自己バーナム
森本 晃次
第1話 離婚まで
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年4月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。このお話は、真実っぽい過去の話はあっても、あくまでも、登場する国家、政府、関係者、組織は架空のお話になります。国家や省庁で、どこかで聞いたようなところも出てきますが、あくまでもフィクションです。
日下部真一が、最後に女性を好きになったのはいつのことだっただろう。
日下部は、今年で50歳に突入し、そろそろ、身体としても、限界というか、老化の減少が、音を立てて忍び寄っていることを、ひしひしと感じられるようになってきたのだった。
そんな日下部は、バツイチだった。25歳から付き合っていた女性と、30歳手前で結婚し、3年という短い間であったが、結婚生活を営んだ。
「まだまだ、新婚だ」
と思っていたにも関わらず、別れることになったのだが、その理由は、正直分からない。
結婚生活よりも、交際期間の方が長かったわけで、交際期間は、いつもラブラブだった気がする。
「あの二人は、いずれ結婚する」
とまわりは、信じて疑わなかったし、
「それがいつになるか?」
ということだけで、
「時間の問題だ」
と言われていたのだった。
もう少し経つと、
「長すぎた春」
と言われていたことだろうが、実際に結婚したことで、
「ちょうどいいくらいだったんじゃないかな?」
と言われるようになっていた。
結婚しようと思うようになると、結構いろいろ面倒なこともあった。
まずは、
「どちらの親から挨拶に行くか?」
という問題という問題であったが、
「基本的に、まずは、もらい受けたい側である、女性側の親から挨拶に行く」
というのが、普通のようだ。
だが、今から、20年も前のこととなると、ネットで検索する習慣ができる少し前くらいだろう。
それほど、情報が充実していたというわけでもないので、調べたとしても、ハッキリとした回答が得られたかどうか、定かではないだろう。
それでも、
「普通に考えて、女性側から」
ということで、女性の親に挨拶に行った。
その時は、相手の親もいい人で、そもそも、
「友達」
ということで、元々顔も知っていたし、たまに、
「食事でもしていきなさい」
と言ってくれていたので、緊張はしたが、
「いずれ、義父になる人だ」
ということも考えていたので、
「ありがとうございます」
といって、
「お言葉に甘えていた」
のだった。
そのおかげで、女性側の親には、スムーズに話ができた。
「こうなれば、もう、心配はないだろう」
と二人とも、安心していた。
彼女の方も、男性側の父親と面識もあり、
「いい娘じゃないか」
という、
「お墨付き」
のようなものを貰っていたのだった。
だから、男性側の許しは簡単にもらえるのはもらえたが、どこか、父親は何かに引っかかっているようだった。
母親が、少しして、その理由を教えてくれた。
「お父さんは、あなたが、先に向こうの親に挨拶に行ったことが気に入らないのよ」
というのだ。
父親は基本的に、
「物分かりのいい人」
ではあったが、たまによく分からないところで、期限を壊すことがあった。
どこかに、着火点があり、その着火点がどこにあるのか分からないということもあり、その時に日下部には、少なからずの戸惑いがあった。
それが、ストレスにつながったのだが、
「まさか、こんな子供のような理由で、ご機嫌斜めになるなんて」
と、怒りというよりも、呆れといってもいいかも知れない。
明らかに、
「怒りは通り越した」
といってもいいだろう。
それでも、そんなことは、状況になんら支障のあることではないだけに、結婚の準備は、順調に整った。
そのほとんどは、日下部が、そつなく動いたことで、最初は、
「俺に、ちゃんとできるだろうか?」
と考えていたが、果たしてどうだったのだろうか?
結婚のための準備は、そつなく動いたおかげで、必要以上のストレスが溜まったわけではなかった。
というよりも、実際に動きが取れたことで、結婚までに、
「ニュートラルの時間」
というものがなく、一気に進むことは、却って、事を一気に運べることで、まわりも
「あれよあれよ」
という間にうまくいくのではないだろうか?
