Ⅱ年 「定期戦Ⅱ」  悔し涙じゃなくて、達成感よ

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は「応援団」に所属する中学二年生。

 先輩や仲間に支えられつつ成長する日々。

 学年が進み、活動でも「中間管理職」の役割を求められる中、過酷な役割「バクセン」を下命される。

 同様に過酷な「フクカン」を下命された同期の女子ベーデと共に、特別練習を乗り越え、愈々、年間のメインイベント「定期戦」がやってきた。

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 開校以来、定期戦が中止された年はない。

 定期戦までの間、僕は練習の合間を縫って、応援団の先輩方の人脈を辿り、幾つかの大学の応援団の練習を見学させて貰っていた。特に観客動員数の多いことで有名な試合に向けた練習を中心に回った。バクセン担当であることを伝えると、大学生の団員の皆さんは、丁寧に、其の心構え、コツ、自覚について教えて下さった。そして、最後には必ず、励ましの言葉を忘れずにかけて下さった。

 そして愈々、当日がやってきた。


*    *    *


「集合!」


 二年責任者のセージュンの声で、全員が整列。

 団長、リーダー部責任者、女子部責任者、吹奏楽部責任者と挨拶が続き、スタンド内での応援練習が始まる。去年経験済みとは言っても、ほぼ一年ぶり。去年は去年で身近の生徒とバクセンからの指示を見るだけで精一杯だった。なにしろ《向いている方向》が全く違う。

 スタンド上段最後方、バクセンの位置から見たセンターリーダーの位置は、遙か彼方だった。練習の時は距離こそ同じにしていながらほぼ平面であったものが、すり鉢状の競技場のスタンドでは転げ落ちるような圧迫感があった。


(うわ、これに一般生徒が入って、もし興奮で立ち上がりでもされたら…。)

 僕は、すっかり雰囲気に飲まれていた。


「…展開!」


 保科さんの指示で夫々が当の場所に散る。

 末長さんのサインで練習が始まった。

 一通りの練習が進むが、どうも、僕の指示が上手く伝わっていない気がする。遠くから見てもわかるほど、保科さんがリーダー板上で苦りきった顔をしている。


「集合!」


 到頭、保科さんの指が動いた。

 転げ落ちないように気をつけながら、新人を前へ前へと促しつつ最前列に集合する。

 先ず、セージュンに竹刀が飛んだ。


「重し役のお前が浮ついてどーすんだよ!」

「はいぃ!」


 新人が立ち位置に戸惑いを見せたことで叱責される。次に竹刀は僕に飛んできた。


「お前は、何のために彼方此方勉強して来たんだよ!」

「はいぃ!」

「お前は出来るんだっ、だからお前がバクセンなんだよ、四校随一のバクセンの自信持っていけよ!」

「はいぃ!」

「此処まできて、ビビッてんじゃない! 声出して、動いていけよっ! お前が押さえなんだよっ!」


 保科さんは、珍しく手を出した。僕の右頬を、近い位置からではあったが、一言一言に合わせて、何度も平手で叩いた。それは、「目を醒ませ! 雰囲気に飲まれるな!」と言い聞かせているのだと伝わってきた。


「はいぃーーーっ!」


 次に珍しく女子部責任者の遠野さんが竹刀を持った。


「貴女が自信もって指示を出さないで、どうして新人が従いて来られるの?」


 遠野さんは足下を竹刀で叩きながら、握り拳でベーデの肩を押し、両者の顔が着かん許りの位置で怒鳴っている。


「はいーぃっ!」

「何のために人一倍練習してきたの?!」

「はいーぃっ!」

「それとも、これまで私が感じてきたあなたの負けん気は気の所為?!」

「いえぇーーっ!」

「ならば、もっと、自分に自信を持ちなさい!」


 遠野さんも、ベーデの肩を押していた握り拳を離すと、ベーデの頬を一発至近距離からパンと平手で叩いた。


「はいぃーーーっ! 有り難う御座居まーぁっす!」


 竹刀が保科さんに戻った。


「良いか、お前ら、何のために今まで辛い思いしてきた? 今日、精一杯一般生徒を盛り上げて、選手に力を与えるためだろう!」

「はいーーっ!」

「お前らの努力は、ただの自己満足で終わりかぁ?!」

「いえぇーーっ!」

「最後まで全校生徒のためにお前たちの頭と身体と力を使え! 自己満足はそれからだ!」

「はいぃーーーっ!」

「展開!」


*    *    *


 保科さんがセンターに戻り、末長さんがリーダ板上に立ち、準備が整った。

 一般生徒がスタンドを埋めていく。

 身体の限りを動かして、リーダー板上のセンターリーダーの動きを皆に伝える。

 一般生徒が立ち上がるような場面では、僕は更に上段に上がり、必死で皆の目に届くことだけを考えた。

 此方こちらの姿を必死に確認しているリーダー全員が、吹奏楽部責任者が、そして、ベーデの姿が見える。

 頭の中には、特練の最後に末長さんが仰有った『一人一人が自らの成すべき役割を果たしていけば、自ずと結果は生まれてくる。』の意味が形になって見えてきたような気がした。

