第28話 最高のメリークリスマスを君に(後)


 高校生という立場を重々わきまえた、模範的で健全な男女を演じようという事前の打ち合わせは、もはや反故ほごになったらしい。

 

 当然のことながら、社長殿は鬼の形相でこちらを睨んでいる。俺が身に覚えのない罪に問われ困惑していると「そんな恐い顔しないでよ」と高瀬が言った。


「お父さんだって、十代でお母さんのことを妊娠させたくせに。その責任を取らされるかたちで高瀬家に婿むことして入ったことくらい、とっくに知ってるんだから」


「優里、今それは関係ないだろう」

 どすの利いた声とは裏腹に、高瀬父は決まりが悪そうだ。

 

 話が逸れていきそうなので、俺が口を開くことにした。


「優里さんは今、とても充実した高校生活を送っているんです。良い友人たちにも恵まれています。『小便臭い』とおっしゃるかもしれませんが、彼女は今、冒険の途中にあります。まだまだ多くのかけがえのない宝を手に入れられるはずです。それなのに、ここで中退というのは、あまりにも彼女がかわいそうです」


 高瀬が続く。

「お父さん、お酒の席とはいえ、彼に言ったんだよね? 『娘が惚れている男を連れてきたら、結婚を押し通す自信がない』って。鳥海家に入って花嫁修業をするなんて、結婚と変わりないよね? ……はい。連れてきたよ。惚れている男」

 

 高瀬父はあごを手で撫でながら、それに答えた。

「『私が認めざるを得ないほど、立派な男だとしたら』そういう条件も、たしか付帯ふたいしていたはずだが?」

 

 それを言われると、俺は押し黙るしかない。一介の高校生に過ぎない俺の社会的地位なんて、彼にとっては無いに等しいはずだ。


「悠介は、お父さんに似てるんだよ」と高瀬は隣で言った。「お父さんも若い頃は苦労したんでしょ? 居酒屋で会ったならもう知ってると思うけど、彼はご両親がいない中、それでも大学進学を諦められなくて夜遅くまで働いているの。私がそんな彼に惹かれるのは、きっと、お父さんに近い何かを彼の中に感じたからなんだよ」

 

 うまい、と俺は内心で彼女を称賛した。おそらくたいていの父親は、娘にそういう言い方をされたら悪い気はしないはずだ。


 案の定、正面のいかつい顔からはけわしさが薄れた。

「優里、安心しろ。私は悠介のことを買っているんだ。なかなか見所がある男だと、居酒屋で会った時から思っていた。お前が惚れてしまうのもわからなくもない」

 

 それだけじゃないでしょ、と俺は心でつぶやいていた。どう考えても“昔好きだった女の息子”というバイアスがかかっているはずだった。


「とりあえず、おまえたちが互いをどれだけ想い合っているか、それはよくわかった」高瀬父は咳払いをひとつ挟む。「しかし今回の件は、私の一存でどうにかなるものでもないのだよ。どうにかなるのなら、とっくに手は打ってある。だいたい私だって、優里にはせめて高校くらいは卒業してほしいと思っているのだ」

 

 俺は言った。

「そもそも、どうしてトカイはこんなに不自然なくらい合併を急いでいるんですか? 本当にタカセヤの業績が落ち込んでいるからという理由だけなんですか?」


 それを聞くとタカセヤ社長はどういうわけか嬉しそうに目を細めた。

「いいところに気がついた。それは建前というやつだ。実はトカイにはいくつか不正の疑惑がある。会社が倒れるような大きなものではないが、それでもそれらが明るみに出れば、おのずとこちらの発言力が強くなる。そうなる前に合併してしまった方が、より強い実権を握れると向こうは考えているのだ。一口に合併と言っても、実態は、社内に社長室がふたつ出来上がるようなものだからな。将来を見据えた駆け引きはもうすでに始まっているのだよ」


「本音と建前」と俺は言ってみた。


「そういうことだ」高瀬父は渋い顔でうなずいた。「もちろん今私が説明したような本音はトカイ側は誰も口にはしないさ。代わりに連中が合併を急ぐ大義名分として挙げたのが、西町にしまち店の大不振だ」


