第17話 空の色が見え始めたのかもしれない(前)
「あれ、反則でしょ」
月島がテーブルに
血色が良く健康的な四肢と精密なくびれは、浜辺に数多くいる水着姿の女性の中でも、ひときわ目立っている。
プレーの度、ぶるんぶるんと胸が揺れ、よくあれで肩が凝らないなと感心してしまう。スパイクが決まり、飛び跳ね、喜ぶ。胸が揺れる。ぶるんぶるん。
♯ ♯ ♯
野外フェスから一週間が経過し、俺たちは列車で三時間かけて海にやってきた。お盆休みだからなのか、夏期補習も一旦中断らしい。
6月あたりから「悠介、夏は海だ」とまるで「春は曙」のようなトーンで太陽は常々言っていたわけだけど、まさかそれが葉山家が海を見下ろせる別荘を所持している事実に裏打ちされた台詞だったとは、思いもしなかった。
バンド活動の慰労と、結果的にうまく事が運んだ感謝を兼ねて、今夜は宿泊地としてその別荘を使わせてくれるという。この浜辺から見える最も大きな白い邸宅がそれだ。その
今さらだけど、俺の友人は、ちょっとスケールが違う。
若い五人が海に来たというのに、水着を持ってきたのは柏木と太陽の二人だけだったあたりが、いかにも俺たちらしい。
「晴香の一人勝ちになっちゃうもん」と、高瀬は水着を持ってこなかった理由をもじもじ説明した。
月島も(彼女のことだから、男の視線をいたずらに集めたくないというのがあったんだろうけれども)それにうなずき、俺は、そもそもカナヅチだ。
三日前くらいから、高瀬の水着姿を見た際にどんな表情を作りどんな言葉を掛けようか、鏡の前で試行錯誤していたわけだけど、結局時間の無駄となってしまった。勝ち負けはさておき、その姿をまぶたに焼き付けたかったのがそりゃあ本音だ。
彼女たちの名誉のために言っておくと、高瀬と月島は決してスタイルが悪いわけではない。柏木が高校一年生の女子にしては規格外なのだ。
金魚の品評会に
俺は金魚の慎ましい可憐さというか、毎日見ても飽きない美が比較的好きだけども。
♯ ♯ ♯
「美味しい」という高瀬の声が聞こえたので、隣を見ると、彼女は熱々のイカ焼きをふうふう言いながら頬張っていた。
純白のワンピースをまとって串刺しのイカ焼きをかっ食らうその姿は、どこかミスマッチという印象が拭えないけれど、反面とてもいじらしく思える。
水着を持たない我々はビーチパラソルの作る日陰の中、左から高瀬、俺、月島という順でチェアに腰掛けて、とりとめのない話をもうかれこれ30分近く続けている。
小腹が空いてきたので、海の家でそれぞれ食べたい軽食を買ってきたところだった。
唐突に「やっぱり柏木はオレンジだな」と口にしたのは、月島だ。
見れば柏木は浜辺で尻もちをつき、水着の食い込み(!)を手で直していた。鮮やかなオレンジ色のビキニは挑発的で、全身の10%も覆えていない。大胆だ。けしからん。
「水着の話か?」と俺は言った。
「違うわい、スケベ男」月島は呆れて焼きそばをすする。「あの子の色はオレンジだって言ってるの」
高瀬が身を乗り出す。
「月島さん、『あの子の色』ってどういうこと?」
「私ね、人の色が見えるんだよね」
気持ち悪がらないでね、と前置きして月島は続けた。
「人のことを見ていると、その人を主人公にした、ひとつのシーンが思い浮かぶようになるんだ。長い時もあるし短い時もあるけど、とにかく、なんだか映画的な情景が。そして必ずなにかの色を伴っている。きっとさ、その人を象徴する色ってことなんだろうね」
「あいつの場合、それはオレンジなんだ?」と俺は言った。
「そゆこと」
「へぇ」高瀬が興味を示す。「なんか面白そう。晴香はどんなシーンの主人公なんだろう」
「柏木はね、砂漠で窃盗団を追っている」と月島は言った。「あ、みんなもいるよ。砂漠の王国から委託を受けた私たち五人は、それぞれバイクに乗って、おんぼろ車で逃げる窃盗団を追いかけている。向こうは三人。割れた窓からマシンガンとかで発砲してくるから、私たちはそれをかわす。ひゅんひゅん!」
「なるほど。たしかに映画みたいだ」
俺がなにげない相づちを打つと、月島はなぜか冷めた目で見てきた。
