Ⅲ年 「伝心」 (8)告白しなくて良かったの?

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、かなり天然な中学三年生。

 辛かった「応援団」もドタバタの日常も、すべてが思い出となる卒業。

 式も終わり、最後のイベントに向かう中、ベーデは駿河に第二ボタンを求めた。

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 最後の校歌指揮は泣かずに、晴れ晴れと出来た。

 公園から周囲のビルに響き渡る卒業生全員のエールが心地よかった。

 彼方此方で胴上げやら、泣いている姿やらがある。


 扨て、僕はと言えば、困ったことになった。

 第二ボタンをプレゼントするのは構わないが、どうやって、皆に知られないようにするかだ。アノ誇り高きベーデが、男子に『第二ボタンを頂戴』と言ったなど知られてはならないだろう。反対に、僕の立場からすれば『ベーデ様第二ボタンで御座居ます、受け取って下さい』なんて真似も出来ない。


 先ず、其の前に、彼女の姿を探さなければなるまい。

 桃李自ら小蹊を成すというか、其の姿は直ぐに見つかったものの、運の悪いことにというか、まあ当然にというか、彼女は男子からの手紙を受け取っている最中だった。

 同輩、後輩、結構な人数が少し距離を置いて順番待ちしているような中に、どうやって渡しに行けるものか。

 しかし、ぼやぼやしていれば、後輩の女子か何処かの変わり者が第二ボタンを取りに来るかも知れないことも考えられないことはない。

 眉間に皺を寄せて一生懸命に考えていると、今日のハンカチが真っ白だったことを思い出した。


(これだ!)


