Ⅰ年 「応援団とは」 (3)A寝台→B寝台

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は「応援団」に所属する中学一年生。

 男女十四人の同期と活動の厳しさに追われる日々。

 苦悩の「特別練習」、「定期戦」も終わり、憧れの女子「小林先輩」の補佐に指名され、硬軟併せた指導を受ける。彼は先輩と裏表なく対峙する中で、自身が進むべき道を見出せるか。

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 僕は、自分の分を取り出すと、小林ヘルツさんと交換した。一学期からの四回分の成績と、其の中間に実施される学力テストで、合計六回分の試験について、九教科の素点と合計点、それらについて学年全体の中での席次が載っている。


「四 六 二 十二 八 一…」


 ヘルツさんの九教科合計点での六回分の席次を見て、何度も瞬きを繰り返した。最後は首席だ。

 此の世にこういう席次が連続するということ、さらにそれが自分の目の前で、今まで大変な苦労をして応援団活動をしていた人であることが信じられなかった。


「六七 五二 四三 五五 三二 四八」


 これがそれまでの僕の九教科総合席次だ。応援団を休部や退部にならない程度の極々ありふれたものだ。

 幹部の自信に満ちあふれた威厳と言動は、決してはったりや空元気などではない、ということが分かり寒気がした。つい先刻、八幡さんが口にした「努力をすることだ。だから誰にでも出来る」という言葉で、今になって「分かったか、此の凡人!」とでも言わん許りに、頬を強く叩かれたようなショックを受けた。


「矢っ張り特練の頃は、どうしても調子出ないわよね。」


 小林ヘルツさんは、何事もないように言い訳をしているが、これが言い訳をする席次なのだろうか。


「失礼します。私は、今、先輩にお見せしている自分の席次が恥ずかしいです。」

「ん? 駿河クンの席次? 恥ずかしい席次じゃあないよ。それに、一年の時の席次が三年でも其の儘かどうかは、その後の努力次第よ。」

「はい、努力致します。」

「内緒だけどね…八幡君ヤッチは一年の最初、君と同じように身体も小さくて、成績も後ろから数えて一桁だったんだよ。其処から頑張って、今、団長で、成績も前から一桁なんだから。そうそう、彼の成績票イエローカードが何て言われているか知っている? 『A寝台』よ。これって、どういうことか分かる?」

「いえ、分かりません。」

「三年になってから二学期の学力テストまで五回連続九教科総合でずっと首席。つまり『一』の文字が横にズラリと並んでいたの。それで席次の欄が上下の二段ベッドの寝台に分かれているように見えるからよ。但し、二学期の期末は私が抜かせて貰ったから『いやあ、矢っ張り鳥渡でも気は抜けないなぁ、狭いB寝台(三段)に降格になっちゃったよ』って、彼、笑ってたわ。」


 僕には、此の人たちが、日頃、一体、何様どんな『努力』をしていて、そして、こういう席次を維持して、当たり前の涼しい顔をしていられるのか、不思議に思わざるを得なかった。二年から三年への過程で、小林さんの言う「克服する」ための特別強靱な精神力でも備わるというのか。否、努力以外の何物でもないのだろう。


「だから、あの人の言う『努力』は裏付けのある本当の本物なの。私たちの同期は勿論、三年の誰も彼を軽んじることは出来ないわ。」


 僕は、特練おいこみの最後で、八幡さんが口にした『自ら努力の可能性を捨てない者こそが、明日の道を歩むことが出来る。』という言葉が今頃になってズシンと心に響いてきた。


「駿河クン、もし這い上がり度いのなら、少なくとも国、数、英は得意科目になさい。そして、理、社は得意分野では満点を取ること。さらに保健体育、美術、音楽、技術は、授業をきちんと復習して、提出物の手を抜かないこと。そうすれば、確実にあと三十~四十番は上がるわよ。一桁だって夢じゃない。」

「はいぃ、有り難う御座居ます。」

「あと、電車の中の時間を有効に使いなさい。朝の電車の中で《宿題》の予習をなさい。其の日提出の宿題じゃ危ないから、予め分かっている分を先にやるの。恥じるべきは過去ではなく、これからの努力を惜しむ自分よ。」