「あのさ、つまらないことを言い出すのはよしてね。どこの王国だよ、とか、免許ないよ、とか、そもそもバイクが砂漠を走れるのかよとか、そういう現実的なこと。しらけるから」
わざわざ釘を刺されなくたって、ある程度の遊び心を携帯して海にやってきたつもりなのだが。
「俺、そういうつまらないこと言いそう?」
高瀬に意見を求めると、彼女は無言でひとしきり考え、後付けで微笑みを浮かべた。そうですか、と心でつぶやく。
「月島さん。それで、どうなるの?」高瀬が話の続きを促した。
「砂漠の途中に国境があってね。そこは越えるな、ってあらかじめ王国に言われてるの。隣国とはあまり仲が良くなくてなにかと面倒になるから。追走むなしく、私たちは残念ながら窃盗団を国境の向こうに逃してしまいます。やむを得ず、葉山氏がみんなに号令を掛けます。『ここまでだ』」
「柏木は黙ってないんだろ?」と俺は言った。
月島はうなずいた。「もうね、一人だけ目の色が違うのね。『何が国境よ、ダメなものはダメなのよ。人様のモノを盗んでいいわけないでしょう』そういきり立って、彼女はみんなの制止を振り切ると、バイクを走らせて国境を越える」
「晴香っぽい」高瀬がしみじみ言う。野外フェスの記憶がよみがえっているのだろう。
「国境を抜けると、そこは、盗賊団のテリトリーだった」
なんとなく聞き覚えのある名文のように月島は言った。
「結論から言うと、柏木は盗賊団に捕まってしまいます。周到に張り巡らされた罠に呆気なく引っ掛かって。『そら見たことか』と神沢と葉山氏は頭を抱える」
きっとその窃盗団のメンバーはみんな
月島はポーカーのディーラーみたいに両手を広げた。「さあ、どうする?」
俺は高瀬と顔を見合わせた後で代表して「ま、助けに行くでしょ」と答えた。
「助けますよね」月島は指を鳴らした。「そう。仕方がないので、私たちも国境を越えて、窃盗団のアジトまで追っていって、激しい銃撃戦の末なんとか柏木を救い出します。王国から盗まれた金銀財宝も回収します。
ただ、四人の怒りは収まらない。特に神沢と葉山氏。もうね、柏木を縛って、神沢のバイクの後ろにくくりつけて、引き回しちゃいます。巨大な太陽がさんさんと照りつける夕暮れ時の砂漠の中を。その光景はまさに、オレンジ一色なのでした」
「喜劇って、ことでいいんだよね?」高瀬がくすくす笑いながら言った。
「そうそう。あんまりマジメに考えないで。深い意味はないから」
俺は波打ち際に視線を動かした。柏木おまえ、月島の頭の中でひどい扱いを受けているぞ、と内心で言わずにはいられない。
一対一での対戦が味気なくなったのか、柏木と太陽は、すぐそばで同じく二人で遊んでいた小学生くらいの男女(おそらくは兄妹だ)に誘いかけ、柏木は男の子と、太陽は女の子とチームを組むと、二対二でビーチバレーの対戦を再開した。
さっそく太陽がサービスエースを決め少女とハイタッチする様子を眺め、俺は口を開いた。
「月島。それって、太陽バージョンもあるの?」
「あるよ」彼女は即答した。「彼は明るい緑。若草色っていうのかな?」
高瀬は手を叩く。「あ、なんとなくわかるかも」
月島は脳内にチャンネルの切り替えを指示するように数度瞬きをして、話し始めた。
「一面の芝生が広がる丘の上を、葉山氏は昼寝ができそうな場所を探して歩いている。気持ちのいい、よく晴れた日の午後だ。青空が広がり、小鳥のさえずりが聞こえる」
浜辺に目をやれば、太陽はまさしく「快活で面白いお兄ちゃん」といった感じで、柏木チームの少年を遊び半分で
月島は続ける。
「しばらくして、葉山氏の前には立派な幹の木が現れる。見ればちょうど彼の背丈に適した木陰ができている。葉山氏はそこで横になると、両手を枕にして、そっと目を閉じる。風が前髪を
「爽やかすぎてムカムカしてきた」と思わず口にしていた。もしこれを本人出演で映像化して鳴桜高校の集会で流してやったら、太陽のファンは卒倒するんじゃないか。
しかしこのショートストーリーはここで終わりではなかった。月島は俺に首を振って、「発情した猫がね」と言葉を継いだ。発情した猫?