それを思うと、
「俺は、うまくできたんだよな」
とは思ったが。さすがに一人でやれば、きつかった。
彼女は、
「すべてお任せします」
ということで、元々が引っ込み思案だったということで、彼女が表に出てくることはなかった。
それでも、日下部はすべてをこなした。
といっても、目に見えていることをという意味で、もちろん、これだけあれば、ちょっとした忘れはあるだろう。
それを分かっていて、日下部は、
「俺にとって、すべてを任せてもらえるのは、男冥利に尽きるというものだな」
と感じ、任せてくれた彼女に、お礼が言いたいくらいだった。
その時の彼女が、
「本当に頼りになる人だから、私もできるだけ協力するけど、やってくれるのはありがたい」
と思ってくれているのか、それとも、
「私にはできないから、ちょうどいい。やりたいのであれば、やらせておけば、それでいいんだわ」
と思っているのかによって、ニュアンス的にはまったく違うが、それでも、結婚前の期が高ぶっている時なので、何でも、前向きに見えるというものだ。
日下部にも彼女に対して、思っていることがあった。
彼女が無口なところがあるのは、付き合い始めた時からのことであって、最初からそんな彼女のことを分かっていたということもあって、
「彼女が、何も言わないというのは、実際に、困ったことはないということであり、本当に困ったことがあれば、俺に相談するはずだ」
ということであった。
しかも、彼女は性格的に、
「石橋を叩いて渡る性格」
ということで、
「本当に困る」
ということは、なかなかないだろう?
と思えたのだ。
実際に、彼女に限って、大きな間違いがあったことはなかった。どちらかというと、
「急いては事を仕損じる」
というような、慌て者と称される日下部と違って。下手をすれば、
「石橋を叩いてでも渡らない」
というほどの人なので、本当に心配することなどないといってもいいだろう。
まだ、結婚して間もない頃などは、
「一緒に暮らせば暮らすほど、その性格がハッキリと見えてくるのは、素晴らしいことだ」
と感じた。
普通は一緒に暮らしていると、相手のいいと思っていたところが、実は、
「そうでもない」
と見えて、がっかりさせられるものだが、彼女の場合は、そんなことはなかったのだ。
どちらかというと、
「さらに、しっかりしている」
ということが分かったもので、それを手放しに。
「すべていいことだ」
として、考えてしまったのは、却ってよくなかった。
人間の性格というのは、何事も、
「表に見えていることが、その人の性格ということであって、かならず、同じ事象でも、裏というものが存在するのではないだろうか? それが見えていないと、ロクなことはない」
と、学生時代に、何度となく経験したはずだったのに、肝心の結婚ということになると、自分でも忘れてしまっていたのだろう。
自分の思い込みというのが、
「相手にプレッシャーをかける」
ということもあった。
あれは、中学時代であったが、
「好きでも何でもない子と、同じ班になることが多かった」
というのは、同じクラスの女の子で、クラスのホームルームでは、実戦形式の時が多く、その時に、
「班構成で課題をこなす」
というようなことがあったりした。
その時に、別い意識するところまでは、なかなかいかなかったのだが、最初にどっちが意識したのだろうか? どちらかが意識をすると、相手にもそれは伝わるもので、それまでとは、違った関係に発展して行ったのだった。
それでも、すぐに、
「好きだ」
というような感覚になったわけではない。
どちらかというと、
「どんどん、気になって行く」
という感覚が強く、時として、
「好きになるという感覚よりも、徐々にでも、相手の気持ちが伝わってくることで、最初かあら、お互いの気持ちが繋がっていた」
と感じると、
「最初から好き同志だったのではないか?」
と感じるのであろう。
お互いに、
「相手のことが好きだ」
とは言っても、まったく同じ強さということはないだろう。
必ず、どっちかの方が気持ちは強いもので、そうなった時、時間が経つにつれて、力の強い方が、
「押しつけ」
のように見えて、逆に少しでも弱いと、
「脅迫観念」
のように感じられるのではないだろうか?
もちろん、受け取る方の、感受性の強さにも問題があるのだろうが、一方が全体として強くなると、お互いに好き合っているといっても、このバランスの崩壊により、気持ちが微妙に変わってくるといえるのではないだろうか?
特に、そのことに気付かぬまま、時間が経過していけば、お互いに分からないうちに、
「何かが違う」
と感じるようになるのだろう。
特に、
「バランスが崩れた」
ということは、結構大きなことなのかも知れない。
それが、思い込みということであれば、場合によっては、相手にプレッシャーを与え、それがトラウマにでもなったりすれば、なってしまったことで、どのように対応すればいいのか分からずに、下手をすれば、
「相手は、こちらに固執するかも知れないが、こっちは、なるべく関わりたくない」
というほどの距離ができてしまうと、相手に、
「あの人はストーカーだ」
と言わんばかりに思わせてしまうかも知れない。
お互いにそんなつもりはなくても、
「押しつけ」
というものが、相手にプレッシャーを与え、その挙動不審な状況を、相手はさらに心配になることで、どうしていいか分からなくなり、相手にはそれが、
「パニック」
を起こさせるようになってしまうと、すでにそこからは、
「収拾のつかないほどの距離を、お互いに取らせることになる」
といっても過言ではないだろう。
それを思うと、二人にとって、
「どこですれ違ってしまったのか?」
ということが分からないと、気付かない間に、距離は遠のいてしまい、永久に、相手の姿を捉えることができなくなってしまうことであろう。
男と女の話において、
「ストーカー」
という言葉は、少しキラーワード的な様相を呈している時があり、
「その言葉の持つ意味」
というものを考えさせられたりする場合があったりする。
特に、
「犯罪」
というものに絡んでいるので、問題は大きいのではないだろうか?