自分が今すべきこと。末長さんの、保科さんの出すサインに全身全霊を集中させ、それを必要としている仲間に伝える『鏡』に徹すること。それが閃いた途端、身体が軽くなったように、狂ったように、課せられた役割を果たすことが楽になった。後は、文字通り夢中だった。周囲からどう見えようと、僕の使命は、僕の姿を必要としている仲間たちに必要な情報を増幅させて伝える拡大鏡なのだから。まさに精魂尽き果てようという直前で、競技は終了した。


「本日は最終最後まで、誠に有り難う御座居ました。」


 末長団長の挨拶で一般生徒と観客がスタンドを後に帰宅する。

 応援団はそれからスタンドを掃除し、集合がかかる。

 そして、去年、集団乱闘の場となった隣接する公園で当日の解散式へと移る。

 今年からは、渉外会議の他に末長さんの発案で団長・副団長会議が開催され、幹部の『仲間』意識が強くなった所為か、昨年のような緊張感はなかった。集合がかかり、コールが終了し、解散。ここまで僕ら二年は、一年の時よりも疲れていたかも知れない。

 新人は、身体を動かすのが仕事、そして二年は、さらに新人の指導と幹部の意思を伝え、両者の動きが滑らかとなる可き良き歯車となること。歯車は綺麗なまでに摩耗した。


*    *    *


 解散の後、バクセンを指名した時のように保科さんがやって来た。


「駿河ぁ…。」

「…ぁいぃーーーっ!」


 バクセンの最中に指示するために、のべつまくなし怒鳴り続けていたため、声は殆ど出なくなっていた。それでも、まだ保科さんに決して負けた姿を見せ度くなかった。気を付けをした儘、保科さんを待った。


「良いバクセンだったな…。」

「…ぁりがとう御座居まーーーーーぁす!」

「俺がこれまで見てきたバクセンの中でも、一番イッてたぞ。」

「…がとう御座居まーーーーーーーーーぁす!」

「だけど、もうぼちぼち限界だろ?」

「…ぃいえーーーーーーっ!」


 僕は、保科さんの顔に自分の顔がくっつくほどの距離で返事を返した。


「そうか…。其の負けじ魂、よく学んだな。」

「ぁいぃーーーーーーーーーーっ! ぁりがとう御座居まーーー……ーーーーっす!」

「…今年の成功は、お前の御蔭だ。有り難う。…これから、頑張れよ、じゃ…。」

「…っれいしまーーーーーーーーーーぁぁす!」


 保科さんは、振り返らずに手をあげて去って行った。

 心なしか、其の後ろ姿は、とても寂しそうに見えた。

 僕は、保科さんの言う通り、正直、限界が近かった。何とか帰る力が残っているだけだ。


「はいぃーーーーっ!」


 耳に響く大きな声で横を見ると、女子部の集合が終わったところだった。責任者の遠野さんが、ベーデに声を掛けている。何を言っているのかまでは聞こえなかったが、同じようにベーデが、


「ぃいえーーーっ!」

「有り難う御座居まーぁす!失礼しまーーぁす!」


と繰り返していた。彼女も、彼女の職務を全うしたことを認められたのだろう。遠野さんが同じように寂しげな歩みでベーデから離れて行った後、ベーデは、其の場にしゃがみ込んで了った。

 僕は、ゆっくりとベーデの横に行った。そして、驚くほど、自分の歩みが遅いことに、其の時、初めて気が付いた。


「…ぉぃ、大丈夫か…。」


 自分でも人間のものとは思えない僕の声に、ベーデが顔を上げた。頬には、顔全体を覆った今日一日の埃を濡らした筋があった。


「…勘違いしないで。悔し涙じゃなくて、達成感よ…」


 其の声も、迚も普段の澄んだ綺麗なアルトの声ではなかった。


「…ァハハ…んくらい、ゎかってらぁ…。」


 彼女の頭をトンと手で撫で、鞄からウェットティッシュを探して差し出した。


「…ぉら、折角のお顔が埃と涙でなんだ、其の、…台無しだぞ…。」

「…ぁりがとぅ…」


 屹度きっと周囲から見たら、僕らが何語を喋っているのかも分からなかっただろう。ベーデは、僕に背を向けると、ウェットティッシュで顔を整え始めた。


「女の子が顔を整えるところなんか、見るもんじゃないわよ…。」


 彼女は、此様な時でも決して強気の発言を崩さない。


「…駿河も、顔くらい拭きなさいよ…。」

「あ、ぁぁ、…そうだな」


 彼女に背中を向けて自分の顔を拭き終えた頃、心なしか少し明るくなったベーデの声があった。


「…りがとぅ、綺麗になったわ。」

「…ぉし、仲間のとこ、行こうゃ…。」

「…ん…。」


 疲れ切って、一人で立ち上がるのも矢渡の彼女の片手の肘に、僕は手を貸してゆっくりと立たせてやった。


(うぇ、女の子の腕って此様なに細いんだ…。)


 制服越しに感じた彼女の腕は、日頃鍛錬しているとはいっても、僕らの無骨な腕とは比べものにならないくらい華奢な作りに感じた。


「ぁりがとう…駿河、これ…」


 ベーデが鞄から出した飴を二人で舐めながら、僕らは、少し前を歩いている、コーコやデン、セージュンたちに追いつくべく、ゆっくり歩き出した。

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