第2話 好きになる魔力

 離婚してから、十数年が経った。離婚してからすぐくらいは、しばらくは、

「女性を好きになる」

 ということに、少し敬遠していたような気がする。

 というのも、離婚するということに対しては、そこまで違和感を感じなかったが、さすがに、

「調停」

 ということになると、少し、背筋が伸びた気がした。

 別に裁判というわけでもなく、離婚に際しての文章の取り交わしまで行われたわけなので、もめることはなかった。

「法律というのは、たまにはいいこともするんだ」

 というくらい、調停での離婚がうまくいったことはありがたかった。

 離婚の時、

「まだまだお若いんだから、これからの人生を有意義に、自由に生きてくださいね」

 と調停委員に言われた。

 そもそも、離婚の決意をした時、

「彼女にはもう、復縁の気持ちはない。無理を押しとおしても、いいことはないので、後は、これからの人生を自由に生きるということを考えればいい」

 と言われた。

「確かに、その通りだ」

 と思った。

 中学時代、

「両親が離婚の危機にあった」

 というのを聴いたことがあった。

「もう中学生になったから」

 ということで教えてくれたのだろうが、実際には、

 離婚というのは、お互いの気持ちのすれ違いということで、本当にそこまで考えていたかどうか。分からないというところであった。

 そんな離婚というものを、

「まさか、自分がするなんて」

 と思うのだった。

 中学時代には、

「離婚を考えるくらいだったら、結婚なんかしなければいいんだ」

 と思っていた。

 それは、勝手に思っていることであって、

「結婚をするということは、最後まで一緒にいるということで、そもそも、できちゃった婚などというのは許さない」

 と思っていた。

「人間に本当に自由などがあるのだろうか?」

 ということを考えた時、

「人間は生まれてくる自由も、死ぬ受有というものないのだ」

 ということを考えたのだ。

 というのは。

「人間は、親を選べない。つまり、いつどこで誰から生まれてくるか? ということは分からない」

 ということであった。

「金持ちな家に生まれる、貧乏な家に生まれる」

 ということを選べない。

「戦争をしている国」

 あるいは、

「平和な国」

 で生まれるかを選べない。

 または

「平和な時代に生まれてきたのか、それとも戦国時代に生まれてきたのか?」

 ということによっても違う。

 そういう意味で、

「生まれながらにして、不平等だ」

 と言えるのではないだろうか?