昔にも、なかったわけではないが、言葉として、
「ストーカー」
というものが定義され、社会問題として、規制する法律ができたことから、
「ストーカーというのは、悪いことだ」
というのが、定着していった。
確かに、ストーカーというのは、その言葉が示す通りの行動をとっている人間は、許されるものではない。
相手に恐怖を感じさせ、その時点で、自由を奪い、束縛しているのである。
しかも、その裏には、
「命の危険」
が孕んでいるということもあるではないか。
もっと悪いことには、確かに、法律もできて、規制もできるようになったにも関わらず、その犯罪は決して減っているとは言えない。
むしろ、
「どんどんと増えて行っている」
といっても過言ではないだろう。
もっといえば、
「法律ができたとしても、その法律によって、すべてを取り締まれるか?」
というと、そうではない。
法律ができる前から、ストーキング行為の問題はあった。
究極において、
「殺人を犯してしまえば、ストーカーだろうが、そうではないだろうが、問題になるのは、殺人罪」
だからである。
いくら法律ができたとしても、抑止としての効果や、相手に行動制限を掛けることはできるだろうが、犯罪として問題になるようなことは、警察の行動力があってこそ、伴うというものだ。
しかし。実際に警察が動くというのは、
「ストーカー被害者」
というものが、警察に相談に来た時、携帯電話の番号を登録し、
「通話がなくとも、その電話から発信があれば、緊急連絡扱いとして、位置情報を限定し、急行する」
というような登録をしてもらったりはしている。
発信があっても、何も言わない場合も考えられなくもない。犯人が、電話を壊したりして、話ができないようにする可能性があるからだ。
昔の、逆探知などと違って、瞬時に、位置情報の確認はできるだろうから、そのあたりは、昔に比べて、まったくスピード感は違っているだろう。ただ、急行しても間に合わない可能性は十分にある。そういう意味では、
「警察力には、自ずと限界がある」
ということである。
しかも、警察というところは、
「何かがなければ、動かない」
というのが、昔からいわれていることであり、特に、
「被害届」
「捜索願」
の類は、
「事件性がなければ、まず警察は動かない」
というのが、当たり前のことになっているのであった。
要するに、
「殺人事件でも起こらなければ、動かない」
ということであり、
「殺人事件が起こってからでは遅い」
ということで訴えているのに、これでは、
「本末転倒ではないか?」
ということになるのであった。
警察というのは、どうしても、
「公務員」
ということもあって、我々一般市民から見ると、
「我々の税金で賄っているのだから、市民をどんなことをしても守るのは、当たり前のことではないか?」
というのも、正論であろう。
しかし、裏で政治にかかわっていたり、政治家と関わっていることで、身動きが取れないということがある。それは言い訳としても、許されることではないが、これが裁判などになると、
「公正さ」
ということを考えなければならず、警察は、犯人をただ逮捕すればいいというわけではなく、基本的に、
「犯人を逮捕」
し、犯人の供述や証拠などから、
「その場で何が起こったのか?」
という真実を明らかにすることで、それを調書として作り上げ、検事が起訴することで、後は裁判に任される。
検事と弁護士が、それぞれ持ち寄った情報で、さらに、事実を明らかにしていこうというものだが、実際に検察側から提出される情報の中には、警察での取り調べや、刑事による捜査によって得られた証拠が提出され、さらに、弁護士側から、情状証人であったり、被告が、不利益にならないための証人が用意されたりする。
ちなみに、弁護士というのは、その仕事の主旨としては、
「依頼者の利益を守る」
というのが最優先である。
勘違いされがちではあるが、弁護士というのは、
「正義を追求する」
というのが仕事ではない。
ということは、
「犯人が明らかに犯行を犯していると分かっていても、あらゆる証拠を用いて、法律の穴を探して、無罪に持っていくのが、仕事だ」
ということになるのだ。
下手をすれば、
「どんな手段を用いても、合法であれば、人情であったり、モラルや道徳よりも、依頼者の弁護を引き受けた時点で、被告の利益を守るのが、最優先となる」
ということである。
被害者に非がないとしても、非があるかのように少しでも見える第三者の証人を探してくるなど、原告側からすれば、あるいは、
「傍聴している人たち」
あるいは、
「裁判を見守っている第三者」
から見ても、明らかに許されないと思えることでも、弁護士の仕事は、
「依頼者の利益を守る」
という意味なので、いくら世間を敵に回しても、
「裁判で勝たなければ、弁護士としての立場はない」
ということになるのだろう。
「弁護士というものが、どういう仕事なのか?」
ということ一つを考えても、どうも、裁判制度や、警察の捜査や、
「市民を守る」
ということを考えれば、
「どこまでが、正当なことなのか?」
と考えれば、
「警察や、弁護士など、信用できない」
という人がいるのも当然のことである。
