Lifelink


 それから更に一月が経った後。Mr.Faceleeは忽然と姿を消し、街での目撃情報もぷっつりと無くなってしまった。操はあの夜の説得を素直に受け入れてくれたのだと、胸をなで下ろした。少々強引なやり方だったので、逆上されたり頑なに反抗されたりしていないか不安に感じていたのである。


 なぜ、あのような攻撃的な態度をとってしまったのか。操は自分で自分がわからなかった。ただMr.Faceleeと会った瞬間にそれまで想定していた言葉を全て忘れて叱咤したくなったのだ。


 操は頭のどこかに引っかかりを残しつつも自分の言葉が全く響かなかった訳ではないと安心感を膨らませて自分を納得させると、今宵の妖怪退治に集中するため資料に目を落とした。


ぬえ』。


 それが今回のターゲットだ。


 鵺は複数の獣が融合した妖怪である。


 用意された資料には鵺をとらえた写真があった。虎の身体に犬の手足、猿の頭と蛇の尾を持つ姿が映っていた。そしてその写真の下に鵺の最大の特徴である、世にも不気味な声で鳴き、人を惑わせると特徴や能力が箇条書きにいつくも書かれていた。とは言え改め資料を確認せずとも凡その事は元々頭に入っていた。それほどにまで知名度のある妖怪であることは間違いない。


 しかし反対に言えば古くからの資料に書かれている事しか情報がなく、未だに研究が進まぬ程に得体の知れない妖怪というのも事実だ。


 今日の仕事には四人の子供らの協力が必要だった。建設中のビルの上に鵺が住みついており、それを退治するために来ていたのだが今日の仕事は普段とは少々勝手が違う。今回の妖怪は力が強大で数名の人間と妖怪を従えているという前情報を得ている。妖怪は術で退治すれば事足りるが、人間相手ではそうもいかない。どれだけの大罪人であろうとも命を奪ってしまえば批難されることは必至だ。


 門弟たちが露払いとして先行し雑魚や人間を引き付ける。その隙をついて件の妖怪を屋上まで追い詰め、その後に子供らが四人で四角く結界を張り、逃げ場を封じた上で操が処理するという流れが今回の大まかな段取りだった。


 やがて神邊家の一行は、とある廃ホテルの前に辿り着いた。ビジネス街の一等地にありながらもそのホテルは取り壊される様子はなく、ただただ無情に目張りをされ立入禁止と書かれた看板を門番に携えていた。


 この廃ホテルの噂話は相当に有名だ。それはありふれた話であるが、解体処理をしようとすると決まって事故が起こったりするというもの。今にして思えばここに巣くっているという妖怪の仕業なのだろう。


 到着するや否や、神邊一門は手慣れた差配と動きでホテルの周りに散らばっていった。


 先行部隊の門弟たちがホテルのドアの前で一つ深呼吸をすると、錆びて埃をかぶったガラス戸を押して中の闇に消えていった。


 一階のエントランスは吹き抜けになっており、とても広々とした印象を持った。だからこそ、人気のない空間の抱える物悲しさが幾重にも折り重なっている様な気になった。月明かりが微妙に差し込んでいるもの、死角は多い。門弟たちはできるだけ気配を殺していたはずなのに、まるで見ていたかのような速さであちらこちらの物陰から妖怪や人間が出てきた。


 妖怪はともかく人間の方はあからさまに様子がおかしい。ぎらついて血走った眼球には覇気がこもっているくせに、身体や表情には生気が宿っていないような気がした。


 門弟は全員が術に堪能である訳でもない。こういったように人間を相手取る場合もこの稼業には付き物だ。警察組織などと連携をとる場合もあるが、大抵の退治人の場合は自らの組織で対人間を想定した武闘派のチームを形成する。この方が術をメインに使うチームと連携が容易になるのが大きな理由だが、それも潤沢な資金を用意できる神邉家だからこそのシステムでもある。


 露払いが混線する中、操率いる本命の部隊がロビーを颯爽と突っ切て行く。中には負傷して血を流す仲間もいたが、操らは一瞥することもなく通過していく。情にほだされて歩みを止めては彼らの仕事を無駄にしてしまうと知っているから。


「行きますよ」


 そう声を掛けようとした瞬間。


 ホテルの中に名状しがたい不可思議な声が響き渡った。


 ヒョウヒョウ、と空高くから聞こえてくるようでもあり、地から湧き出でてくるようにも聞こえる不気味な声だ。


「この声は…鵺?」

「上みたいね」

「私が先行します。前方だけでなく前後左右全てに気を配りなさい」


 一行は一路、最上階を目指して登って行った。


 ホテルの最上階はワンフロアがパーティ会場として利用できるような設計となっていた。会場は隅にテーブルと椅子が並べられていた。ホテルとして使われていた時代には結婚披露宴や式典を行っていたのであろうことは安易に想像できる。


 しかし会場には鵺の姿はなく、気配もしない。予め調べていた情報によると会場の奥には従業員用の通路があり、その更に奥には屋上へ通じる階段があるらしい。依然として鵺のヒョウヒョウという声が上から聞こえてくる。ともすれば屋上を陣取っていると考えるのが普通だろう。