 自分たちが生まれた時代というのが、大きな影響を持つ場合もある。

 特に歴史などを勉強していると、そう感じる。

 例えば、過去の歴史において、大きく二つに分けることができるとすれば、

「戦争などによる群雄割拠の時代」

 であったり、

「平和な時代」

 というのに、大雑把には、分けることができるだろう。

 例えば、最初の、

「戦乱の時代」

 というと、過去からいえば、平安時代後期の、

「武士のおこり」

 と言われる時代からは、結構、小さな小競り合いが起こていたりした。

 まだまだ、武士というと、

「貴族などの荘園を守るために、貴族に雇われた武装集団」

 という時代であった。

 しかも、それらの時代が、荘園を守るだけでなく、地方に行くと、まだ開拓していない土地を開拓することによって、武士も自分たちの時代になったりするのであった。

 そんな時代において、

「自分の土地を増やさなくてはいけない」

 というのは、彼らが、自分の土地を守るために、

「さらに強い武装集団をつくろうとすると、どうしても、人海戦術のように、兵力という意味での、兵員を集める必要がある」

 つまり、彼らとしても、

「土地を保証されないと、主君といえど、命がけで戦うということをしない。だから、それだけ兵力を増やすには、土地が必要になってくる」

 ということである。

 そうなると、土地を得るには、まわりの土地を侵略するということしかないだろう。

 だから、戦乱となっていき、それが、

「武士が武士として生き残る」

 ということになるのだろう。

 そんな武士の発生のいわゆる、

「黎明期」

 に起こってくる小競り合いは、ある意味仕方のないものなのだろう。いずれ、幕府ができて、その体制が固まっていくと、時代は落ち着いてくる。

 しかし、幕府の力が弱くなると、全国の大名が力を持ち出して、

「下克上」

 などという、

「力によっての、秩序」

 という考えが生まれてくると、後は、軍乳割拠の時代となってくるだろう。

「いかに、生き残るか?」

 ということが、まずは、基本の時代になっていくのであった。

 特に戦国時代と呼ばれる、群雄割拠の時代には、前述の、

「下克上」

 というのが当たり前という時代で、

 さらに、

「自分たちの国を守る。さらには、隣国を攻める」

 というためにも、いろいろなものができたり、考え方も変わってきたりしただろう。

「城郭」

 というもので、自分たちを守る。

 という考え方であったり、隣国と同盟を結んだり、そのための政略結婚などというものも、今の時代では考えられないことであったりした。

 それも、すべては土地のため、包茎制度というものが、崩壊した形になってきていたが、それぞれの国において。大名は、いかに敵から身を守り、自分の土地を発展させるかということを、政治、経済の面からも考えていき、力のある大名は、

「京に上って、天下統一」

 というものを考え、

 力のない大名は、

「いかにして、この乱世を生き残っていくか?」

 ということを考えていくことになるのだった。

 そんな時代において、どうしても、

「戦に明け暮れる」

 ということで、今の時代とは、明らかに違う風俗習慣というものが存在していた。

 戦というと、戦場が舞台になるのは当たり前のことであり、何週間も、下手をすれば、1年以上も、戦場で生活することになる。そうなると、そこは、

「男だけの世界」

 当然、

「同性愛」

 というのも、蔓延ってくるというものだ。

 いわゆる、

「男色」

「衆道」

 というものだ。

 男同士の性癖を描いたマンガであったり、ライトノベルというものもたくさんあり、今の時代においては、そんな小説であったり、マンガは、

「BL」

 つまりは、

「ボーイズラブ」

 と言われている。

 男色や衆道と、BLとでは、まったく違うジャンルといってもいいだろう。

 戦国武将同士の、男同士が貪っている感じと、いわゆる、

「イケメン同士」

 による、美しい性癖の描写とでは、自ずと違っているのは分かっている。

 それが、

「戦に明け暮れる時代」

 においての、

「恋愛事情」

 といってもいいだろう。

 男色が蔓延っている時代といっても、キチンと結婚もしている。

 そこには、二つの大きな問題があり、一つは誰にも分かることであるが、

「子孫繁栄」

 である。

「男の子が生まれて。その子が、家督を継ぐ」

 ということで、家が続いていくということは、今と変わりがない。

 だから、一夫多妻制であっても、それはしょうがないことなのだ。

 正妻が一人に、側室が数名いる。正妻に子供ができなければ、側室に子供を望むという形である。

 そして、この時代の結婚の目的というのは、

「隣国であったり、自分たちに都合のいい領地と仲を育む意味での結婚」

 ということで、いわゆる、

「政略結婚」

 というものだ。

 これには、重要な意味があり、

「同盟を結ぶ」

 ということでも婚姻と、もう一つは、

「人質」

 という意味合いもある。

 これが、この時代の大きな特徴だったのだ。

 この時代において、いろいろ今から思えば理不尽なことも多いが、自分たちが生き残るため、そして、天下を目指すためということで生まれたさまざまな文化風習は、今とはかなり違うかも知れない。

 あの時代において言えることは、

「今の時代のように、完全に決まった社会構造において、天下を取るには、決まった方法しかないが、昔であれば、戦において、領土を増やしたり、そこには、様々な諜報行為であったり、戦が繰り広げられ。最後に天下を握る人間は、寸前にならないと分からない」