どうしても、日本の法律は、
「被害者側に対しての配慮に欠ける」
とずっと昔からいわれ続けているのは、法律の問題なのか、それを扱う、
「行政」
であったり、
「司法」
の問題なのか、実に難しい解釈となるであろう。
そんな司法、行政も、どうしても、お金がかかる、
「弁護士」
を雇ったり、
そもそも、加害者側の家族が金持ちで、会社経営をしていて、その顧問弁護士と昵懇ということであったり、
「顧問弁護士が、その力を、日ごろから、その家族のために発揮している」
というようなところなのでは、
「またか」
ということで、金が動いて、弁護士がまたしても、暗躍するということになるのだ。
うまく示談にまとめたりするのだろうが、そもそも、犯罪をもみ消すということなので、家族も、
「そんな理不尽なことはできない」
といっても、結果としては、被害者が、
「裁判に出頭し、聴かれたくもないことを聴かれ」
本来であれば、
「早く忘れたい」
と思っているようなことを、思い出さされ、下手をすれば、
「心的外傷後ストレス障害」
いわゆる、
「PTSD」
なるものを発症しかねないというわけである。
PTSDというのは、
「悲惨な経験で、子悪露に深い傷を負い、その時の不安や恐怖がよみがえってくる」
という病気である。
まさしく、今回の事案は、これになりかねないものであり、それだけに、
「慎重に対処しなければいけない事例」
なのである。
その時の感情に任せて、結果として、被害者を必要以上に苦しめてしまうことを思えば、ここで、金をもらい、ある程度の保証を付けた示談にしておらった方が、下手に裁判を起こし、
「早く忘れたい」
ということを、またしても、
「被害者を火中に投じるようなマネをしてはいけない:
と言えるだろう。
特に、
「性犯罪」
ともなると、相手の弁護士から、どんな質問が出てくるか分からない。
何といっても、その現場での事実解明から、罪の確定を行うのが裁判なのだから、告訴した時点で、被害者として、証言をする義務が生じるのだ。
相手は、無罪に持っていきたいということで、
「こちらが、合意の上だった」
ということを何としても証明したいだろう。
そうなると、ちょっとしたことでも、
「こちらも、覚悟ができていた」
というようなことを引き出そうと、生々しい記憶を引き出そうとする。
被害者としては、思い出しただけでも、パニックになりそうな状況を作り出しただけでも、相手側は、
「成功だ」
と思うだろう。
まわりが、被害者のことを、どんなに、
「可愛そうだ」
といっても、被告側も、罪に問われたり、弁護士としての失敗を咎められるわけにはいかないので、必死になるというものである。
必死になったとしてっも、裁判的には仕方のないことで、事実がすべてにおいて一番強い、加害者側が、
「事実だ」
と認定されれば、それが事実だということになり、有罪となっても、十分な情状酌量となるだろう。
被害者が、そんなにまでして起こした裁判で、何かを得られたとしても、裁判での苦痛に比べれば、まったくたいしたことではないのは明白だ。だから、こういう犯罪は、ほとんどが示談となり、裁判にまで発展しないということが、多かったのだ。
日下部が離婚したのは、まだ、新婚気分が抜けないと思っていた時期だった。
離婚を言い出したのは、女性側からのことで、当の本人である日下部には、完全に、突然のことであった。
「どうしてなんだ?」
と聴いても彼女は何も言わない。ただ、その目はこちらを睨んでいた。
「何とか説得しないと」
と思って考えているうちに、彼女は実家に帰ってしまう。
「実家でも、説得してくれているだろう」
と思い、実家のご両親に一縷の望みを賭けてみたが、それで話が好転するはずもない。
むしろ、向こうの家族では、日下部は敵状態だったのだ。
なかなか帰ってこないので、迎えに行くつもりで、彼女の実家を訪れた。
「出てきた手前、迎えに行かないと、帰りづらいんだ」
と思っていた。
「きっと彼女は、こちらが迎えに行ったことで、口実ができて、戻ることができる」
というくらいに思っていたので、
「迎えにいくと、喜ばれる」
などという、
「お花畑」
のような発想を持っていたのだった。
普通なら、そうは思わないだろうが、日下部がそう信じて疑わなかったのは、
「自分には離婚の理由が思いつかない」
つまりは、
「離婚される理由なんかないんだ」
という思いがあったからだ。
日下部が彼女の家に行くと、彼女は自分の部屋に引きこもって出てこない。
母親はさすがに説得に向かうのだが、それでも、願として出てこない。
リビングで、父親と差し向えで待っていると、次第に緊張していく。てっきり、歓迎されるかと思っていたところ、父親は、腕を組んで目を瞑ったままだったからだ。
「何だ、これは? 想像していたのと違うぞ」
と感じ、まるで自分が、
「まな板の上の鯉状態」
にあるということを、思い知らされたのだった。
母親もさすがに娘の殻が硬いということを思い知ってか、階下に下りてきた。
「はぁ」
といってため息をついているが、父親は、それでも微動だにしない。
まるで分かっていたかのようではないか?