「西町店ですか」

 

 俺の家から最も近いタカセヤの店舗がそこだ。今思えば滅多に利用することがない。それもそのはずで、なんとなく便利が悪いのだ。市民の誰よりタカセヤに肩入れしている俺でさえそう感じてしまうのだから、目の厳しい一般市民などなおさらだろう。


「あのあたりはこの10年で大きく変貌を遂げた」と高瀬父は経営者の顔になって言った。「それまではキツネが闊歩かっぽする原っぱ同然の地域だったが、宅地が整備されたことにより住民が増えはじめると、集客を当て込んで、続々ライバル店が出店してきた。結果、西町店は激しい競争にさらされ、客を他店に奪われることとなった。私たち経営陣が"お荷物店舗”としてさじを投げていた部分も否めない。トカイの言い分はこうだ。『西町店の売上げの落ち込みは、タカセヤさんの凋落ちょうらくの象徴です。我々が思っている以上に事態は差し迫っている。さぁ取り返しの付かないことになる前に、合併を急ぎましょう』」


「筋は通っているね」と高瀬は冷静につぶやいた。

「悔しいがその通りだ」と彼女の父親は言った。「いくら社長という立場にあるとはいえ、一店舗の売上げを劇的に改善させるなんて芸当は私には不可能だ。それがましてや西町店では」

 

 重い沈黙が社長室に漂い、俺は海の底にいるような息苦しさを感じていた。考えがまとまらない。名案が浮かばない。話す言葉が見当たらない。

 

 自分の無力さを呪っていると、隣で高瀬が口を開いた。

「西町店の売上げが好転すれば、私は高校を辞めないで済むってことだよね?」

 

「トカイ側が西町店に絞って今回の話を持ちかけてきた以上、そういうことになるな」


「だよね」娘は父に対し笑みを向けた。「トカイさんの言い分を逆手に取れば、『西町店の売上げさえ上向きになれば、タカセヤ自体が復調している』ということになるはずだよね?」


「ははっ」彼は愉快そうだ。「優里の言う通りだな。違いない。それで充分にこちらの理は通るはずだ。少なくとも合併を前倒しする理由は消滅する」


「ねぇお父さん。具体的にどのくらい西町店の売上げが改善されれば、トカイさんは黙る?」


「そうだな。年の瀬で財布の紐が緩む時期だということを考慮に入れても、例月比20%アップが実績として達成できれば、トカイは引き下がるしかないはずだ」


「20%ね。わかった」

 高瀬はしっかりうなずくと、一度こちらを見てから、とんでもないことを口にした。

「私たちが西町店を立て直してみせる」


「えっ!?」俺は二の句が継げない。


「おいおい、そうは言っても20%上昇は楽なことではないぞ」社長は断言する。「それができないから、我々はこれまで苦労してきたんだ。高校の購買部の決算とはまるでわけが違う。まさしく『言うは易く行うは難し』だ。優里、お前に何か策はあるのか?」


「細かいことはいいの! とにかく、私たちがなんとかするから!」

 

 高瀬父は本気さを吟味するように娘の顔を観察していたが、すぐに、やれやれといった具合に肩をすぼめ、俺に視線を転じた。

「悠介!」

「はい」


「最後に、ひとつだけ聞かせろ」

「はい」


「……その、どうなんだ。お前は将来、優里のことを幸せにできるのか?」

 

 全身が勇み立つ感覚があった。背筋を伸ばし、彼女の手を強く握り、俺は言った。

「優里さんを幸せにできるのは、世界で僕ただ一人です。彼女の未来には僕がいて、僕の未来には彼女がいます!」


 ♯ ♯ ♯


「作戦成功ってことで、いいんだよね?」

 隣の席から高瀬が声をかけてくる。

 

 俺たちはタカセヤ本社を後にして、上りのバスに揺られていた。時刻はまだ夕方だが、街はすっかり暗くなっている。冬だ。


「そうだな」と俺は答えた。「ひとまず、解決の糸口は見い出せたわけだから」


 状況が厳しいことに変わりはないが、それでも完全な袋小路に追い詰められ、にっちもさっちもいかないというわけでもない。隙間から漏れ出るほのかな光はきっと、抜け道の存在を俺たちに教えている。


