第16話 君の手を引いて、暗い森を抜ける(後)


 柏木のMCは如才じょさいなかった。


 まずは『Pleasure of life』が尻切れトンボになったことを詫び、決して俺と月島を責めるでもなく、うまいこと話題を次の曲の『夏風邪』に切り替えた。


 元々人目を引く素質が備わっているし、愛嬌あいきょうもある。こういうことをやらせたら右に出る者はそうそういない。


 様々な失敗談で会場の笑いを誘い、ときどき舞台袖をうかがい、月末の花火大会の話題なんかを持ち出したりして、本当に15分間、場をつないでしまった。


 半分は走りながら、半分は観客席で、俺はそれ聞いていた。こちらから見ると、柏木はさながらトップアイドルのようにも思えた。

 

 高瀬を先頭にして、五人が舞台袖から登場する。柏木は入れ替わるように袖へとはけていく。途中、高瀬とすれ違った際に、肩に手を置き何かを語りかける。口の動きまではもちろんわからない。でも高瀬の表情が少しほころんだのはわかって、この局面に来て二人のわだかまりは少しは解消されたのかと俺は推し量った。


「なんだよ、あの元気な娘、歌わないのかー」

 そばにいる若い男のお客さんが残念がる。

 

 その友人らしき、やはり若い人が「あれ、今度のボーカル、さっきキーボード弾いてた娘だよな」と返し、「どっちもかわいいよなー」と二人は顔を見合わせた。


「かわいいだけじゃ、ないんだぜ」と心で言っておく。

 

 高瀬がマイクスタンドの前に立ち、太陽を加えたノーホラの面々も、慣れた所作で準備を進めていく。チューニングが終わり、会場が水を打ったように静かになる。ボーカルの高瀬は言う。

「どたばたしてしまって、本当にごめんなさい。これが今日最後の曲になります。聴いてください。『夏風邪』です」


 キーボードの穏やかなイントロで曲は始まる。そこにギターとベースが加わる。上手い。楽譜を見ながらの演奏ではあるけれど、そんなことに目くじらを立てる観客はいない。先ほどの失態の後だけに、上質な音楽を、みんな求めている。


 太陽のドラムが入るのと同時に、高瀬の歌唱が始まる。


 君の温もり 風が運んで

 私の中に 居場所をつくる

 緑の季節に 交わした言葉

 時間を止めて もう消えないで


 

 俺は驚いた。

 高瀬は大観衆に怯えることなく、音程を外すことなく、見事に歌い上げていく。


 

 いつかどこかで失くしてきた自分

 君の中でだけ 生き続ければいい

 

 あの日手を伸ばした光 もう掴めないのかな

 心のまま歩けたなら どんなに素敵だろう

 扉を開いて 君は私に 手招きするの

 今靴を履くから そこで待っていて


 

 一番が終わり、会場から拍手が起きる。

 曲がバラードだけに、穏やかで、夕凪のような拍手だ。俺は瞬きすることも忘れ、壇上の女神に見入っている。


 間奏ののち、二番が始まる。


 

 夢の中でも 星に願った

 君の光が 消えないことを

 雪が溶けて 春が来るように

 涙の後は 笑顔でありたい


 たとえかげろうのような命だとしても

 彩りのある世界を 見せてくれたから


 あの日手を伸ばした光 もう届かないのかな

 真白なまま歩けたなら どんなに幸せだろう

 暗い森で 私は迷って 君を探すの

 靴を履いただけじゃ どこにも進めない


 

 曲調に合わせ、観客が体をゆらゆらと揺らしている。はたから見るとまるで波のようだ。とても不思議な気分だった。自分の作ったメロディが3500人を動かしている。そして高瀬が自分と共同で作った歌を舞台で歌っている。


 俺は生涯、この光景を忘れることはないんだろう。


『夏風邪』はいよいよ、最後のサビに突入する。野外フェスもクライマックスだ。


 ここまで来れば、演奏ミスの心配はない。


 太陽もちりちりパーマも、水を得た魚のように活き活きとした演奏を見せる。そつなくこなしてくれた、地味目な二人にも感謝だ。


 転調があり、高瀬の声が乗る。

 


 時間はとても意地悪で いつも私を苦しめるけど

 今なら顔を上げられる そんな気がしてるんだ


 

 感情の高ぶりを抑えながら、そういえば、と俺は思い出した。そういえば高瀬は、歌詞の最後にどんなフレーズを記したのだろう?


