Noble Purpose 2
「!?」
慌てて距離を取ると、元興寺が必死に抵抗してその光を振り払おうとしている姿が目に入ってきた。そして次の瞬間、光球は元興寺ごと花火のように炸裂し、あとにはまるで蛍が飛行しているかのような光の破片が散らばったのだった。
裕也は自分のはるか後ろに気配を感じた。そこには神妙な面持ちで立つ、妻の神邊操がいたのである。
「見つけましたよ」
元興寺などはまるでいなかったかのように、操は淡々とした口調で語りかけてきた。その瞳は氷で作ったと言っても得心がいくほどに冷ややかな気配を醸し出している。
待ち望んだ状況に裕也は心臓が跳ねるのがわかった。元興寺との戦いよりもよっぽど緊張感があったのだ。
「ええと?」
頭の中のスイッチを切り替えて、裕也はMr.Facelessとして振る舞う。Mr.Facelessは当然ながら操が誰で、どういう人物なのか知らないのだからこうして無知を装った。
「お初にお目にかかります。神邊家当主の妻で、神邊操と申します」
「ご丁寧にどうも。フェイスレスです」
「失礼ながら今の妖怪との戦いを見物させて頂きました。からくりは分かりませんが、生身で妖怪と戦うとは感嘆です」
アシクレイファ粘菌に覆われていた裕也の顔はこれ以上ない程に恍惚とした表情になっていた。それほどの多幸感を味わう機会は二度とないだろう確信する。虐げられ、押し込まれ鬱屈としていた反動で喜びが溢れ出くる感覚に酔いそうだった。
他ならぬ、操に褒められたことがそうさせたのだ。
裕也はいっそ正体を明かしてしまいたい衝動と興奮とを抑えて、もう少し悦に浸ることに決めて言った。
「神邊家の方にそう言ってもらえるとは嬉しい。あなたたちに認められたくて僕はこうして妖怪退治をしてるんですから」
「認められたくて?」
「僕には神邊一門に入るような霊能力の才能はありません。けどこうやって妖怪と戦う術を身に着けた。それからは及ばずながらこうしてお手伝いをさせてもらっています。あなたたちと一緒に戦いたいから」
「…なるほど。薄々は感じていましたが、やはりそうですか」
「当主の奥様だと言うのなら頼んでくれませんか? 僕の実力はそろそろ理解してもらえたでしょう。神邊一門と一緒に戦わせてください。そうすれば僕の正体もお教えしますよ」
少々思っていた状況とは違うものの、裕也はこの一月の間寝ても覚めても伝えたいと思っていた事を伝えられた。家で子供たちの反応を見ていたがMr.Facelessへの印象は決して悪いモノではない。義母にどう説明するかが恐らく最大の難所になるだろうが、操が共に説得してくれるのならもう怖い事は何もない。
神邊家の、本当の意味での家族の一員になれる。裕也はそう思った。だが。
「お断りいたします」
帰ってきた言葉はどんな不協和音よりも嫌厭たる響きだった。
「え?」
「私があなたと接触を図ったのはあなたを止める為です」
「止める為…?」
「ええ。身勝手な妖怪退治を即刻辞めてください」
内臓を直接に刃物でズタズタにされ体内に出血が広がっている。裕也はそんな感覚に陥った。急速に口の中が渇いていき、うまく声が出せない。一瞬、喋り方を忘れてしまったのかと思った。
「ちょっと待ってくれ。身勝手って言うのはどういうことだ? 今の戦いを見てくれただろう。霊力はないが戦える。あなた達とやり方は違うかも知れないが」
「戦い方をどうこう言っているのではありません。私はあなたの戦う姿勢がダメだと言っています」
「戦う姿勢?」
意味が分からない。通常通りに頭が働いていたとしても、操の言葉の真意は測りかねていた事だろう。
「身勝手と言った意味がよくお分かりでないようですね」
「…ああ。わからないね。退治屋の中で縄張りでもあるのかな?」
ふっ、と鼻で笑う吐息が聞こえた。
「そんな事を言っているのではありません。神邊一門の末席に加わったばかりの新米でもできている心得があなたにはできていないと言っているんです」