それを考えると、
「俺はとんでもない勘違いをしているのではないか?」
ということに、やっと気づいたといってもよかった。
すると、急にこの場にいるのが、恐ろしくなり、
「消えてしまいたい」
と思った。
確かに、最初この家に来るのに、覚悟のようなものは決めていたつもりだった。
「もし万が一ということもあるからな」
という思いであったが、そんなものは、本当の万が一であり、
「ただ、心の準備として、しておくだけでいいんだ」
と思っていた。
だが、事態は、その最悪の場面へとまっしぐらだったようで、まるで四面楚歌の状態に、一人で乗り込んでくるという、まるで、
「ドン・キホーテ」
のようなものではないか?
と考えさせられるのだった。
そんな心の大きな変化だったが、まわりから見れば、
「そんなこと、分かりっこない」
と感じていた。
しかし、やはり、この緊張の糸に張り詰められたこの場面で、気付かれないわけはないだろう。
「四面楚歌だ」
と思った瞬間、さっきまで、微動だにしなかった義父が、
「ピクリ」
と動いたような気がした。
「娘は、君にも分かっていると思うが、こうと決めたら動かないところがあるからな。それは私たち親であっても、どうすることもできないことも往々にしてあった」
と言い出した。
日下部は、
「えっ? 何をこの場面で?」
と感じた。
まさか、想像もしていなかったことだからだ。
もし、彼女がすぐに帰らないとしても、まずは何があったのかを聴かれると思っていたからである。
きっと、彼女は、
「両親には、自分の気持ちを話している」
と感じたからで、そうなると、もし、離婚することになるとしても、片方だけの話を聴いていては、
「片手落ち」
ということで、
「こちらの言い分も聞いたうえで、二人から事情を聴こうというのが、普通なのではないだろうか?」
と考えていた。
それが、順当な離婚を切り出した二人に対しての対応だと思っていて、
「ここの両親は、それくらいのことはできる」
と思っていたのだった。
そう思っていただけに、こちらの話を聴こうという意思がないことは、最初からまったく想像と違っていて、自分でもビックリしたのだ。
それを思うと、
「一体、どういうことなのか?」
という戸惑いと、
もうすでに、
「説得できる段階を過ぎてしまったのではないか?」
と思うと、今度は腹が立ってきた。
「俺の知らないところで勝手に離婚を決意し、勝手に突っ走ってしまって、当の本人である俺を置き去りにしておいて、娘は頑固だからとでも言わんばかりの態度には、ほとほと怒りを通り越して、呆れた気分にさせられた」
といってもいいだろう。
「真一くんは、娘の性格は分かっていると思うが、どうだね?」
という。
真一は戸惑ってしまった。
「この質問は何なのだ? 額面通り、娘の性格を分かっているのか? ということで、遠回しに、離婚の理由を聴きたい」
ということを考えているのか? それとも、
「原因が何であれ、もう何もかもが手遅れだ」
と言いたいのかが、その段階では判断ができなかった。
日下部は、この期に及んでも、離婚の理由が分からない。
しいていえば、
「分からないということが、彼女には許せないのかも知れない」
とも考えた。
「離婚を思いつくまでに、徐々にストレスのような鬱積したものが溜まっていたのかも知れない」
つまりは、
「時間をかけて積み重ねてきたものがあるのを、旦那はその状態になるまで、考えようともしてくれない」
と思っていたのかも知れない。
しかし、旦那の方とすれば、
「何も言ってくれないのだから、分かるはずもない」
と思っているのだろう。
奥さんの方からすれば、
「こっちが、一生懸命に考えているのだから、あなたも、そのつもりで考えてよ」
と思っているのだろうし、旦那の方からすれば、
「話してくれないと、分かるはずないじゃないか?」
という考えでいるところから、まったく走っている線路が違っていたのだ。
「じゃあ、これは平行線なのか?」
ということである。
少しでも近づいていれば、
「どこかでまた、元通りになる」
と旦那の方は思うのだが、奥さんの方は、そうでもないのだ。
これは、学生の頃、彼女と別れてから、割り切れるようになった頃になってその友達が言っていたことであったが、
