Ⅰ年 「三百二十プラス一」 (1)初体験は軽く衝撃的
【はじめの粗筋】
これから始まるお話は、一人の男の子と周りの女の子達の日常譚。
これといって特長のない(否、寧ろ負の取柄(?)ばかりの)男の子が、何とか日々を過ごしていく中で、成長したりしなかったりする、毎日。
出会いというものは偶然の塊で、縁は突拍子もない処でつながれるもの。
昔、学校そばによく在った文房具屋兼雑貨屋兼駄菓子屋のような世界をどうぞ。
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「以上三百二十一名の入学を許可する。」
入学式、壇上から、校長先生の入学許可宣言があった。
* * *
僕は先日からどうにも、此の「三百二十一名」の「一名」に引っ掛かっていた。
今、入学式に臨んでいる《第一中学校》は、小学校からの内部進学者が八十名、中学校からの入学者が二百四十名で、一学年の定員は三百二十名の筈だ。
それが何故「一名」の余分が出ているのか。
当然、ボーダーライン付近の成績次第で、ズバッと線を引けないこともあるだろう。しかし、ここ十数年、三百二十名を欠いた年はあっても、越えた年はないと、塾では何度も聞かされていた。
中学校は三校受けた。受験日の順に合格発表があり、最初の一、二校目は不合格だった。
当時の中学受験で、合格の報が勝手に「届く」理由などない。当人がまったくもって諦めて、合格発表すら見に行かなかったところに、ご丁寧に受験者全員分の合否を確認に行った塾から連絡があっただけだ。
急いで手続書類を受け取りに出かけ、此の目で確認した合格発表の掲示板では、「以上二百四十一名」と最後に書かれている「一名」の文字が妙に浮き上がって見えた。それは『君が、はみ出した一名ね』とでも言わん許りに。
合格が決まってからは慌ただしかった。(実際にそうだったのは両親であって、僕は右へ左へ言われるがままに動いただけだったのだが)制服の採寸、指定鞄や体操着、ノート、教科書類の購入。あっという間に春休みは終わり、文字通り遅咲きの桜舞い散る四月の初旬。受験から二回目のお目見えとなる中学校の門を潜った。(当時は、企画された学校見学や学校説明会なんてものは、とんと聞いたこともなかった。)
昭和初年に完成したという校舎には、鬱蒼と蔦が絡まり、受験の頃には無かった筈の葉も付き始め、堂々たる偉容を誇っている。《門》というより校舎の一部を成す、一枚当たり幅二メートル高さ三メートルはあろうかという四枚の大きな鋼鉄製の扉が、内と外をはっきりと隔てている。地図で見れば学校の敷地全体を校舎が取り囲むように建っており、中庭兼グラウンドは様子を窺い知ることも出来ない。それは、ちょうど歴史の図鑑で見た中世西洋の城壁都市のように見えた。
* * *
道路から数段の石段を上り、其の
「新入生と保護者の方は、此処から別行動となります。生徒の解散は各学級での学活の後ですから、保護者の方はそれまで講堂にてお待ち戴きます」
セーラー服の左胸に、真新しく輝く「Ⅲ」の徽章を付けた其の先輩が、母に丁寧に説明している。僕にはまるでそれがデパートの店員さんか、エレベータガールのように、
(どうして、
少しの憧れと驚き、そして気恥ずかしさをもって、僕は其の先輩にコサージュを付けて貰っていた。
「おめでとう。
コサージュを付けながら、先輩はまるで其処から自分が母親にでもなったかのように、にっこりと微笑んで言った。
肩までの癖のない髪を額の真ん中で分け、笑うと小さな
「さ、君の学級を探しに行こうか。」
そっと背中に手が添えられて、中庭の掲示板へと誘われた。暗闇から一瞬にして再び春の陽光の下に出る。黴臭くて冷たかった空気も、花の香りを含んだ温かいそれに変わった。
「貴男、お名前は?」
「
「一緒に探そっ。えーっと、えーっと…、スルガクン、スルガクン…あぁ、有った二組だね。
「貴男」と呼ばれたことに面喰い、僕のような「一名」でも確かに名前があることを確認して安心する。
そして、また先輩に誘われ、明るい中庭から、また薄暗い昇降口まで戻る。
幾度もの明暗の往復で目が利かない。瞼をしばしばさせながら自分の下駄箱の位置を教えて貰う。
「朝、学校に来たら此処で上履きに履き替えること。校庭に下足で降りることが出来るのは、登下校の時だけ、これは大事だから覚えておいてね。」
僕は愛想もなく無言の
「アハハ、懐かしいなぁ…良かったね、合格して。」
「有り難う御座居ます。」
それまで、家族も含めて周囲の人に褒められるという経験が殆ど無かった僕は、漸く小さな声で返事をした。
「さぁ、準備が出来たから、今度は教室まで行こう。」
堅牢な《城壁》を構成している重厚な校舎。人の往来で擦り減った階段を数段上り、中に一歩足を踏み入れた瞬間、昇降口とはまた違った、古めかしい冷気に包まれた。
「んふ。ヒヤッとするでしょう? 建物がもの凄い厚さの壁で頑丈に出来ているから、鳥渡やそっとの暑さでも内まで届かなくて涼しいのよ。」
先輩は前を向いた儘、廊下の柱を小さな拳で叩き、ゆっくりと喋りながら歩いて行く。まるで僕の心を全て見透かしているかのようだ。
「はい、着いた。此処がこれからの君の学級、一年二組。黒板に名前と席順が貼ってあるから、それを見て座ってね。後は、担任の先生がみえて指示して下さるわ。私の役目は此処まで。じゃあ、三年間頑張ろうね。」
「はい、有り難う御座居ました。」
また小さな声で返事をした僕に、先輩は握手を求め、『しっかりしろ! 少年!』とでも言うかのようにギュッと握り、小さくバイバイをして、別の新入生を見つけるために昇降口に駆け戻って行った。
* * *
小学校の卒業間際では男子と女子が、(多少の例外は別として)自然と反目しあっていた。それはとりたてて特別な事情があったからという訳ではなくて、其の時期に特有の、精神的な発達の違いから来るものだった。
そう、女子はもう思春期が始まって大人びた考えを持ち始めているというのに、男子はいつまでも子どもで、馬鹿げた大騒ぎと独善と勢いとで生きているから、男女の間に普通の会話などというものは成り立たなかった。
僕は、主だった男子とも一歩離れたところで、男にも女にも与せず、普段は寡黙に過ごしていた。それでいて時として急に饒舌になる。低学年の時でさえ担任に「言うことは立派です」と通知表に皮肉られるほど口許りが達者だった所為もあり、女子から見ても男子から見ても「扱い難い奴」と、蚊帳の外に放り出されていたのだろうと思う。また、僕は僕で周囲との関係を鬱陶しく思う性分でもあったので、希薄な人間関係でも構わないと半ば諦めて生活していた。
【次回・・入学式、学活、何もかもが初めてのカルチャーショックな一日へ・・】
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