Ⅲ年 「女の子たち」 (2)実は馬鹿でしょ?

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は「応援団」で活動する中学三年生。

 年間の最大イベント「定期戦」も無事終了し、ベーデの家に「お呼ばれ」した駿河は、首謀者コーコがその企画の真意を明らかにしたのにも関わらず、それよりもダンスが出来なかった自分の不甲斐なさの方が気になる様子。

 顧問の華和先生によるダンス指導を取付け、ベーデとの捲土重来を申し込みに訪れた。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 彼女がゆっくりと瞬きをした。

(ああ、怒鳴される…!)

「そうね…、私が恥をかかないダンスが出来る自信があるのなら、良いわよ。まだ三か月以上は有るし。」

「…。」

 思いも寄らない返答に、僕は口を開けた儘、彼女を見つめ返して了った。


「…何よ? それで良いんでしょう?」

「そ、そう…。まさか良いって言うと思わなかったからさ。」

「た・だ・し、…良いこと? 私が恥をかかないダンスよ。其処を忘れないで頂戴。」

「分かったよ。」


「じゃあ、曲目は私が幾つか指定するから、其の中から選んで。良いわね?」

「例えば、何様どんなの?」

「最終的には、クラシックの有名どころのワルツをメインで一曲。万が一のアンコール用にジャズを一、二曲か知ら。」

「ジャズっていうと、The Plattersの『Only You』とか、『The Great Pretender』とか、そういうのか?」

 すらすらと話していたベーデの言葉がぴたりと止まった。


「……。あなた…って、実は馬鹿でしょ?」

「お?」

「年に一度、団員全員に顧問まで見ている席でね、どうしてわざわざチーク・ダンスを見せなきゃならないの? 貴男と私が頬と頬を寄せ合って良い雰囲気で踊っている場面を公共の場で見せてどうする心算つもりなのかって、言ってるの!」

 彼女は、ロッカーのブリキ板を素手でバンバン叩いて昂奮している。


「お、おう、そう言われればゆっくりした曲だな。」

「もっと、アップテンポのノリの良い曲よ。良いわ、今度、レコード貸してあげるから。…もう、お願いだから、ちゃんとして頂戴よ! 先が思い遣られるわ…。胃が痛いわよ。」

「…罰が当たったんだな…。」

「何か言ったか知ら?」

「いーえ何にも。全て仰有る通りにします。お姫様。」


 其の足で保健室にとって返し、エビさんに報告する。

「ちはっ、失礼します。」

「煩いってば、もう足音で駿河だってことくらい分かるわよ。」

「敵の大将は条件を承諾致しました。」

「あら、これはまた簡単に攻略してきたわね。もしかして貴男達、もう付き合っている間柄なの?」

「いえぇーっ、そういうこととは全くの別問題で。」

「あー、煩い、分かったから、此処では其の大声の返事は、止して頂戴。」

「あ、はい、単にダンスだけの話ということで。」

「分かったわ。じゃあ、今日から早速始めるわよ。」

「有り難う御座居ます。失礼ーします。」

「あー、はいはい。」


 ブッサンに演目の登録もした。もう逃げられない。

 其の日からダンスの特訓が始まった。追いコンの出し物も兼ねているので、他の団員に見られる訳にもいかない。エビさんからパヤさんに話を通して貰い、吹奏楽部の練習がない日は第一音楽室(小講堂)を貸切に、それ以外の日は保健室の中でステップの練習をした。