「はいぃ。」


「加えて、頭の切り替えをきちんとすることね。」

「失礼します。例えば何様なことでしょうか?」

「みんな、音楽を使っている人が多いわよ。それこそ、夫々好きなもので。応援団の練習でヒートアップした儘の頭で勉強なんか出来やしないわよ。一旦、クールダウンさせて、頭の中を真っ白にしてから集中して勉強するの。」

「失礼します。小林先輩は何をお使いでしょうか?」

「私? 私はガムラン音楽。インドネシアの民族音楽ね。これを一〇分くらい聞くと真っ白。」

「はぁ…。」


 僕は、本当に人夫々それぞれなんだなぁ、と思いつつ、自分でも何かを探そうと思った。


「あと内緒でね…君は口が堅いから教えてあげるけど、八幡君ヤッチはグレゴリオ聖歌。」

「おお、八幡さんが。」

「あと、君の同期のヨーサンはビートルズ、カーサマはリストよ。ベーデは讃美歌。コーコは謡曲。」

「お詳しいのですね。」

「んふふ。一つ忠告というか進言。応援団続けていくなら、女子のネットワークを甘くみないこと。」

「はいぃ、勉強になります。」


 僕は、此の一時の小林ヘルツさんの活き活きとした表情が大好きだった。


 応援団が本当に好きで、勉強も良く出来て、人の面倒見も良くて、愛らしい笑顔で皆に元気を与えて呉れる、まさに非の打ち所のない誇らしい先輩だった。入学式に、小林ヘルツさんに感じた年上の女性の感覚は、今では応援団という組織の中で感じるものに変わってはいたが、其の畏敬の念と淡い恋心は相変わらず続いていた。


*    *    *


 八幡さんが戻り、今度は会議テーブルを丁寧に拭き始めた。


「…駿河、お前、団長はリーダー部に属していると思ってるだろう?」

「失礼します。はい、そう思っておりました。」

小林ヘルツ、お前ともあろうものが、今の時期でまだ教えてなかったとは指導不足だな。」

「団長はね、どの部にも属さないの。応援団員であるだけ。三部の何処からも独立した役職なのよ。中立的な議長だとでも言えば分かりやすいかな。だから、最終判断者になれるの。言い換えれば、リーダー部員だけじゃなくて、女子部員、吹奏楽部員だって団長になることは出来るのよ。」

「そうなんですか…。いえぇ、失礼致しました。」


 僕は、少なからず驚いた。


「実際、今年の幹部を決める時は、決戦投票で小林ヘルツと俺が争った。」

「二票差で八幡君ヤッチになったんだけど、後でお互いに投票していたことが分かってね。冗談にもならなかったわ。」


 僕は、今となっては幻となった、ヘルツさんが校歌のテク(指揮)を振る姿を見てみたかったと思った。

(其の後の追いコンの余興で、小林ヘルツさんのリーダー部テクを堪能することは出来たが、それは宝塚というか、同性、異性を問わず惚れ惚れとするほどのしなやかさとキレ味の鋭い素晴らしいものだった。)

八幡さんの雑巾がけは、僕らが小学校の最初に習ったように、とてもきちんとしたものだった。決して好い加減に体裁だけ撫でているのではなく、机をしっかりと見つめ、拭いているというより磨いているという表現の方が近かった。何事に対しても決して力を抜かない姿勢が小さなことにも現れていた。


小林ヘルツさんは、八幡さんが雑巾がけする部分の書類の山を退けながら、語り続けた。


「つまるところ、体格がどうとか、顔つきがどうとか、そういうことじゃないのよ。本当の応援団の精神というのは外見や行動だけじゃなくて、私たちの心の中にあるものなの。寧ろ、応援団だから、そう在る可きものであって、そうではない外見や行動しか真似の出来ないモノは、単なる自己満足や見せ物ね。」

「はいぃ、肝に銘じます。」

「駿河ぁ…。」


八幡さんが、雑巾を搾りながら語り掛けてきた。


「はいぃ。」

先刻さっきも言ったがな。小林からも教えられていると思うけれど、応援団は決して特別なものじゃない。俺は特定の団員を特別扱いする気は毛頭ないが、お前にも頑張って欲しいと思っている。小学校までは何の取り柄もなかったような普通の人間でも、当たり前に努力して、応援団を全う出来る。それは決して嘘じゃあない。そして、それが本当だと思うからだ。頑張れよ。」

「はいぃ、有り難う御座居まーぁっす。」

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