 ということだったのだ。

 歴史において、そんな戦乱の時代の次には、

「戦のない、平和な時代」

 というものがやってくる。

 その時代には、一つの大きな政府が存在する。

「朝廷」

 であったり、

「幕府」

 と呼ばれるものである。

 特に戦国時代が終わってから、江戸幕府が設立され、豊臣家が、

「大坂の陣」

 で滅んだことで、

「天下泰平の世」

 が来たということで、徳川家康による、

「元和堰武」

 というものが宣言された。

 これは、

「武器を蔵にしまい込んで、今後は戦を起こさない」

 という宣言だったのだ。

 ここに平和な世の中が成立し、実際には、幕末までの約260年間近くの、

「戦のない時代」

 が訪れたのだった。

 ただ、この時代は、

「戦はない」

 という時代ではあったが、だからといって、

「幸せな時代だったのか?」

 というと、そんなことはない。

 むしろ、

「大変な時代だった」

 といってもいいだろう。

 特に、初期というと、幕藩体制を築くために、大変な時代でもあった。

 そういえば、幕府というと、徳川時代で、3つ目となるが、以前の幕府も体制が整うまで、結構大変だった。

 鎌倉幕府はというと、頼朝死後は、北条氏による、執権政治の確立までに、まわりの御家人と、すべて滅ぼしての、北条一族による、

「独裁政治」

 というものが始まることになった。

 そして、足利幕府ともなると、元々の、

「朝廷における南北朝」

 と言われる時代が、60年近くも続いたりして、落ち着かなかった。

 徳川幕府にしても同じである。

 初期は徹底的に、諸大名の力を削ぐ形で、諸大名に、

「謀反の疑いがある」

 などと言って、改易のあらしが起こっていた。

 かつての、

「豊臣恩顧の大名」

 に限らず、何と、家康時代の初期から、いわゆる、

「三河譜代」

 と呼ばれた、古参の大名の家も、簡単に潰された。

 三代将軍家光に至っては、弟までも、改易させたくらいである。

 もっとも、

「素行の悪さ」

 というものがあり、あまりよいウワサがなかったというのも事実だったようで、真相の方は、

「何がどこまで本当だったのだろう?」

 というところである。

 そんな時代であり、改易が終ると、今度は、武士や公家に対しての。

「諸法度」

 をつくったり、

 さらには、各大名に、

「参勤交代」

 というものを義務付けることで、

「大名の力を削ぐ」

 ということも行われたのであった。

 それを思えば、

「平和な時代」

 というのは、

「戦がなくなってから、実際に成立した政府の安定が認められるまでの間に、かなりの荒療治が行われなければいけない」

 ということは、決定事項なのであろう。

 それを思うと。歴史というものは、

「繰り返されるもの」

 と言え、さらには、

「結局は、過去の教訓が、どれほど生かされるかによって、時代が変わってくる」

 というものだ。

 実際に、戦乱の時代から、やっとのことで、平和な時代の到来と、政府による、

「政治体制が確立」

 というものがなったとして、またすぐ戦乱の時代となったり。政府内部での問題が巻き起こることで、

「平和ではあるが、政治体制が、本当の平和をもたらしているか? ということは実に疑問だ」

 ということになるであろう。

 徳川幕府など、改易の影響で、街に、改易されて失業した、各大名の部下たちが、世の中に溢れ、

「召し抱えてくれる大名」

 を探すといっても、そんなところはない。

 江戸時代には、

「士農工商」

 という身分制度が確立された時代だったが、身分が高くなるからといって、

「幸福」

 というわけではない。むしろ身分が高いほど、悲惨な人生だったりする。

 武士は、年貢として挙がってくるコメが給料となるので、コメ以外の物価が上がると、困ったことになるのだ。

「武士の魂」

 と言われる、刀を質入れしてまでも、金を借り受けるということも、平気で行われたようだ。

 そうでもしないと生きていけないということであった。

 農民などは、もっと悲惨で、

「生かさず、殺さず」

 と言われ、

「死なない程度にこき使われる」

 というものだった。

 だからといって、土地を捨てて逃げるわけにもいかない。どこに行っても自体は変わらないのだ。

 飢饉であっても、年貢は普通に取られる。

 だから、役人であったり、武士で餓死する人はほとんどいなかったが、農民などの平民は、

「餓死の山」

 だったという。

 何と言っても経済や食料を支える人たちが、バタバタと死んでいくのだから、大変なことだったのは当たり前のこと。

 つまり、そんな時代において、

「あまりにも、抑えつけられることで、戦にもならない」

 というだけのことである。

 言いすぎかもしれないが、

「見せかけの平和」

 といっても過言ではないだろう。

 平和といえば、今の時代もそぅであろう。

「日本国憲法」

 に守られた国であるが、果たして、

「平和だ」

 と言えるのだろうか?

「戦争がないこと」

 というものだけが、本当の平和だといえるのだろうか?