 聞き逃さないように、俺は意識を彼女に向ける。


 

 夢見人だって 誰かが笑っても

 私を支えているのは――


 

 最後を強調させるべく、一瞬、メロディが止まる。静寂が広がる。太陽のドラムを合図に、高瀬は、その言葉を紡ぎ出した。


 ――君がくれた 約束だから


 ♯ ♯ ♯


 フェスの全てのプログラムが終了し、俺はギターを背負い、星空の下を歩いている。

 

 夜の街はとても静かだ。隣には、高瀬がいる。家が近い順に一人一人離れていった結果、はからずも彼女と二人きりになってしまった。

 

 言うまでもなく、未来同盟は入賞することができなかった。ノーホラも然りだ。ただ、「ハプニングを乗り越え、急ごしらえながらも、見事協力して演奏した」点が評価され、両者には「10周年記念特別賞」なる栄誉(?)が与えられることになった。


 ちりちりパーマが「そんなもの俺は要らねえ、姉ちゃんにくれてやる」と言ったので、そのトロフィーは現在、高瀬の右手にある。

 

 彼女は街灯を頼りにそれをしげしげと見つめ「なんとなく神沢君っぽい」と口にした。


 なんの事かと思い俺もトロフィーをよく見ると、そこには気難しそうな顔立ちの青年がギターを弾く姿がかたどられていた。確かに俺に似ていないこともなかった。

 

 俺は苦笑して言った。「持とうか?」


「平気」高瀬は、トロフィーを中身が少なくなったヘアスプレーみたいに振ってみせた。「これ、すごく軽いの」


「10周年記念特別賞、光栄なことで」と俺は言った。「でもちゃんとこうして賞を取っちゃうあたりが、高瀬なんだろうな」


「自分でも感心してる」

 トロフィーを月にかざし、高瀬は微笑んだ。そしてオール5の通知表を眺めるようにそれを見つめた。

「これ、ヒカリゴケの隣に飾るね」

 

 秘密基地の棚に、ということだろう。季節を経るごとにあの棚にはこうやってモノが増えていくのだろうか。


 彼女は言った。「でもさ、良かったよね。仲直りできて」

 

 それは一体誰と誰のことを指しているんだろう? と考えを巡らせていると、高瀬は慌てて「あ、葉山君たち」と付け加えた。

 

 俺はうなずいた。

「なんだかんだ言っても、最後は丸く収まるんだもんな。一体どうなってるんだろう」


 * * *

 

 フェスの表彰式が終わり、控え室で帰宅準備をしている俺たちの元に、東京の芸能事務所の社員さんが顔を出した。彼は真夏だというのに上下共に高そうな黒のスーツを着込んでいた。


「やり手」という言葉が良く似合うその社員は、太陽たちに「お疲れさま。いやあ、大変だったねえ」とまずは労をねぎらい「デビューの件は、また今度ね」とやんわり通告した。ちりちりパーマが柄でもなく直立不動でそれを聞いていたのが、印象深い。

 

 余計なお世話かもしれないけども、と前置きして社員は続けた。


「あのね、いざこざもあったみたいだけどさ、君たちね、もう一度組むと良いよ。ね。最後の曲がね、すごく良かったな。即興でよくやったよ。今日聴いた曲の中で、一番胸に響くものがあった。ああいうの好きだなぁ、僕。若いって、いいよねぇ」

 

 そう言われてしまったら、太陽がノースホライズンのドラムスに復帰しないなんていうシナリオはない。


 ちりちりパーマは太陽に「すまんかった」と詫び、俺と女性陣にはこう言った。

「いろいろあったが、今日は楽しかったぜ。ギターはくそだったが、ボーカルは二人とも光るモノがあると思うよ。ベッピンだしな。ベースもやらかしちまったが、筋自体は悪くない。またいつか機会があれば、一緒にやろうじゃん」

 

