったいな連中……心当たりはないけど……。
「なんでも英雄の意思を継いどる者やとかなんとか」
「……つまり、私とその人たちが戦うかもしれないから見張りをつけたと」
「せや。もしかしたらこの辺一帯が焼け野原になるかもしれんからな」
焼け野原は言い過ぎじゃない……?
戦うにしても時と場所は選ぶよ。できれば戦いたくないけれど。
「気いつけぇや。密偵がバレた以上ワイは消える。しかし刺客だけは着々とあんさんの近くに来とる」
「…………」
「なんなら、あの櫛橋とかいう嬢ちゃんに協力してもらったらどうや? 知らんようやけど、あれもまたけったいな名家の娘さんやで?」
また戦いが始まる。おそらく話し合いで解決できる相手ではないだろう。
誰かに頼ると言われても……。
「宮本さん!」
重く考えていると、傍に櫛橋さんが近寄ってきた。
そして――
「はい! チョコバナナ!」
「ちょこばなな……?」
「宮本さんだけ冷やしキュウリ食べれなかったから、急いで買ってきたの」
彼女は人の良さそうな笑みを浮かべている。
「もしかしてバナナも嫌い……?」
と思えば心配そうにこちらを見つめる。
「……いえ、いただきます」
いいや、やっぱり戦いは一人で行こう。
学校の知り合いを巻き込むなんてできない。
「――あ。花火だよ」
櫛橋さんにつられ空を見上げると煌めく火花が見えた。
「綺麗だね」
これからの決闘を考えると憂鬱だが、そんな私に櫛橋さんは笑顔で応える。
彼女は妖怪捜しに報酬をくれると言ってたけど、その心遣いだけでもう十分に思えた。
私は小さく笑って、チョコバナナに口をつける。
「おいしい」
なんだか大変な仕事だったけど、意外に美味しい夏の思い出になったのかもしれない。
―○●○―
それから夏祭りのボランティアは全日終わりを迎えた。
すぐにレポートも書いて提出し、無事に留年を回避できたと先生に言われる。
「――あなたが、宮本武蔵の末裔ね」
しかし夏休みはこれからが本番。
まもなくして、私は英雄派と名乗る者たちと相対することに。
そしてこれをきっかけとして。
私は、駒王学園への転校を決意するのだった。
《ジュニアハイスクールD×D 1巻につづく》
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