「オンナというのは。何かに思い悩む時は、なるべくまわりに知られないように悩むもので、実際に別れを切り出した時には、もうその覚悟は決まっている場合が多いのではないか?」
ということを言っていた。
男というのは、そういう女性に対して、
「何かあれば、話してくれるだろう」
というポジティブにしか考えられないのだ。
「何も言わずに、苦しんでいる」
ということすら分かっていないのだ。
女の方とすれば、
「私がこんなに苦しんでいるのに、声をかけてもくれない」
と、さらに感じることで、旦那との距離がさらに遠くなってしまうということを感じることだろう。
しかも、奥さんの方からすれば、
「旦那の考えていることなど、手に取るように分かる」
と思っているに違いない。
そう思うから、割り切ることができるのであり、その時には、
「離婚」
ということに、決意は決まっているのだった。
実際に離婚を決意したことで、実家に戻ってくる。旦那に対しては、
「離婚を考えている」
ということと、
「実家に帰る」
ということを書いた手紙を、テーブルの上に置いて、さっさと帰ってしまったのだ。
実家までは、すぐだったので、実家に帰るくらい、実に簡単なことだった。二人の実家の近くにわざと住んだのは、お互いに、
「両親を安心させたい」
という思いと、
「同居できないのをこういう形で正当化しよう」
という言い訳に近い形だったのだ。
実際に、両方の実家には、よく遊びに行っていた。
「どちらの家にも公平に」
というのは、当たり前のことで、
ただ、奥さんの方は、
「母親が、少し通風の気があるので」
ということで、奥さんの予定が空いている時に、実家に顔を出すということがあったくらいである。
そういう意味では、それぞれの実家や、親に対しては問題なくやっていた。
奥さんは、日下部の実家でも、喜ばれていたし、日下部の方も、女房の実家にいくと、喜んでもてなしてくれたものだった。
別に、
「早く孫の顔が見たい」
などというプレッシャーもなかった。
「こういうのは、授かりものだから」
といって、擁護してくれるくらいで、至れり尽くせりの、それぞれの実家だったといってもいいだろう。
日下部の方は、それだけに、離婚の原因が分からない。
奥さんの実家に赴いて、まるで、
「まな板の鯉」
のごとく、その場で凍り付いてしまったかのようで、何もできないでいると、
「私は、娘がどうして、実家に帰ってきたのかという理由は、ハッキリとは聞いていないし、まったくの想像でしかないので、何も言えないが、真一君には、離婚の原因について、自分なりに考えられることはあるのかね?」
と聞かれたので、
「いいえ、それがまったくないんですよ」
といって、少し前のめりに答えた。
それは、
「理由を知らない」
という両親も自分と同じように知りたいと思っているからだと感じたのだ。
しかし、実際には正反対で、
「私には分からなくても当然だが、君に分からないでどうするんだ?」
ということが言いたかったのかも知れない。
つまりは、
「同じ分からないということであっても、君と私とでは立場が違うんだ」
と言いたいのだろう。
それも、
「結婚したいといってきた時、私のこれまで娘を育ててきた立場を君に継承したわけだから、ここで分からないというのは、無責任だ」
と言いたいのだろうと思うと、日下部は、顔から火が出るほどに今の自分が恥ずかしいと思うのだった。
それが、義父の目を瞑って何も言わなかったのは、
「口を開けば、怒り心頭になるのではないか?」
と感じたからではないだろうか?
もし、口を開いて、罵詈雑言を浴びせていたとすれば、その後いくら冷静になったとしても、お互いに決まづくなり、何も言えなくなってしまうことだろう。
それを考えると、
「もうどうすることもできないところまで来ているのではないか?」
と感じるようになり、
「最初は、あわやくば、両親に自分の味方になってもらい、説得して帰らせようと思っていたのだが、それが正反対である」
ということが分かったのは、父親の次のセリフを聴いたからである。
「今まで、父親を睨んだことがなかった娘が、今回帰ってきた時、こちらが、咎めたわけでもないのに、睨みを聞かせてきたのを見た時、これはただ事ではないと感じたことからだった」
という。
「それだけ、彼女は思い詰めていた」
ということだろうか?