 ところで、ここまで歩みを進めてきた一行には不気味な予感があった。入り口から侵入した後は想定通りに妨害があったのに、それ以降はまるで反応がないせいだ。ここまで用心して進むのが馬鹿馬鹿しく思えるほど気配がないのである。


「諸葛亮にでもなったつもりかしら?」


 操はそんな悪態を誰にも聞こえない声で呟いた。真偽は定かではないが、もしも計算の上での事なら少々厄介だ。そんな計略の真似事をする程度には知能があることの何よりの証になるだろう。


 やがて一呼吸を置き、建物の見取り図を確認すると全員が再集中をした。この先に部屋はない。いよいよ屋上に出て鵺と対峙するばかりだ。我が子らを始めここにいるのはいずれも経験豊富な精鋭たち。彼らの顔に油断はない。それを見届けると操はいつものように静かに指示を出す。


 三人が先陣を切って屋上への扉を開けて突入する。彼らが安全を確認すると残りの全員が軽やかになだれ込む。屋上は月と星とに照らされて昼と見間違えるほどの明るさとなっていた。


 屋上に出た一門はすぐさまに操を中心に円陣を組み、警戒の色を濃くする。唯一の手掛かりと言っていい鵺のヒョウヒョウという鳴き声はいつの間にか止み、風のそよぐ音しか聞こえない。


 このホテルの屋上はそこそこの広さがある上に元々人が立ち入ることを前提としない造りだったようで、空調機器や給水タンク、電気系統の制御設備などが多く設置されていた。それはつまり、操たちにとっては余計な死角になるということだ。


 にじり寄るような動き方しかできない状況だったが、その問題は焦りを生む前に解決することになる。


 神邊家の敵たる鵺が操が見据える正面の機械室の上に、例の不気味な鳴き声と共に現れたからだった。


 反対に神秘性にたじろぐほどに禍々しい姿をした鵺を前にすると、一同は不覚にも見惚れてしまい動きが目に見えて固まるのが分かった。するとその隙をついて、先刻にエントランスで一階のロビーで退治し損ねた妖怪たちが四方八方から攻撃を繰り出してきた。全員の意識は一間遅れており、数名は反応すらできていない。


 そんな中、器用に術を使い見事に守備に徹していた二人がいた。千昭と冬千佳である。


 彼女らはその幼さが幸いして、鵺の放つ蠱惑的な禍々しさに捕らわれていなかったのだ。


「サンキュー、冬千佳」

「うん」


 次いで夏臣と悠が我を取り戻すと、順繰りに神邊一門は正気に返っていった。鵺の妖力は年輪によって及ぶ効果が異なるのかも知れない。


 将を射んとする者はまず馬を射よ、という言葉を知っていたのかどうかはさておき、悠は一先ず取り巻きの妖怪たちを退けるために術を唱えた。それを見届けた夏臣は双子の妹二人にアイコンタクトを送る。


 慣れた動きで悠、夏臣、千昭と冬千佳の三組で小規模な陣形を作り妖怪たちに応戦する。



『汝、悪しきを喜ぶ神にあらずんば、悪人は汝の賓客たるを得ざるなり』


『汝の手善を為す力、之を為すべきものに為さざる事勿れ』


『彼は義人の為に聡明蓄え、なおすすむ者の盾となる』



 それぞれが三様の呪文を唱える。繰り出される呪文は当然ながら違う様相を見せた。


 悠が攻め、夏臣がその術の効果を高め、二人が集中できるために千昭と冬千佳が防御に徹する。オーソドックスだが、だからこそ隙のない布陣であり彼女らが信頼を置く戦い方だった。


 子供らの術は単に妖怪を四体滅ぼしたに過ぎなかったが、それは神邊一門を鼓舞するという副次的な効果も生み出している。


 いつも通りの冷静沈着な戦い。


 鵺を取り巻く妖怪たちは一体ずつ着実に消えていき、ものの数分で鵺を残すばかりとなってしまった。


 ところが、そうなっても肝心の鵺は微動だにしなかった。狛犬のように現れた場所にじっと居座っているばかりである。事情を知らなければ置物か石像とでも錯覚してしまいそうなほどだ。


 そして。


 この屋上にあってもう一人、微動だにしていない人間がいた。彼女は門弟や我が子たちが懸命に戦っている最中も眼光鋭く鵺を睨みつけているだけだった。


 全員が操の異変に気が付くのと、鵺が動いたのは正しく同時の事だ。皆の意識が操に向いてしまったせいで、鵺の行く手を阻むことができた者はいない。その上、操が動かなかったせいで一門が今いる場所と大きく離れてしまっていた。


 猛虎の如く飛び掛かった鵺は口を大きく開け、鋭い牙を覗かせた。その様子を目の当たりにしても尚、操は動くことはなかった。


「操さま!」

「お母さん!」


 叫びながら悠だけが鵺と母親に向かって攻撃の術を放った。鵺に当たればよし、仮に操に向かったとしても母親の実力なれば容易く打ち消すことができるはず。操の退治人としての能力はそれほどまでに高い。


 そして、悠の万が一の予想通り、操は容易く悠の放った術を掻き消した。


 ただ一つ予想外であったのは、操が鵺を守るため術を消したという点だった。

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