 人混みから離れて、そっと第二ボタンを外すとハンカチの中に挟む。そして、手紙を貰う動作が一瞬途切れた彼女の傍に寄った。


「あ、鳥渡ちょっと御免ね、御免なさいよ。手紙じゃないから…。業務連絡だから。」

と周囲に断ってから近付く。


「御免、前々から、返すって約束していたハンカチ、これ。」

と渡した。


 彼女はそれも演技か、ほんの一瞬の戸惑いを見せたが、僕の第二ボタンが無いのを一瞥で確認して、理解したようだった。


「ええ、有り難う。確かに。」

と、小首を傾げて会釈し、自分の鞄の中に大事そうにそっと仕舞うと、何事も無かったかのように、再び手紙を受け取り始めた。


 案の定、其の直後、下級生の女子達が遣って来て、物欲しそうに騒ぎ始める。


「センパァイ、追いコンのダンス、感動しました!」

「えー? 第二ボタン、もう無いんですか?」

「誰にあげたんですか?」

「私、第三ボタンでも良いです。」

「あ、じゃあ、私、第一ボタン!」


 是迄の礼儀正しさは何処へやら、「失礼します」の一言も無く、あっという間に、前の残り四つと袖の四つまで全て取られて了った。

 僕は、もうだいぶ人混みもけた頃を見計らって、エビサン、パヤサンに続き、ブッサンを見つけ、最後の御礼に近付いた。


「ちは、失礼します。此様な格好ですみません。」

「お、来たか。あー、こりゃまた派手に取られたなぁ。」


 ブッサンはタバコを片手に、ボタンの全くない僕の姿を見ながら目を細めた。


「三年間、ご指導、ご鞭撻戴き、本当に有り難う御座居ました。」

「僕はねぇ、最初、お前が入団し度いって言いに来た時、正直、無理だと思った。悪いけど。」

「自分でも、そう思っていました。」


「だけど、あれよあれよという間に、よく成長したな。」

「そうでしょうか。ならば、周りの人々の力に助けられたのだと思います。」


「どうして、どうして、ひ弱な坊ちゃんが、良い男になったよ。芯のある『つらがまえ』が出来たな。」

「有り難う御座居ます。」

「忘れずに頑張りなさい。此の経験が、屹度きっと、いつか役に立つ日が来るから。」

「はい、では、失礼ーーーしまーーーーぁす!」

 僕は大きな音をさせて気をつけをし、最後の応援団式の挨拶でブッサンに別れを告げた。


 ボタンが無くなって了った学生服を肩に掛け、僕はブラブラと公園の中を歩き、ベンチに座って潮が引いていくように去って行く皆の姿を見ていた。

 団の同期も一人、また一人と帰って行った。


「団長っていうのは孤独なもんだ」


 末長さんの言葉がまた思い出された。末長さんも八幡さんも、こうして、最後の一人まで見送ったのだろうか。


 もう、公園には誰も居なくなり、て、と腰を上げて、駅に向かって歩き始める。

 横には何処で待って居たのか、いつの間にやらベーデが遣って来た。


「ボタン、有り難う。」

「どう致しまして。鳥渡苦労したけど。」

「駿河もスマートな振る舞いが少しは板に付くようになってきたわね。」

「そうかぁ? これも誰かさんのご教育の御蔭、かな。」


 僕等は、もう回りに誰も知った者が居ない道をゆっくりと、そう、迚もゆっくりと歩きながら、開放感に浸っていた。

 春風に、卒業の証にピン留めを外した彼女の黒髪が綺麗に靡いていた。


「…駿河は、三島さんヨーサンが好きだったんじゃないの?」

三島さんヨーサン? そうだね。ファンだったねぇ。」

「生徒手帳に彼女の写真入れてたでしょ。」

「わぁ、よく其処まで知ってるね?!」

「女子のネットワークを甘くみちゃ駄目よ。何でも知っているんだから。」


「そうだったな。でも、視線の貰えない隠し撮り写真だ。」

「…もう最後になるかも知れないから、一つ、良いこと、教えてあげようか?」

「ん?」


「修学旅行の帰りの京都駅でね、集合前、私、偶然、彼女の真後ろを通ったの。」

「ふーん…。」


 修学旅行の頃と言えば、彼女に言い寄る相手から彼女を守る御側役を、二年に務め始めてから何ヶ月か経ち、応援団の相談事でも一番よく会っていた時期だった。

 でも、彼女は校内では、いつでもはにかむように一言、二言で、成る可く他人の見ていない所で話すのが常だった。「我が校の誇る応援団の大黒柱に傷をつけちゃ不可ないからね。」と言うのが彼女の口癖。其様な頃だ。


「彼女、柱の影に隠れてね、自分のカメラを構えてた。彼女にしては珍しく隙だらけ。それだけ本気だったってことか知ら。周りも見えなくなるくらい真剣に。よくある片思いの隠し撮りね。貴男と一緒よ。目線が貰えなくても、それでも当人には満足な写真。」

「へー! 三島さんヨーサンがか?!」


「そのファインダーに映っていた相手、誰だったか、知り度い?」

「んー、今となってはなぁ。」

 僕は、最早他人事に興味はない、という程度で返事をした。


「貴男よ。」

「…。」

「彼女が周りが見えなくなるほど真剣にファインダー越しに覗いていたのは、談笑していた・あ・な・た。」

「それってさ、下級生とか誰かに頼まれたんじゃないのぉ? それとか、俺越しに向こうに居た誰か別の奴とかさ。」


 半信半疑で笑いながら尋ねた僕に、

先刻さっきも女子のネットワークを甘く見るなと言ったでしょ? 嘘だと思うのなら、走って行って、ほんの一、二分前を歩いてる彼女の生徒手帳の前表紙の裏、見せて貰いなさいよ。昨日の晩に抜いてなければ、今でも其処に存在している筈よ。」


「…そうか。」

「告白しなくて良かったの? 今、此のことを聴いてもそうは思わない?」

「ん…、告白する気なら、もっと早くしていたと思う。今は、そういう気持ちじゃないな。」


 僕らは黙った儘、桜を散らしつつ吹き付けてくる向かい風に逆らいながら、更にゆっくりと歩みを続けた。

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