 そんなことを考えていると、

「大日本帝国」

 の時代というのは、元々、

「諸外国からの侵略」

 に備えて、

「国を富ませて、軍を整える」

 という意味での、

「富国強兵」

 という時代に入ってくることになる。

 この考え方は、戦国期においては、

「織田信長」

 の考えに近かっただろう。

 もちろん、ほとんどの戦国武将が、似たようなことを考えていたのは、間違いないといえるのだろうが。特に信長は、

「貿易港である。堺、草津、大津などを抑え、物資の流通を握り、さらに、

「楽市楽座」

 や、南蛮との貿易において、国を富ませ、たくさんの鉄砲を手に入れることで、軍を整えるということを、あからさまにやったのだ。

 そのおかげで、畿内を統一し、天下統一までもを、ほぼ手中に収めたのであった。

 大日本帝国も似たようなものである。

「富国強兵」

 から先、時代が少しずつ歪になっていくことで、世界情勢からも、混乱の時代に突入したことで、いずれが、

「大日本帝国」

 は、軍主導となっていき、

 かの、

「大東亜戦争」

 という悲劇に突っ走っていったのである。

 そんな時代を、

「敗戦国」

 ということで、終焉を迎えたのだが、大日本帝国は、ある意味、

「あの時代を生き残るためには仕方がなかった」

 という意味で、世界の中では、一大名のようなものだったといっても過言ではないだろう。

 今の時代に横行しているのは、

「汚職や、贈収賄」

 さらには、政府の愚かな政策によっての、

「政治の腐敗」

 というものだといってもいいだろう。

 確かに、法律的なものは、拡充されているといってもいい。

 ただ、それは、大日本帝国においても、しっかりとはしていた。

 だが、

「立憲君主」

 という、今の民主国家とは、

「国家体制」

 が違うのだ。

 それを考えると、今の時代は、

「民主国家」

「自由主義」

 という言葉に騙されて、

「平和国家」

 というよりも、

「平和ボケによる、お花畑思想の国家だ」

 といってもいいだろう。

「自由というのは、その裏には、義務という言葉が背中合わせにある」

 ということを考えておかないと、誰もが皆、自由を求めて行動すれば、

「社会など、成り立つわけはないのだ」

 といってもいいだろう。

 今の世の中というのは、もっとひどいもので、今から十数年前に起こった、

「政府による、大失態」

 ということで、社会問題が起こったではないか。

「そう、年金喪失問題」

 であった。

 今まで紙ベースであったものを、今度はコンピュータ管理しようとして改めて、年金資料を確認した厚生労働省の人間が、

「あまりにもずさん」

 だといえる管理のために、いざ調べてみると、年金の目録がなかったようなものだった。

「これでよく、年金の管理ができていたな」

 というものだが、

 実際に今支払われている年金も、

「すべてが正しい」

 と言い切れるのだろうか?

 というのも、正直なところ、

「どれが誰の年金か?」

 ということが分からなくなっているのだった。

「数百万人の年金が消えた」

 などという報道があったことで、国民が自分の年金を確認しようと、税務署に押し掛けるということもあったであろう。

 だから今、

「年金定期便」

 などということで、国民にも確認させるという、一見不可解な方法になっているのだ。

 それだけ、政府も自信がないということだろう。

 そんな、

「お粗末な時代」

 というものがあったりしたのを、国民は、

「政権交代」

 という形で、制裁を行ったのだが、交代した政府も、それに輪をかけたポンコツだった。

「何もできない」

 どころか、災害が起こると、自分たちがしなければいけないことを棚に上げて、キレたりするという、とんでもない政府だった。

「なるほど、野党の時、批判しかできない政党だった」

 ということである。

「案の定だな」

 と思ったのは国民だけではなく、そもそもの元与党もそうだろう。

「どうせ、何もできずに、放っておいても、政権は戻ってくる」

 と思ってると、本当に一期で戻ってくるのだから、

「本当にお笑い種だ」

 といってもいいだろう。

 そんな時代において、国家というものは、

「国民に対しては何もしてくれない」

 いや、まず

「国民の方を見ていない」

 自分たちがよければ、それでいいという考えが蔓延っているということである。

 もちろん、政府にすべてを期待してはいけないのだろうが、政府は、国家であるということもあり、せめて、

「安心」

 という担保だけでもあれば、かなり違うのに、そんな政府が国民に対して安心を与えるどころか、保身しか考えていない。

「政治家を守るためなのかどうか分からないが、官僚が自殺をする」

 などという事件が起こったと思ってビックリしていると、

「そんなの、日常茶飯事さ」

 という人がいる。

「ニュースになる前に、政府が緘口令をしくのさ」

 ということであり、

「どれだけ政府が汚い存在なのか?」

 ということが浮き彫りになるのだ。

 それを思うと、

「政府なんて」

 といって、愚痴をこぼしたくなる。

 だから、

「政治離れをする人は、若者だけに限らなくなっている」

 と言えるのではないだろうか?

