Ⅲ年 「女の子たち」 (4)忘れるもの 忘れないもの

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、かなり天然な中学三年生。

 応援団の同期「ベーデ」に、ダンスが出来ない自分の不甲斐なさを指摘され、捲土重来を誓う。

 ダンス指導も取付け、ベーデには追いコンでペアとしてダンス披露することを確約させるが、駿河には一筋縄ではいかない様々な特長があった。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 此様こんな風に忘れ物の多かった僕だけれど、不思議と学習上の暗記物、証明問題や論述問題に関してだけは間違いが無かった。


「あなたの頭の構造って、どうなっているのか知らね?」

「俺はお前の頭の構造を見度みたいぞ。」

 毎時間のように遣って来ては悪戯を繰り返しているベーデに言い返す。


「何年も何日もずっと以前のことを正確に覚えているかと思えば、つい先刻さっき貸した教科書のことすら忘れてるし、貴男毎日どっかに頭ぶつけてない?」

「ん? 俺はどっかに頭ぶつけてるかい?」

「私が見てる限り、別にぶつけてないわよ。」

 ヨーサンが面白そうに眺めている。


「ほら、ぶつけてないそうだ。此の間の学年一位が言うから間違い無い。」

「じゃあ、此の間の学年十一位が教えてあげる。」

「あ、お前、俺より成績良かったのか? 失礼だなぁ」

「何よ、文句でもあるの?」

「…教科書返さなきゃ良かったな…。アタタ!」

 僕の足を思い切り踏みつけて、ベーデが一枚の紙を押しつけてきた。


「これが、これまで私が貴男に貸して、まだ返ってきていない、未帰還物品リストよ。」

「お? 此様あんなにあるか? お前が返ってきたことを忘れてんじゃないの? アイタッ!」

「あぁ、これ、此の間見たよ。ベーデの名前が書いてあった。これも、これも。」

 ヨーサンが横から覗き込んで、綺麗な指先で一つ一つ指摘している。


三島さんヨーサン、爪、綺麗だなぁ…。イテッ!」

 僕が感心していると、今度は後頭部を拳骨で殴られた。


「学年一位が証言してるんだから、とっとと耳を揃えて返しなさいよ!」

三島さんヨーサンが有るって言うんなら、有るんだな。」

「失敬ねっ! 学年十一位の私の記録は信用出来ないっていうの?」

否々いやいや、普段の言動の…、わかーった!」

 ベーデが思い切り振りかぶったところで僕は両手を上げて降参した。


 彼女は鼻を鳴らして戻っていった。

駿河君ゴーチン、ちゃんと返さなきゃ駄~目だって。」

 ヨーサンが隣から心配そうに言う。


「悪気がある訳じゃないんだけどね。」

「そりゃそうだよ。でも変だねぇ。」

「何?」

「数学の証明問題とか、理科の総合問題とか、指名されて黒板で解いてる時の速度とか集中力って、私が見てても、それは感心するほど凄いのに、どうして忘れ物が多いの?」

「それが分かれば苦労しないって。」

「マメに生徒手帳に書いているじゃないの?」

「それを見ないから、こうして手に書かれちゃうんでしょ?」

「アハハ! 何? それ。」


 今日は歴史の副読本を借りたのでてのひらには

「たわけもの《・・・・・》」

と書かれていた。

三条さんベーデじゃなくても、頭の中を見てみくなるわ。」

「そう?」


*    *    *


三島さんヨーサン?」

「何?」

 僕は、隣席のヨーサンの方を向いて、自分の膝の上に手を置いて姿勢を正した。


「ごめんなさい。昨日、三島さんヨーサンから吹奏楽部のことで打合せがあるって言われたのに、俺、帰っちゃった。」

「忙しかったの? あんまり堂々と目の前を帰るから、何か有るのかと思ったんだけど?」

「…忘れてた。」

「今、仕事量がいっぱいいっぱい?」

「そうでもないと思う。単純に忘れてた。」

「分かった。じゃあ、今、話をしましょう。」

「有り難う。」

 話自体は直ぐに済んだ。


駿河君ゴーチンが団のものごとを忘れたのは初めてだね。」

「かも知れない。」

「珍しいねぇ。」

「多分他のことを考えていたからだと思う。」

「何?」

三島さんヨーサンのこと。」

「え…?」

いや、爪が綺麗だなぁって見てたら、話が終わった瞬間に忘れちゃった。」

「は?」

「で、先刻さっき爪を見て思い出した。」

「うーん…。何て言ったら良いんだろ。」

「ごめんなさい!」

 僕は拝んで謝った。


「分かった。じゃあ、今度から約束やお願いごとをする時には、私を見ないで、生徒手帳に書き込みながら話をして。」

「うん。」

「要件が終わったら、此方こっちを見ても構わないから。」

「分かった。」