 しかも、話を聞いたパヤさんは、ダンスをするなら小講堂で追いコンを開催してはどうか、とブッサンに提案して話はどんどん大事おおごとになって了った。


 エビさんは家庭科用の長尺の物差しを手に、文字通りビシビシ指導する。

「ほらぁ、足が違う!」

「硬ーーい、柔らかく、そうそう、スロウ、スロウ。」

「駄ー目ッ! それじゃ、相手の子が倒れちゃう!」

「顔が笑ってない。笑顔笑顔!」

「左と右、違ーうってぇ、何度言ったら分かるの!」


 ワルツの練習では、相手を想定して「椅子」を持って踊る。慣れない身体の動かし方に加え、リーダーの練習の方が余っ程ましなくらい物差しで叩かれた。


*    *    *


 体育の時間で着替えている折、

「なんだ? まだ応援団は特別練習やってんのか?」

と級友に消えない青痣を笑われたこともあった。


 十一月、十二月、受験勉強の合間というか、空いている時間は全てエビさんとの特訓になった。僕にとっては、良い気分転換にもなったと言えば嘘ではない。

 年も押し詰まった頃には、漸くエビさんを相手に、「足を踏まず」基本のステップを踏めるくらいにまでなった。


「それで、『課題曲』は、何になるの?」

「美しく青きドナウ、サイド・バイ・サイド、ブルー・ヘブンくらいです。」

「あなたね、くらい・・・っていうけど三曲じゃないの。」

「はい。」

「応援団的に言えば『死ぬ気で頑張れ』ってところね。でもね、ダンスは気力や執念で踊るものじゃないの、心よ、心。精進しなければ踊れない。」

「はいぃーーーーーっ。」

「あーあー、煩い。気合は分かったから、それより精進して頂戴よ。年末年始のお休みも練習して頂戴よ。補習の時なら、私も居るから。」

「有り難う御座居ます。」


 冬休みの年内補習の間もずっとエビさんに叩かれながら、三曲の基本を必死に踊り続ける。


「駿河、終わったらすぐにいらっしゃい。昨日の貴男、全っ然駄目だったから、今日という今日は、きっちり身体で覚えて貰うわよ。」

 廊下ですれ違おうものなら、およそ中学校三年の男子共の前で口にして良いような表現ではない口上で呼び出される。普段なら、そんな言いぶりもしなかったのだろうが、もう年も明けるというのに、一向に上達しないという為体ていたらくに、エビさんも焦りを感じていたのだろう。何しろ、本人曰く「焚きつけた私にも、責任の一端は在る」とまで口にするほどだったのだから。


「何だ? 駿河、異様に背筋が伸びていないか? 物差しでも入れてんのか?」

 補習の最中に他の先生に指摘される。練習の成果が妙なところに現れてきた、というのも腹筋が痛くて笑えない話だった。


*    *    *


 さて、話は更に横道に逸れていくが、応援団を三年間続け、勉強でもそれなりに努力はしていた僕が、隙のない、如才のない、優等生であったかと言えば、決してそうではなかった筈である。否、寧ろ、どちらかと言えば、というよりも「可成り」問題のある部類の中学生だったと思う。それを無事にやり過ごせたのも、女の子たちの力の御蔭だったと、今でも感謝している。


*    *    *


「駿河、一昨日頼んだやつ、持ってきて呉れた?」

 時期は遡り、三年になって間もない頃、珍しくベーデが悪戯ではなく近寄ってきた。


「あ? 何?」

「何じゃないわよ。私から貴男に、他に何か頼んでたか知ら?」

「何か頼まれてたっけ?」

「…それすら忘れてる訳?」

 ヤレヤレという風に首を振っている。


「ん~、鳥渡ちょっと待て、生徒手帳見るから。」

「…。」

「ほら、見ろ。…書いてない!」

「威張ってるんじゃないわよ! 書いてないのは貴男が書き忘れたからでしょ?」

「そうか?」

「ちゃんと『分かった』って言ったわよ。今度の土曜に参考書を買いに行く約束と一緒に。」

 ベーデは相変わらずロッカーを叩いている。


「ああ、それは覚えてる。十時にハチ公前だろ?」

「…。どうして、其の後、一分も経たない内に一緒に頼んだことをいとも簡単に忘れてる訳?」

「何か言ったか?」

「運動会応援練習用のリーダーとチアのクラス入り割付表よ!」

「ああ、毎年作ってたな。」

「そうじゃなくて、それをお願いされていたことを思い出したの?」

「いや。アタタ。」

 堪忍袋の緒が切れたのか、向こうずねを蹴飛ばされた。


「分かったわよ、今度から貴男には同時に二つのお願いはしない!」

「明日までに作って来るから。」

「お願いよ! もう日がないんだから! あ、ちゃんと今、此の場で、私の目の前で生徒手帳に書いて!」

「分かったって…、ほら、書いた。な?」


「其のペン貸しなさいよ。…良いから貸しなさい!」

「あ、ひでぇなぁ…。」

「こうでもしないと、今度は生徒手帳を見忘れるでしょ? 貴男は!」

 ベーデは、僕の右の掌に「生徒手帳!」と油性インクで書き込んだ。

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