 知り合った離婚から、十数年が経ったが、今までに、好きになった女性は何人かいる。

「出会い系」

 とまではいかないが、

「お友達募集」

 というようなサイトで、メール交換のような形で知り合った人で、

「会える距離」

 ということで、知り合った女性がいたが、その女性とは、離婚後2年後くらいに初めて知り合った女性だった。

 その人は、遭ってから、何度か食事に行ったりもしたが、本当に友達という感じだった。

 といっても、正直、一緒にいても楽しくない。

 もっとも、友達ということであれば、結構いろいろ知っている人だったので、勉強になるという意味ではよかったのかも知れない。

 しかし、実際に話をしてみると、完全に相手は、

「上から目線」

 で、話をしても、

「何が楽しいんだ?」

 としか思えなかった。

「女性と一緒にいて、何が楽しいというのか?」

 ということを、忘れさせるような人だったのだ。

 遭う前のメールのやり取りでは、そんな雰囲気はなかった。

 声を聞くわけではないので、やり取りに、

「声の抑揚」

 などというものが、あるものがあるわけではない。

 それを思えば、

「会ってから感じることは、無限の可能性くらいにあってもいいものだ」

 つまりは、

「最初から。そんなことを考えるだけ、体力のムダだ」

 といってもいいかも知れない。

 しかし、

「人と出会う」

 というのは、

「このドキドキを味わいたいからで、がっかりすることもあるだろうが、だとしも、問題にしなければいい」

 と言えるのではないだろうか?

 その人が、自分の好きな人になるかどうか、そんなことは最初から分からないのと同じで、もし、違っていたとしても、がっかりすることはない。もう一度他の人を探せばいいだけだ。

 その人が、自分の理想で、

「どうしても手に入れたいと思ったのに、その通りに行かなかったとしたら、そのショックは計り知れないかも知れない」

 ただ。それだって、

「本当は勘違いなのかも知れない」

 と少しでも感じれば、また違った感覚が芽生えてくるのではないだろうか?

 そんな上から目線の女性だったが、最初は、それでも、嫌だという感じはしなかった。

 もちろん、途中から、

「鬱陶しい」

 と感じるようになったのだが、その人の話を聴いていると、どうしても、

「説教臭い」

 という感じがしてくるのだが、別に嫌だという感じはしてこないのだった。

 その説教は、自分がいつも考えていることと、結構リンクしている気がする。

 いろいろな角度から見た時、その方向性に共通点を見出せるのだ。

 それを思うと、ただ、

「鬱陶しい」

 という感覚になるというのは、何かが違っているような気がする。

 だから、相手に。

「オンナを感じたことはない」

 もっとも、女を感じていたとすれば、その人から言われたことに共感もしなければ、本当に、ただ、

「鬱陶しい」

 としか思わないだろう。

 そう思うと、

「この人とは、長くない」

 と思うと、なるほど、お互いにどちらからも連絡をすることもなく、自然消滅だった。

 これまで、

「現在に至るまで、俺が自然消滅した女は、この人だけだな」

 ということであった。

 ただ、自然消滅しかかったことはあった。その時感じたのは、

「お互いに、相手と話をするのが、億劫」

 というか、

「お互いに、何を話し手いいのか分からない」

 と思うからに違いないのだった。

 実際に、その時の女性の言っていたことで、結構、心に響いたこともあって、今でも覚えていることもある。それが、今の自分を形成しているといってもいいのではないかと感じ、

「誰かと付き合うのって、覚悟がいるっていうけど、付き合いたいと思う時点で、覚悟しているわけだから、それ以上の覚悟っていらないのよ。でも、そう思うと、最初の覚悟が自然と消滅していくので、継続の意味で、覚悟をどこかでしなければいけないということは正当であり、その気持ちがないと、まずうまくいくことはない」

 という言葉が、一番印象に残っている。

 この言葉が、彼女の言い分であり、

「彼女の性格そのものを表している」

 と感じるのだった。

 そう、自分がこれまでに付き合ってきたと思っている女性は、

「結構、自分のことを理解している女性が多かった」

 そのいい分には、まるで自分のことを言っているようで、それを聴くと、

「なるほど、分かる気がする」

 と言えるのではないだろうか?

 それを考えてみると、

「私には、好きになる人を引き寄せているような気がする」

 という意味で、

「好きになる魔力」

 と呼んでいた。

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