*    *    *


「駿河?!」

 校門を出る直前で、ベーデが立ち止まった。


「あ、何?」

「貴男、一度病院に行った方が良いんじゃないの?」

「何? 熱でもありそうか?」

「自分で分からない?」

 彼女が深刻そうに眉を顰めている。


「ん?」

「足下…。」

「おおっ!」

 僕は靴を履いていなかった。


 放課後の補講が終わり、ベーデと一緒に昇降口まで来て、話をしながら上履きを脱いだところまでは覚えているが、其の後の記憶がない。


「話に気を取られてたな…。」

「これって、そういう問題?」

「えっと、上履きは何処に脱いだっけ。」

「ほら、彼処あそこよ、私のクラスの下駄箱の前!」

 彼女が指差している。


「お、どうも。」

 僕は下駄箱に上履きを仕舞い、革靴に履き替えた。


「貴男、よくこれまで生きてこられたわね。」

「明日も、多分だけど生きてるぞ?」

「そうねぇ。全部が全部について薄まっているんじゃなくて、所々スポットでスカッと抜けてるのよね。」

「そうか?」

「少なくとも自覚しなさいよ。」

「自分のことは分からないものだぞ。」

「威張ってる場合じゃないわよ。」

 彼女がまた嘆息をいている。


「あ…、常時いつも迷惑掛けてばかりですまない。」

「それでよく、常時学年二十位以内に居られるわね。『一中の奇跡ミラクル・ピン』という名に恥じない七不思議ぶりだわ。」

「言う通り、忘れるものと忘れないものがあるらしい。」

「ふーん。私の名前は?」

「ベーデ。 アイタタ!」

「フルネームで言いなさいよ!」

「三条・ベルナデート・亜惟さん。」

「ふん、ちゃんと覚えてるわね。」


「相川、足立、池島…渡辺。」

「一年の時のホームルーム全員の名前を出席番号順に憶えてなくても此の先の人生、きっと困らないわよ。」

「二中田中、一中吉田、二中真壁、三中三宅、四中石原、一中見城…。」

「何それ?」

 ベーデが立ち止まる。


「一年の定期戦のときの男子一〇〇メートル予選の組別第一位通過者。」

「去年の定期戦の女子一〇〇メートル予選の第三組は?」

 彼女は眉を顰めた儘、訊ねてきた。


「一中前嶋、二中佐々、三中亀川、四中甲野、二中畑中。」

「リンカーン大統領のゲティスバーグ演説。」

「Fourscore and seven years ago our fathers brought forth on this continent a new nation, conceived in liberty, …」

「貴男、頭の中、どうなってるの?」

「だから、自分のことはよく分からないもんだって。」

「そういえば、一年の時も、英語の教科書、ほぼ丸々全部暗唱してたわよね。」

「今でも言えるぞ。…。」


「頭が痛くなったりしないの?」

「全然?」

どうして教科書の中身は憶えていても、持って来るのは忘れちゃう訳?」

 駅のベンチに腰掛ける。


「分からないよ。忘れる以前に、考えていないと思う。」

「訳の分からない着順を憶える前に、ちゃんと上履きから下足に履き替えなさいよ。」

「あれは憶えようとして憶えた訳じゃなくてな。」

「そういうことを言っているんじゃないの。わかる?」

「ああ、そうだな。」


「あなた、家に帰れてる?」

「帰っているから、来られているんじゃないか。」

「そうよね。不思議と遅刻はしないわね。」

「気がついて知らない処に居た時は、家に電話入れて『風邪で休みます』ってしちゃうから。」

「ああ…、それで欠席が多いの?」

「かも。」

「何で知らないところに居るのよ?」

「電車の中で宿題とか読書に夢中になっちゃうと時間と空間が飛んじゃうみたいで。」

「ドラマみたいなこと言ってんじゃないわよ。」

「でも事実だから。」


「大事にしてよ?」

「普通にしてる。」

「そうね、こうしてるときは普通ね。団では普通以上に、まあまあきちんとしてるし。」

「別に生活で困ってないし。」

「困っているでしょ? 忘れ物で!」

「ああ、これでも減ったんだぞ。」

「私の油性インクの御蔭ね。」

「それもある。」


「私が一生連いてないと駄目じゃないの?」

「一生面倒みて呉れるか?」

「プロポーズにしても嫌な言い方ね。貴男も私の面倒をみて呉れるのなら、みてあげるわ。」

「そりゃ駄目だ。」

「何故よ?!」

「俺にみてやれるお前の面倒はないもの。お前は何でもきちんと出来る。」


「…そういうことじゃないわよ…。」

「ん?」

「そういうところも抜けてるのね。」

「そうか?」

「そうよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る