操はスタスタとこちらに歩み寄ってきた。敵意もなければ好意も感じられない。感情の起伏がないせいで、顔はあるのに彼女の方がよほどのっぺらぼうに見えた。
「貴方と同じように術を磨き、神邊一門に加わりたいという者は後を絶ちません。けど彼らは私達と戦いたいから門を叩くのではありません。街や人を守りたいという考えからやってきています」
「そ、それは言葉の綾だろう。そんなものは当たり前の上で一緒に戦いたいと言っているんだ!」
「口ではどういっても、あなたは心の底からそう思っていませんよ。今の戦い方を見ていれば分かります。あなたは自分の為に力を振るっている。その上、相手を蹂躙する事にも快感を感じているでしょう。今の戦いも退屈だと思っていたのではありませんか? 」
「…」
「あなたは守るよりも戦うために戦おうとしています。さらに言えば自分の力をこれでもかと誇示しているみたい。そのよく分からない姿と力は生まれもったものでなければ、努力や訓練で身についたものではない…ごく最近になって突発的に授かったものではないですか?」
「う」
ズバリ図星を衝かれ、言葉に詰まってしまう。操の持つ才能は霊能力に留まらない。勉学や運動力、観察眼や考察能力などなど天は二物を与えず、などという諺が馬鹿馬鹿しいモノに聞こえる程の一傑だという事を再認識させられた。
普段、夫という立場でしか彼女を知らない裕也は蛇に睨まれた蛙よろしく動けなくなり、立っているのがやっとという有様になっている。
「それを真っ先に悪事に利用しなかったあなたの人間性は素晴らしいと思います。しかしあなたは力の使い方を知りません。何が起こるか分からない力は恐怖以外の何物でもない」
「いや違う。僕は誰かのために…」
「ほら、今の言葉が真実ですよ」
「え?」
操はきっとした視線とそれと同じくらいに鋭く裕也の事を指差した。視線と人差し指は刃物と見紛うほどに冷たく刺さる。
「あなたの言う「誰か」というのは一体誰なんですか? 誰かの為、皆の為に、世の中の為にと言うのは簡単なんです。だってそこには誰も居ないんですもの。いない人のために働くなんて何の苦労もない。そもそも人間一人がそんな大勢の為に動く事などできはしない。あなたが自分を過信して己惚れている何よりの証です」
「そ…んなことは」
「では想像してみてください。誰かのためにと言った時にあなたは誰を思い浮かべたのですか? 誰かという人がいるんですか? それともあなたのような顔のないのっぺらぼうを助けたいとでも?」
「…」
「欲張って、賞賛を得たくてなりふり構わず大勢の相手をしてもそこには誰も居ないんです」
怒涛の勢いで襲い来る言詩を受け止めながら、裕也は必死に対抗する術を模索する。そして口から野球ボールを吐き出す様な苦痛と共に「だったら」という声を出した。
「だったらあなたは誰の為に…?」
「家族ですよ」
「っ」
「私は何よりも家族を、夫と子供たちを守りたい。だから戦っています」
躊躇いのなく即答する操の姿に、裕也は辛うじて自分を支えてくれていた何かが呆気なく折れてしまったのを感じた。先ほどまで夢想していた未来と元興寺との戦いは途端に羞恥の念が込み上げてきて、忌むべき過去になり果てている。
かつてないほどの喪失感が頭の中を支配する。叫び出したくなる衝動を抑えた自分を褒めて槍とすら思った。
「今日は忠告に伺いました。これ以上自分勝手に力を振るい妖怪退治を続けるというのであれば、私はあなたを正式に敵と見なします」
操は「では」と短く別れを告げると、かけらも未練を残すことなく団地の広場を去って行った。月が雲に隠れると、微かに照らされていた裕也も自分の手すら見えぬ程の闇が蔓延した。
すると自然と足の力が抜け裕也はペタンっとその場に座り込んでしまった。それから空が白んでくるまでの間、呼吸をしているかどうかも定かでない程に微動だにしなかった。
アシクレイファ粘菌に覆われた下で、彼は一体どんな顔をしていたのだろうか。
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