Ⅲ年 「祈願」 (2)胸が冷たくなるような切なさ

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、だいぶ天然な中学三年生。

 周囲の人々の援けあっての「応援団」活動も到頭峠を越え、周囲の女子達の心配、世話、悪戯の標的にされる日々。

 中学生として最後の新年も明け、いつもの三人で出掛ける初詣。これが一筋縄でいくはずもなく。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 そうこうしているうちに、待ち合わせ時間から十分くらい経ったところで、漸くベーデが改札口に姿を現した。


「ぉおぃ…。」


 「学生服にダッフルコート」という、お約束のような自分の受験生姿と、今ようやくやって来たベーデを見比べて、しばし戸惑った。

 彼女はベージュのダブル・トレンチコートにミンクかフォックスの襟巻き、足下はダークブラウンの編み上げブーツで現れた。うっすらと化粧までしている。


「やったーぁ! ゥシッ!」

 コーコが拳を握って必要以上に喜んでいる。

 此の子は、どうして常時いつも、こう無責任かつ無邪気に喜ぶのだろう。


「…お待たせ。」

「お前、誰だよ。何処行くんだ?」


 僕はベーデを凝視したまま、雰囲気も口調もすっかり大人びている彼女に尋ねた。


「湯島天神でしょ? 此処からなら。それとも神田明神か知ら?」

「否、そういうことじゃなくてな…。」


「あー、もう、お正月だっていうのに電車が混んでて嫌になっちゃう。矢っ張りママに送って貰えば良かったわ。」

「あのね、もしもし。お前、中学生っていう自覚ある?」

「え? 失礼ね。私は、正真正銘の十五歳よ。」


「あ、そういえば、此の間、其の手袋のことでも、校門でブッサンと揉めてたよね。」

 歩きながら、相変わらずコーコが嬉しそうに続けている。


「そうよ! 何で、此の手袋が不可いけないのよ。ちゃあんと生徒手帳にも、白か黒か紺で「単色」て書いてあるじゃないの。」

「いやぁ。色の問題じゃないと思うなぁ、私は。」


 コーコの言葉に、彼女が前に突き出している手を見ると、其の手袋はしなやかで、とても高級そうな革製だ。


「エルメスだから駄目だとか言うのよ、ブッサン。」

「エルメスとかそういう問題より前だろ…。」

 ほとほと彼女のズレた感覚に笑いを禁じ得なかった。


「っもう、今度は、イブ・サン・ローランの白手袋でもして行ってやろうか知ら。」

「イケイケーェ、行っちゃえ!」

 コーコが無責任に焚き付けている。およそ、着物姿が似合わないほど狂喜している。


「まあ、承諾させたから気が済んだようなものの。」

「げ、ブッサンが折れたのか?」

 僕は其のことの方が驚いた。


「お前ら、少しは三島さんヨーサンでも見習え。常時いつも質素で綺麗にしてるじゃないか。」

「あら、人には夫々それぞれ生き方っていうものがあるのよ。彼女は彼女よ。」

「私ぁ駄目だね、あんな三分も喋らないでいたらオカシクなっちゃいそう。」


 そうこうしているうちに、湯島天神についた。


「ほら、きっちり私達が貴男の合格を祈ってあげるから。」

「落ちたら、お賽銭を倍返しだからねーっ。」


 こういうのは、合格祈願というより脅迫というのに等しいと僕は思ったが、一言言えば十言返ってくるのは判っていたので、「はいはい。有り難う」と感謝をしておいた。


「折角だから、少しだけお茶して行きましょう。」


*    *    *


 ベーデの提案でお参りの後、近くの喫茶店に入った。


「駿河、ごめん、これ、其方に置いて呉れる?」


 ベーデが脱いだトレンチコートはお約束のように裏地がタータンチェックで刺繍柄の入ったものだった。

 それを襟巻きと一緒に空いている椅子に置き、正面に目を遣ると、彼女は黒いワンピースに映えるネックレスをしている。


「ベーデさぁ…。」

「なに? 褒めて呉れるの? 有り難う。」


「いや…まあ、良いや。」

