第56話 逃げた男
捕らえた男が詰所の牢屋から脱走した。
これは一大事だ。
彼を町で見かけた時、殺意とかそういうのは感じなかった――が、短剣を持っているというのが状況をかなりややこしくしている。
しかし……いくらなんでも昨日から不祥事が多すぎないか?
ここまでくると意図的にやってんじゃないのかって疑いが出てきてしまう。
ただ、少し気になるのはトリシア会長の証言だ。
このリゾート地は多くの貴族や富裕層が利用しているため、治安維持に関しては細心の注意を払っているという。その厳重さは王都にも匹敵するらしい。
まあ、確かに貴族が集中して集まっている場所とするならそれくらい厳しい警備になっても不思議じゃない。
自警団とはいえ、騎士団のOBが所属していたり、戦力面も申し分ない。
そのため、ここがオープンしてから侵入者などのトラブルは皆無だったのだ。
にもかかわらず、こうも連続して事件が起きるのはなぜだろうか。
「恐らくですが……裏で何かが動いているのかもしれませんわね」
「しかし、数多くの貴族が羽を伸ばしにやってくるこのバカンスを狙ってどうするつもりなのでしょうか」
「わたくしもそれがいまひとつ理解できませんの」
つまり犯人の動機だ。
アンナの侵入――これは別にして、例の短剣を持った男が出現したこと、さらには翌日に自警団の牢屋から姿を消したこと……これに関しては誰かが手引きをしている可能性が非常に高いと言えた。
だが、そんなことをして一体何になるというのか。
貴族を困らせ、その狼狽ぶりを遠くから眺めて楽しむ――そんな愉快犯のようなやり口にも見えないのだ。
黒幕の目論見を全員で考えていたら、自警団の兵士が声をかけてきた。
「申し訳ありませんが、一度お屋敷の方に戻ってください。しばらくすると迎えの者がまいりますので、ご帰宅の準備を」
「えぇっ!? バカンスは終わりなんですか!?」
悲鳴にも近い声をあげたのはコニーだった。
そりゃあ、俺だって残念だ。
初日もアンナの乱入でほとんど海を楽しめなかったし……このような終わり方は不本意としか言いようがない。
「……リゾート地からの撤退は牢屋から脱走した男が原因なんですよね?」
「えぇ。どこに潜んでいるのか分からない以上、不用意に出歩くのは危険ですから」
「ならばその男を捕まえることができれば、問題なくバカンスを続けられる、と?」
「そ、それはそうですが……」
ふむふむ。
これはいいことを聞いたぞ。
コニーと同様にこのような形でバカンスを強制終了させられるハメになった貴族は不満をぶちまけているだろう。
そこで俺が颯爽と逃げだした男を捕え、バカンスの続行が決定すれば貴族たちからの評判も上がるというものだ。
「ならば俺たちもその男を捕えるのに協力しましょう」
「えっ!? し、しかし、あなた方は――」
「ご心配なく。我らは貴族ではなく商人ですので」
コニーもクレアもルチーナも、俺の言葉に対して頷いてみせた。
「そういうわけですので、わたくしたちに任せなさい」
さらにシレっとトリシア会長まで参戦。
御三家の一角を担う会長の参戦はさすがにまずいのではと忠告をしたのだが、
「あら、ここまで来てわたくしだけ除け者扱いですの?」
と言われた。
ま、まあ、ここでへそを曲げられても困るし、手伝ってもらおう。
戦力的には申し分ないわけだし。
というわけで、俺たちは脱走した男を追って詰所をあとにするのだった。
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