「それにしても、神沢君があんなに演技が上手だとは思わなかった」

「え」身体が固まる。


「私、何回もドキッとしちゃったよ。お芝居なのに……ね」


「あれは芝居なんかじゃなかったから」

 冗談めかしてそう言って、高瀬の反応を楽しむ選択肢もあったけど、気まずくなりそうなのでやめておいた。降りるバス停はまだはるか先だ。ただ、せっかくなので、「どの台詞に一番ドキッとした?」と尋ねてみると、「最後のやつかな」と返ってきた。


「単純だと思われるかもしれないけれど、ああいうのは心に響いちゃうな。私も女だから」

 彼女の頬はぽっと染まっているから、たまらず頬ずりしたくなる。


「あの後、社長殿に『小便臭い』と笑われた」


「そんなの気にしなくていいんだよ。お父さん、すぐにああやって人のこと小馬鹿にするんだから。えっと、たしか、『優里さんを幸せにできるのは、世界で僕ただ一人です。彼女の未来には僕がいて、僕の未来には彼女がいます』……これ、覚えとく」

 

 一言一句間違うことなくそらんじた高瀬に驚きつつ、俺は「忘れてくれよ」と哀願していた。全身がくすぐったくて仕方ない。

 

 それからしばらく、高瀬は無言で窓の外の風景を見ていた。バス停を二つ過ぎたところで彼女は口を開いた。

「神沢君。ひとつ聞いておきたいんだけど、今日以外でお父さんと会ったのって、本当に居酒屋での一回だけ?」

 

 質問の意図がよくわからなかったが、とりあえず「そうだよ」と正直に答えた。「どうしてそんなことを聞くの?」


「うん……。それにしては、やけに神沢君に親しみを感じていたようだから、お父さん。まるでずっと昔から知っているみたいだった」

 

 この身体を構成する遺伝子の半分は誰のものであるかを考えれば、それはあながち的外れな所感ではなかった。高瀬の父親は高校生当時、俺の母に強く恋をしていたのだから。

 

 今頃彼は社長室の椅子の上で“運命”という言葉について深く考えているかもしれない。


「どうしたの、神沢君。難しい顔して?」

 

 今や高瀬も俺たちの出生に秘められた真実を知るべきだった。遅かれ早かれ、どうせいつかは知ることになるのだ。

「高瀬。とても大切な話がある」と俺は切り出した。「実は俺の母と、高瀬の父、それから柏木の父は――」


 ♯ ♯ ♯


「これ、作り話じゃないんだよね?」高瀬はなかなか瞬きができない。

 

「作り話でもましてや俺の妄想でもない。これはすべて事実だ。俺と高瀬、それから柏木は生まれる前から、ただならぬ縁で結ばれていたんだよ。もっと詳しい話を知りたければ、後でお父さんに聞いてみればいい。きっと今ならば、包み隠すことなく教えてくれるはずだ」


「信じられない――」

 高瀬は前髪をかき上げたまま制止し、絶句した。それからノートを取り出して、そこにこの奇妙な関係性を書き記しはじめた。

 

 上段に、左から「高瀬直行なおゆき」、「有希子さん」、「柏木恭一さん」と現れ、下段には同じく左から、それぞれの子が並ぶ。つまり、「私」、「神沢君」、「晴香」だ。

 

 高瀬は「高瀬直行」から「有希子さん」に向けて一方通行の矢印を伸ばし、そこに「片想い」と書き添えた。そして「有希子さん」と「柏木恭一さん」の間を双方向へ向かう矢印で結ぶと、少し悩んでから、「両想い」と書き込んだ。

 

 彼女は言った。

「私のお父さんと神沢君のお母さんが一緒になったとしても、おかしくなかったんだね」


「そうだよ」と俺は図を見ながら答えた。本当にその通りだと思った。「実際俺の母親は、この相関図には登場しない男と結婚することになったわけだから、何かひとつでも歯車が違って動いていたらそれも充分にあり得た話だ」


 高瀬は口を真一文字に結んで、六名の登場人物が記されたノートをじっくり見つめた。それから思いも寄らないことを口にした。

「神沢君の“未来の君”って、やっぱり……」

 