「あなたね、私のことを派手だと思ってるのかも知れないけれど、日本男児として失格よ。」


「ん? どういうこと?」

「コーコの振り袖、幾らすると思ってるの?」


 そういえば、越年祈願の時に見たものといい、今日のものといい、それは見事な金糸銀糸の入った振り袖だ。


「お、おおぉ。」

「あぁあぁ、良いの、これはだって、ウチのものだし。」

「ウチのものっていったって、ちゃんと教えてあげなさいよ。彼の後学のために。」


「んーっと、これはお正月のと違って普段のお出かけづかいだから、帯とか全部合わせて、そうだな、お店だと全部で二百ちょいくらい、かな。」

「…。」


 ということは、恐らくベーデの宝石やら何やらブランドものが本物だとして、今日は総額ウン百万の女の子たちを連れて歩いていたことになる。

 過ぎたことだが、越年祈願の時のコーコは…と思うと、そら恐ろしくなった。


「両手に花、っていうのはこういうことを言うのよ。お分かり?」

「でもさ、ほら、お正月な訳だし、あんまり此の年でお洒落な男ってのも嫌味だし。駿河君、男は丁度良いよ。それくらいが。」

 コーコの言葉が全然慰めになっていなかった。


「ははぁーっ」

 僕は喫茶店の机に自然にひれ伏した。


「其様なことはどうでも良いとして。駿河君は其のまま系列校うえに上がるんでしょ?」

 コーコは急に真面目な口調で尋ねてきた。


「ん、其の心算。」

 一中からは系列高校に百人弱くらいが形式的な入学試験で進学出来る。特定の大学への推薦は無いが様々な大学への進学実績は悪くないので、成績上位者の殆どは其の道を選択する。


「じゃ、私たちとは中学校ここまででお別れだね。」

「え? 二人とも充分に上がれる成績じゃんか?」

「私は、もう此処までだね。伸び悩みっていうか、上がっても、もうこれ以上伸びないから、今のうちに大学エスカレータのK女受けろって、親が。」

 コーコは少し寂しげに言った。


 確かに銀座や日本橋の老舗の社長や大店おおだなの後継者にはK閥が多い。コーコの成績ならお釣りの方が多いくらいの選択だ。


「ウチも一緒。理由は同じようなものかな、其のまま系列校うえに上がってもお前の様子じゃあ、それからKの法科に絶対合格出来るかどうかすら怪しいから、法曹目指すなら今から行っておけって。」

 ベーデはティーカップをいじりながら言った。


 普通に系列校うえに上がるよりは人数的に狭き門でも、今の彼女の成績なら、コーコ同様、問題なく大丈夫だろう。


「俺は、てっきり、皆一緒に上がるもんだと思っていた…。」

 本当に今の今までそう思っていた。

 それだけに可成りのショックを感じていた。


「そうかぁ。」

 一人で呟いてみるとさらに寂しさを感じる。

 こうして、毎日、驚きや馬鹿なことを言ってはしゃいでいる時間が、其のまま高校、否、その後も続くものだとばかり思っていた。

それが、そうはならないと分かった瞬間。胸が冷たくなるような、吐き気のような切なさが襲ってきた。


「ま、会えなくなる訳じゃないしさ。」

「それに、駿河が大学でKに来る可能性だってある訳でしょ?」


「それは…、そう言えばそうだけどさ。お前らと会えないと思うと、鳥渡どころか、かなり寂しいなって。」

「たとえお世辞でもそう言うこといって呉れると嬉しいねぇ。」

「そうね。今日、合格祈願に来てあげた甲斐があるわ。」


「じゃあ、俺なんかより、お前らの合格祈願の方が大事じゃんか。」

「私らは、大丈夫だから。ゴーチンみたいに悩み抱え込んだり、泣き虫でもないし。」

「そうそう、女は強いのよ。」

「其様なこと言ってないで、ほら、祈願に行くぞ。俺がお前らのために先刻の百倍祈ってやる。」


僕等は、其の儘、今度は湯島の聖堂で彼女達二人の合格祈願をした。


「今日は風邪でもひかないうちに引き上げましょう。」

ベーデが珍しく常識的なことを言い、其の日は、御茶ノ水で三人が三方向に分かれて終わった。

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