 俺は一ヶ月弱の血の滲む努力を最高の一言で締めくくられてしまったわけだが、

「おい女。ありがとな。あんたのおかげで、なんか大事なもんを思い出したよ」


 最後にちりちりパーマが柏木に向けてそう感謝を告げたことで、怒りはすっかり消えていた。


 * * *


「晴香、すごかったよね」高瀬が隣でぽつりと言った。


「な。こういう言い方がふさわしいかどうかわかんないけど、間違いなく今回のMVPだ」

 

 当初の目標だった太陽の即デビューは果たせなかったけれど、彼女の機転と勇気のおかげで、ノースホライズンは再び心を一つにすることができた。


 なにより、大勢の観客に失望を抱かせたまま帰らせなかったのが大きいだろう。『夏風邪』の演奏がうまくいったことで、それなりの感動は3500の心に残せたはずだ。

 

 柏木の獅子奮迅の活躍のおかげで、年々規模を拡大しているこの音楽祭に泥を塗らずに済んだのだ。

 

 俺は気になっていたことを高瀬に尋ねることにした。柏木、で思い出した。

「ステージで歌う前、一言二言、柏木に声を掛けられていただろう? あれは何を?」

 

「えっとね、『フェスが終わったら、面倒は全部捨てて、仲直りね』って」

 言い終えて、きまりが悪そうな高瀬。その横顔を見て、俺としたことが、と反省する。

 

 なぜ仲直りをする必要があるのかと言えば、それはこの一週間、二人の仲が良くなかったからに他ならないわけで、ではなぜ仲が良くなかったのかと言うと、それは『夏風邪』の歌詞が原因と思われるわけで……。


 もう少し気を使うべきだった。いかんせんフェスの興奮がいまだ体内にたしかな熱として残っていて、冷静な思考を許さないでいた。

 

「歌詞なんてさ、一晩で作るものじゃないんだって」

 意外や意外、高瀬の口からその話題が出た。その声には面映おもはゆさがひそむ。

「私ね、夜に詞とか手紙とかを書くものじゃないって、聞いたことがあるんだよね。夜は精神が高ぶっているから、どうしても表現がオーバーになってしまうって。でも時間がなかったんだよ? しょうがないよね。神沢君が作曲に充てる時間を増やすべきだって思ったんだもん」


「あの歌詞、後悔してるのか?」


「え?」高瀬は言葉に詰まる。短い沈黙があり、歩みが止まる。「いや、そういうわけじゃないけど」

 

 俺も歩くのをやめ、彼女の顔を見やる。暗がりでも、少し紅潮しているのがわかる。

 

 今だ、と思った。高瀬はあの歌詞に思いを託し、俺に届けた。俺はその返答を伝える必要がある。それを口にするのは、今しかない。

 

 ここで、この気まずさを逆手にとるかたちで、あの歌詞の真相を尋ねるのは――つまりモチーフとなった主人公は誰なんだ? であるとか、「君」とは誰を指しているのか? とかを尋ねるのは簡単なことだったし、今なら高瀬はそれに答えてくれるという自信が俺にはあった。


 でもそんなのはそれこそ不粋というものなので、すっ飛ばしてしまって、俺は改めて誓いを立てることにした。


「高瀬、もう一度約束させてくれ」と俺は彼女の正面にまわって言った。言葉を彼女の胸の奥にしっかり届ける。今度は、ちょっとやそっとじゃ決して飛び出してしまわぬよう、鎖でくくり付けるようにして。「俺は高瀬を大学に行かせる。何があっても。そしてトカイとの結婚はさせない。やはり何があっても。いいな?」

 

 高瀬は唇を震わせて、深く一度うなずいた。「ごめんね、神沢君」

 

 ごめんね、というその一言に、この一ヶ月の彼女の苦悩が集約されているだろう。


「もうだめだよ、高瀬」

「え?」


「二度目の約束破棄は、ありえないからな」


 高瀬は少し申し訳なさそうに、肩をすぼめた。

「はい。私は大学に行きます。何があっても」


「それでいい」と言って俺は笑った。


 とても要領が良く、進むべき道を把握しているように見える高瀬だけれども、案外、方向音痴な面もあったりするから、すぐに暗い森に迷い込んでしまう。ならばすぐに俺が駆けつけて、そこから彼女を救い出してあげなきゃいけない。


 君の手を引いて、暗い森を抜ける。俺がもし『夏風邪』における「君」の立場ならば、そう、作詞者に回答する。

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