「突然どうした?」


「有希子さんと柏木恭一さんは、互いに強く惹かれ合っていた」

 高瀬は両者をつなぐ双方向の矢印を指でていねいになぞる。

「一度は離ればなれになったけれど、それでも再びめぐり会って共に生きていく運命にあった。そして残されたのは二人の子。それが神沢君と晴香」


 彼女の人差し指は、ノートの下段へ移動する。


「これって、神沢君と晴香も残された者として強い運命で結ばれていると考えるのは、ちっともおかしいことじゃないよね。そして占い師は“未来の君”は、“運命の人”に置き換えられるとも言った」

 

 そこで高瀬は視線をこちらへ向け、消え入るような声で続けた。

「神沢君の“未来の君”は、晴香なんじゃない?」


 そんなことはない、と即座に否定することはどうしてもできなかった。夏に海で柏木から真実を聞かされてからというもの、俺もそう考える機会が増えていたからだ。

 

「神沢君」と高瀬は言った。「もしかして、私が邪魔になってない? 本当はもっと、晴香に話すことや、確認しなきゃいけないことがあるんじゃないの? 私とこうやって過ごす時間が、負担になっているんじゃないの?」


「なに言ってんの」と俺は言った。「俺はいつだって、自分の行動は自分の意思で決めている。高瀬がそんなことを不安に感じる必要はまったくないよ」

 

「でもね。神沢君が幸せになるためには、“未来の君”の女の子と一緒に生きていかなきゃいけないんだよ? そうでしょ?」

「老占い師が言うのは、そうらしい」


「そしてこれまでも占いは当たってきた」

 俺はうなずくしかない。


「だったら、“未来の君”は一体誰なのか、もう少しきちんと考えながら、時間を使うべきじゃない? 神沢君、幸せになりたいんじゃないの?」

 

 焦燥感に駆られる高瀬とは対照的に、思いのほか俺は冷静だった。

 

 冷静に、もしも今彼女とふたりきりだったら、と考えていた。もしそうならば、ひと思いに抱きしめていただろうな、と。


 そして「もう何も面倒なことは考えなくていいよ」とやさしく伝え、彼女を拘束するすべての鎖を断ち切るのだ。


 しかし今俺たちが実際にいる場所は、一年の疲れを背負った人々を乗せたバスの中だ。それは叶わぬ抱擁ほうようだった。

 

 俺が空想にひたっている間、高瀬はじっとこちらを見つめていた。

 

 黒く輝く瞳が、小振りで知的な鼻が、幼さの残る唇が、何もかもが愛おしかった。


 俺は気づけば彼女の手に自分の手を重ねていた。そして口を開いた。

「高瀬。俺は、決して母親とは同じ過ちを繰り返さない。この一連の悲劇は、俺の代で終わりにする。俺は自分の手で幸せをつかむ。必ず」


「神沢君」と高瀬はつぶやく。言葉はそれ以上続かなかった。それでいいよ、と俺は思った。


 街はクリスマス一色だった。


 バスの車窓からはきらびやかなイルミネーションが見える。


 赤信号で停車中、今まさに自宅の庭でもみの木に電飾を飾りつけている、スーツ姿の中年男が目に留まる。

 

 きっと愛する家族にその大仕事を請け負う約束をしてしまったのだろう。


 青信号になりバスが動き出したので、通じないと知りながら、心でエールを送ってやった。「お父ちゃん、がんばれ」


 12月24日。

 

 その日がタカセヤ社長が定めた、俺たちの未来を懸けた提案に対するタイムリミットだった。


 すなわちその日までにタカセヤ西町店の売上げ・例月比20%アップが実現できなければ、俺が強く想いを寄せる人は、高校を辞めて鳥海家に入るということだ。言い換えれば、二人の未来は閉ざされるということだ。


 12月24日。

 

 高瀬の横顔を眺め、思う。俺は二日遅れの誕生日プレゼントを贈ることができるだろうか? そして、最高のメリークリスマスを君に届けられるだろうか?


 この冬は俺たちにとって、どうやら試練の季節になりそうだ。

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