Ⅲ年 「お呼ばれ」 (6)あいのゆめ

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は「応援団」で活動する中学三年生。

 団長就任からの難局続きも、年間の最大イベント「定期戦」は全員の協力で無事終了。

 ベーデの家に「お呼ばれ」した駿河は、彼女とコーコの恋バナに載せられつつも、彼女達の上機嫌な様子に、一方では安堵していた。

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 其様な他愛もない話をしながら、秋の午後を過ごしていると、お母さんが現れた。

「主人がケーキを買ってきたので、下でお茶にしませんこと?」


 皆して居間に戻り、お父さんに挨拶を済ませ、一人一人、自己紹介がてらの話が一通り進んだ。


「じゃ、鳥渡ちょっと食後の腹ごなし。」

「あら、何てこと。『腹ごなし』なんて。」

「分かってるわよ。『食休み』でしょ。」

 ベーデは、お母さんに指摘されて言い直し、グランドピアノの前に座った。


 ゆっくりと弾き始めたのは、ショパンのポロネーズ「英雄」。

 お父さんとお母さんは、至極当たり前のように娘の演奏にゆったりと聴き入っている。僕とコーコは、紅茶を戴きながら、ベーデの演奏姿を見ていた。


「…何時でも、ピアノを弾いてる姿が様になる恰好してるってのも凄いよね、然も今日なんか酔っぱらってるのに、それすらも様になってる…。」

 コーコがそっと囁くように言ってきた。


「…そうだな。」

 僕は自分の開襟シャツ姿を振り返りつつも、まあ、これも正装だからと自分に言い聞かせた。

 ベーデは髪を揺らしながら、彼女の普段の気性を現すかのように情熱的な演奏を続け、そして終わった。

 贈られた拍手に、少しスカートを摘まんで会釈し、何事もなかったかのように席に戻り、紅茶を口にした。


「コーコも弾けるんでしょう?」

「え? あらら、そういうこと? じゃ、失礼して。」

 コーコは、辞することもなくピアノの前に座ると、同じくショパンの夜想曲を弾き始めた。

 応援団での着物姿や、普段の弾けた明るさが嘘のように真剣な眼差しでピアノに向かっている。

 其の一方で、僕はエラいことになっていることを感じていた。

(弾かないで済ませる、とはいかない、わなぁ…。)


 僕も、一応・・七歳から八年間ピアノを弾いてはきていた。

 でも、それは自分で楽しむためであって、人に聞かせるような発表会や、そういった類の催しには一切出たことがなかった。

 コーコはゆっくりと弾き終わり、戻って来た。


「駿河君は? 少しは弾けるんでしょう? 此の間、音楽室で下級生に聞かせてたの知ってるんだ。」

 コーコがまた余計なことを言う。


「男の無骨な演奏で、決して上手じゃないですけれど。」

 許される限り、少しだけ言い訳をして、席を立った。


「あら、男の子のピアノなんて、本当に久しぶりだわ。」

 お母さんが喜んでいることが、かえってプレッシャーになった。


(指が動くかな…頼む!)

 僕は、まるで所作だけは巨匠のように、ゆっくりと一息ついてから弾き始めた。


 リストの『Liebesträum愛の夢』。

 ベーデの勇壮なポロネーズとは対照的な曲だ。成る可く感情を込めて弾こうと努力した。

 此の曲は、吹奏楽部責任者のカーサマの十八番おはこなので、学校では決して弾いたことはなかった。皆が見ているのがまだはっきりと分かるうちは駄目だと思った。


(集中しろ!)


 ピアノに集中するよう、敢えて自分自身をのめり込ませる。目を瞑り、周りを向かず、鍵盤を触る指先だけに集中した。

 自分が楽しめば上手くいく。ミスタッチは何度かあったが、ご愛敬の範囲で、何とか弾ききった。


「素敵よ。駿河君。」

 お母さんのお世辞で少し安心したのも束の間。


「じゃあ、コーコがピアノ弾いて、駿河、私と踊って呉れる?」

 いきなり、ベーデが口にした。


(へ? コイツ、まだ酔ってるのか?)

「あ、良いよ、何かリクエストあれば。」

 コーコが調子に乗る。


「ダンスは、鳥渡。まだ。恥ずかしながら…。夜想曲は弾いたけど、まだ昼間だし。」

「昼間の曲もあるよー。」

 コーコがピアノに向かおうとする。


いや、そういう訳じゃ、ないけど。それは、また機会を改めて。」

 何とか穏便に逃げ切ろうとすると、

「なに? 私が相手じゃあ不服いやな訳?」

「これ、亜惟。何ていうこと言うの。」


「駿河君は、ダンスは初めてかい?」

 お父さんが真っ正面から斬り込んできた。


「恥ずかしながら、そうです。」

 僕は胸をなでおろし、正直に白状した。


「これから覚えるのに丁度良い歳だよ。簡単だから、やってみると良い。」

 お父さんは、実に率直に、明るく勧めて下さった。


「はい、挑戦してみることにします。」

「楽しみにしているよ。」


*    *    *


 其の後、再び他愛のない話で少しの時を過ごして、僕等二人はベーデの家を失礼した。


「駿河君、ダンス断ってマイナス一ポイントーっ。」

「うっせぇな。酔っぱらい! 此の歳でダンスが出来る男なんて、全人口の何%だよ!」

「だってぇ、ベーデの家だよ。でも、そうだね、ダンスは、そういえば私も無理だ。ごめん。」

 コーコは、相変わらず悪気のない笑いで収めて了った。


 其の儘、駅までの道をゆっくりと歩く中、少しの沈黙が続いた。

 酔いが醒めたのか、反省したのか、コーコはゆっくりと口を開いた。


駿河君ゴーチン…、ピアノだけでも、充分良かったよ。…うん、素敵だった。」

「慰め、有り難う。」


「ベーデはさぁ…、ああ見えて可成り喜んでたんじゃないかなぁ。」

「ん?」

「あのポロネーズはさ、彼女なりのゴーチンへのオマージュだってば。」

「考えすぎだろ。」

「あれ、Liebesträum愛の夢は、返歌じゃなかった訳?」

「違うって。」

「『アイ』の夢って、『掛け詞が洒落てるね、憎い演出だね、コノ』って思ってたんだけど。」

「馬鹿。そもそも何のために、返歌にしなきゃ不可いけないんだよ?」


「…はぁぁ…救いようが無いね…というかデリカシーが無い。」

「デリカシー?」

「あのね、言うなって釘を刺されていたんだけど、駿河君ゴーチンだけは絶対に呼び度いって言ってたの、ベーデだから。私はオ・マ・ケ。」

「はぁ?」


「そうかぁ、目下の恋敵ライバルはヨーサンかぁ、こりゃ、相手にとって不足はナシ、だろうなぁ…。そして、否が上にも燃え上がる紅蓮の炎! なのに相手ゴーチンは底無しの氷河並みの鈍感馬鹿ときている。氷を融かすのが早いか、火が消えるのが早いか。あぁ…。」

 コーコは独り言のように頷き、そして両手を広げて一人芝居をしている。


「何だよ、先刻さっきから一人でブツブツ。」

いや、何でもない。つくづく手の焼ける二人だわ。」

「あ?」

「良いの、良いの。後は、自分たちで何とかしなさい、って。私ぁ、知らないよ。」

 コーコは、笑いながら、反対側のホームの電車に乗って帰っていった。

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