「意中の猫を追っかけて、その幹を駆け上っていくの。それで木の上で
「それで終わり?」俺が尋ねた。
「それで終わり」月島はもう一度ニャーと鳴いた。
高瀬はイカ焼きを食べた。そして口元についたソースを拭って言った。
「月島さん。私のもあるのかな?」
「高瀬は白じゃないか?」と俺は予想してみた。彼女が純白のワンピースを着ているせいもあるだろう。
「いやいや高瀬さんは赤だよ」と月島は当然のように言う。「白だの赤だのワインみたいだが、とにかく高瀬さんは赤。それも深くて濃い赤」
彼女はラムネで喉を潤してから、見える情景を話し始めた。
「高瀬さんは赤いドレスを身にまとって、赤いハイヒールを履いている。場所はヨーロッパのどこかの国のバー。そして大勢の観衆の中、ダーツで街のゴロツキと対決している。高瀬さんの最後の一投に勝負の行方は
月島は実際にダーツの矢を投げるふりをする。その姿はなかなか様になっている。
「矢は見事、的の真ん中に命中する。高瀬さんの勝利。歓声と拍手が巻き起こる。口笛を鳴らして勝利をたたえる人もいる。勝負を終えた高瀬さんは静かに去って行く。コツンコツンとヒールの音を響かせて。途中、誰かが投げ込んだ一輪の真っ赤な
なんとなく不穏な空気を感じるのは、柏木と太陽の前例があるからだろう。
ここまでは良いのだ。
問題はこの先で、今までの傾向からすると麗しきレディは落とし穴にでもはまってしまうのではと予測したが、「そこで終わり?」という高瀬の問いに「うん」と月島がうなずいたので、肩透かしを食った。
皆が皆、コミカルなエンディングを迎えるわけではないらしい。
「ブラボー」俺はバーの観客の一人になったつもりで手を叩いた。
「なんか恥ずかしいね、これ」
そうは言っても、高瀬はまんざらでもないみたいだ。頬には赤みが差している。
月島がフランクフルトをくわえながらじっと俺を見つめていた。流れからして今度は俺のエピソードを語る気だな、と構えていると案の定「神沢の色はね」と言い出したので、慌てて
「いいって、俺のは」
しかし高瀬がそれを許さなかった。
「だめだよ、神沢君だけずるい。月島さん、言っちゃえ」
「モノクロだね」と月島は言った。
「モノクロって、月島おまえ……」
てっきりまだ出ていなくて、なおかつ男性的な色、つまりは、青とか黒を想定していただけに俺は二の句が継げない。
「見えるんだから仕方ないでしょ。黙りんしゃい。とにかく、神沢がいるのは白黒の世界」
月島は脚を組んで続けた。
「そこは時計もベッドも机もない、殺風景な部屋だ。窓はあるけど、カーテンは閉められている。狭く、暗い。神沢はそこで体育座りして、力なく部屋の一点を見つめている。そして誰に聞かせるわけでもなく、ぼそぼそ言うの。『俺はもうだめだ』、『どうしたらいいんだろう』みたいなのを、延々と」
「ぷっ」と誰より先に反応を示したのは、俺が思いを寄せる娘だ。見れば口を手で覆い、必死で笑うのを堪えている。肩が小刻みに震える。
「おい、高瀬?」
「それ、すごい、わかる」彼女は俺に申し訳なさそうな、しかし最終的には愉快さが勝った声で言った。「わかる、わかる」と繰り返す。
「わかっちゃうのかよ」と俺はぼそぼそ言うしかない。
「でもね、不思議なんだ」月島は本当に不思議そうな顔をした。「最近はなんだか、水色が差し込んできてる。まだまだ薄いけどね」
「その、俺がいる映像に?」
月島はうなずいた。
「もしかするとさ、誰かが部屋のカーテンを開けてくれたおかげで、空の色が見え始めたのかもしれない」
俺と高瀬はどちらからともなく顔を見合わせ、それから視線を逸らした。気まずいったらない。
「それにしても」月島が俺の心境を汲み取ったように口を開いた。「本当に元気だよな、柏木って」
浜辺では依然として、即席のタッグによるビーチバレーが続いていた。
聞こえてくる声によれば、どうやらかき氷を賭けているらしく、先ほどより一つ一つのプレーは熱を増していた。柏木はスパイクを決め、少年とハイタッチを交わす。太陽は明らかに息があがり始めている。
「一人だけずっとあんな感じだよね、朝から」
高瀬が感心と呆れの混じった声色で言った。彼女はおそらく列車の中で一人だけ昂揚して、三時間の間ずっと喋り続けていた柏木を思い出している。
「搭載されているエンジンが違うんだろ。俺たちより三倍くらい性能が良い」
「柏木晴香はスポーツカー」と月島が発言したことで、今度は五人を車の種類で
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