「私たちは、それを見た時、今ちょうど、自分の中の気持ちを整理したんじゃないかと思ったんだよ。人というのは、何を言われても、腹を立てる時期がある。それは、すべてにおいて百パーセントの時じゃないかと思うんだ。少なくとも、何かあった時、その絞殺範囲が決まっているとすれば、その境界線ギリギリまでいくことはない。つまり境界線が見えないにも関わらず境界線より、かなり手前だと感じるのは、それだけ、余裕をいうものを見たいと思っているからではないだろうか?」
と父親は言った。
それを聴いた日下部は、
「なるほど、必ず、元に戻るだけの余力を残した状態で、生活しているということになるのではないか? と考えるんですよ」
というのだった。
「そうなんだ」
だが、それは女性側の方で、男性側は、どちらかというと、
「ゼロか百か?」
ということを考えているのではないか?
そう考えると、
「旦那である、自分にも、その理由が分からない」
ということになると、
「娘が頑固だ」
ということなのか、
「夫である彼が、分からなければいけないことを分かってあげられないということが問題だということなのか?」
ということが、問題となるのだった。
「確かに結婚してから、すぐに別れる」
ということでよく言われる、
「成田離婚」
というものよりはマシだと思う。
しかし、だからといって、
「娘が実家にいきなり戻ってきて、父親を睨みつけるような状況は、いいわけではないだろう」
というのが、父親の考えだった。
明らかに、あの目は、
「放っておいて」
という思いと、
「私の気持ちは誰にも分かるはずがない」
という苛立ちの想いとが重なったものではないか?
という義父は感じているようだ。
一見。
「相反するもの」
というような気持ちを表した様子に思えるが、その実は、その根底で繋がっているのではないだろうか?
しかも、相手は自分の父親だ。
ただでさえ、
「理解してほしい」
といつも一番に感じていた父親なので、余計に、睨みというものが、その両極性をいかに映し出すかということをも思わせるのであった。
「複雑な表情ではなく、睨みつけるという、強烈であり、インパクトのある表情ではあるが、その根底を理解してくれるのは、肉親である両親しかいない」
と考えたのだ。
少なくとも今回のことで、
「やはり、旦那と言えども、他人なんだ」
ということである。
「結婚したから、同居しているから」
といっても、気付かないところは気づかない。
それは、
「血のつながりのない二人が結婚したからといって、血が混じり合うわけではない。もし、まじりあうのだとすれば、それは子供が生まれた時であり、その性格は、
「子供に受け継がれる」
ということになるだろう。
「DNA」
などという、
「身体の設計図」
といっても過言ではない、
「遺伝子」
というものが、受け継がれるのは、子供でしかないのだ。
そういう意味で、結婚してから、子供が生まれる。子育てともなると、どうしても、
「母親の仕事」
ということになる。
今でこそ、男性も育児休暇ももらえたり、
「イクメン」
などという、
「育児をする男子」
という意味で、男が子育てに参画すうrというのが、もはや当たり前になってきた時代において、
「世の中の男性としては、イクメンなどと言われ、ちやほやされたり、肝心な時に助けてくれないくせに、こんな時だけ、会社に補助をする政府」
というものを、毛嫌いしている男子も少なくないだろう。
そんなことをするから、女性は図に乗って、
「男性が育児もできない」
と、言い出す女性も多いことだろう。
奥さんが実家に帰ってからというもの、離婚が成立するまでに、約1年が掛かった。日下部が、
「ゴネた」
というのも当然のことであった。
何といっても、
「離婚の理由はハッキリとしない」
というのが、その一番の理由だったからで、
「理由も分からないのに、どうして離婚しなければいけないのか?」
ということであった。
実際に、その頃には、
「離婚しない理由が何なのか?」
と考えるようになっていた。
「最初の頃は、どうして離婚しなければいけないのか?」
ということを探していたはずなのに、なぜか、いつの間にか、
「離婚をしない理由」
という方に、その理由への責任転嫁というものを考えるようになっていたのだ。
「何かの理由」
というと、
「その何かという方と、反対の方に近づいたから、そう感じるのだ」
といってもいいだろう。
「なぜ、離婚しないといけないのか?」
というのは、
「離婚をしたくない」
ということから、始まっているもので、
「離婚しない理由」
というものを考えているのは、
「離婚をしたくないから」
という意義を考えるからであった。
最初から、視点が変わったということであり、それだけ今は、
「離婚という方向に追い込まれているからだ」
といってもいいだろう。
それは、相手が完全に離婚というものを既成事実のように作り上げていて、
「離婚しないための理由を考える」
ということで言っていたものが、今度は、まわりがどんどん、離婚の方にその立場を固めていくことで、
「離婚しなければいけない理由」
というものを考え、今度はそれを否定する理由を考えなければ、離婚というものに引っ張り込まれるということになるのであった。
いくら待っても、女房が帰ってくる気配はない。
「嫁さんの実家に行ってみると、どうも、向こうは、離婚を望んでいるようだ」
としか思えなかった。
奥さんの両親に、
「味方になってもらおう」
などというのは、とんでもなくおこがましいことであった。
相手の家族は、どっちに転ぼうとも、
「娘の幸せ」
しか願っていない。
そのためには、離婚ということになっても、仕方がないと思っているので、考えるというのは、
「円満離婚」
であろう。
いくら離婚が正しい選択だと思ったとしても、これが、
「拗れた離婚」
ということであれば、非常にまずい。
「再婚するにしても、この時の混乱がトラウマとなって、次回もまずいことになるのではないだろうか?」
と考えるとすると。
「離婚というのは、これほど厄介なことはない」
と言えるのではないだろうか。
結果、1年近く経ったうえで、先に進まないということで、
「調停離婚」
へと相手方は乗り出したのだった。
調停離婚というのは、離婚に相手が応じないのであれば、調停ということを家庭裁判所に持ち込めば、そこで、男女それぞれに、
「呼び出し状」
のようなものが届く、いわゆる、
「出頭申請」
といってもいいだろう。
ほとんど同じ日になるのだろうが、お互いに出張には、ちょうどいい日程を調整しての出頭になるだろうが、基本的には、まず、原告(訴えた方)が先に話をするという形になる。
調停委員というような人が、話に出てくる、男女二人組ということになる。
というのは、男女ともに、話を聴くわけなので、それぞれの代表が調停員となるのは当たり前のことで、特に夫婦間のことなので、
「男女で話し合いには、男女が立ち合う」
というのは当たり前のことであろう。
調停委員が、男女ともに話を聴くのだが、夫婦であっても、立場としては、
「被告と原告」
ということになる。
したがって、調停が成立するまでには、夫婦であっても、二人が遭うということはありえないのだ。
つまり、最初に、原告側の意見を聞いて、それを被告側に伝える。
彼らのように、離婚を被告側が頑なに拒否している場合は、意外と、調停に持ひこむと、コロッと離婚に傾くことがある。
というのも、日下部氏のように、離婚に応じられない理由に、
「離婚しなければいけない理由が分からない」
ということにあり、男としては、まず考えるのは、
「自分は、結婚前や新婚時代の楽しかったことを思い出すので、奥さんも思い出せば、離婚と思いとどまる」
と思っているところがある。
しかし、奥さんの方とすれば。そうではなく、
「そんなことは、実家に帰る前に、散々考えた」
と言いたいのだろう。
「オンナが何かを言い出す時というのは、すでにその気持ちはかたまっていて、逃れることができない」
というところまで来ている時である。
つまりは、それから旦那が考えようとすることは、すでに奥さんは通り過ぎてきているわけで、旦那がこれから考えようというのでは、
「時すでに遅し」
ということだ。
つまりは、
「調停に持ち込むということは、奥さんからすれば、形式的なことの最終高いだ」
ということである。
調停委員から、
「もう奥さんの心は先に行っているので、あなたも、これからの将来を見ればいい」
という言われ方しかしない。
「もうこの期に及んで、元に戻ることはない」
ということである。
そこまでくるとさすがに旦那の方も、覚悟を決めるしかない。実際に、身体の力は完全に抜けていて、もうどうしようもないとことも、欠片ほどに残っていた一縷の望みも、まったくなくなったわけだ。後は、財産分与の問題だけだった。
子供がいないので、親権、養育費の問題はない。後は財産分与だけで、その話が終れば、後は、裁判所側で目録を作成し、それをそれぞれで持って、分与を行えば、それで、離婚成立ということになる。(原告側は離婚届に何もサインをした覚えはないので、離婚調停の文書が、離婚届の役割をするのではないだろうか?)
というのが、離婚調停である。
これは、完全に形式的なことだといってもいい。もっとも、あんな場面い引きつり出されると、ほとんどは、やり直すなどということは皆無だと思い、気持ちも冷めてしまうだろう。
「こんなところに引っ張り出しやあがって」
という気持ちになるのであった。
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