Beginning of Romance
裕也は神邊家の分家筋の長男として生を受けた。分家と言えども妖怪退治の素質を持つ者も多く生まれている。そういった者たちは本家に修行に出たりして研鑽を積むのだが、裕也にはそのような才能は微塵も受け継がれなかったのである。
とは言えども所詮は分家の生まれなので、その様な才能がなくても全く困らなかった。妖怪に関わる才がほとんどない一方で学業、特に語学の才に長けていたのも功を奏し、裕也は中学生の頃には英文の翻訳家になりたいという夢を持っていたのだ。
裕也が英語に目覚めたのは小学生の頃に読んだアメリカンコミック、所謂アメコミが発端だった。
友人の勧めで数冊のアメコミを読んだのを皮切りに、彼はどんどんとその魅力的な世界に嵌って行った。様々なアメコミを読み耽ると、今度は訳されていない原文のままの本を読んでみたいという衝動に駆られていた。英文でアメコミを楽しむという趣味は、次第に他の漫画、小説、映画、舞台などに波及していき、高校を卒業する頃にはネイティレベルの英語であっても卒なく扱えるほどになった。
大学は当然のように英文学科を専攻し、学業に励んだ。そのまま卒業すれば平穏無事な生涯となったことは間違いないだろうが、裕也はとある女性と出遭ってしまったのである。
その女性というのが他ならぬ、今の妻である神邊操であった。
操は裕也とはまるで正反対の人物であった。容姿端麗で人当たりもよく、大学でも屈指の人気者という認識だった。とりわけサークル活動にも精を出さず、強いて言えば成績が学年で上位にあるくらいが取り柄の裕也からしてみれば、テレビで見る芸能人と大して変わらない距離にいる人間だった。だが裕也にとって最も遠い存在だと感じさせていたのは、操が神邊家の本家の正式な跡取り候補だったという、彼女のその立場にある。
操は歴代でも屈指の霊力を持ち、幼少から将来を期待される程で正しく神童と呼ばれるに相応しい人間だったのだ。成長するに従って才能は衰えるどころか更に伸び、神邊家の名声を現代に知らしめる要因ともなった。
神邊家の本家の者が大学に通う事は稀だった。それどころか子供の頃から深夜に妖怪退治の仕事を請け負うと言う家柄もあって、大抵は小学校にすら通わず自宅で一般教養を家庭教師から学ぶ。ところが操は家業と学業を見事に両立させており、そうして大学生活まで謳歌していた。
裕也は操が同じ大学に通っていた事は知っていた。一応は親戚であるし、子供の頃は年齢が同じという事もあって少しは仲が良かった。尤も時が経つにつれ、妖怪退治の才能のない裕也は本家には寄り付かなくなっていたし、本家からも何かしらのコンタクトを取ってくることは皆無だったので自然と操との繋がりも薄れていった。
ところが入学から二カ月が経って新生活にも多少の落ち着きが出てきた頃に、操の方から裕也に対して何かと理由をつけては連絡を取り、学校生活を共にするようになったである。始めは妖怪退治屋として名声を馳せている重圧が大変なのか、というような勝手な妄想をしていたが本人にそれらしい様子は皆無であった。
裕也は今でも時々信じられなくなるのだが、操は裕也を一人の男性として好いていた。
大学の二回生に上がる頃、操は結婚を見据えた交際をして欲しいと裕也に真剣な告白をしてきた。裕也は当然のようにそれを断った。国民平等が憲法で保障されていようとも、神邊家の本家と分家には封建時代と変わらない程の身分の違いがあることを理解していたし、そもそも一人の人間としても釣り合わないと思っていたからだ。
けれども性根が弱々しい裕也が、次期神邊家跡取りとしてその期待に遺憾なく応える様な女性のアプローチをいつまでも躱し続けられるものではなかった。外堀を埋められ、共通の友人たちは全員が操の肩を持ち、身に覚えのない既成事実まで作られた結果、二人は交際をスタートした。それが、二回生の夏休みの事である。
そして二人がまもなく卒業するかどうかと言った時期。操は今度は結婚をしようと言い出した。裕也は年齢的に尚早であることは元より妖怪退治を家業にする神邊家の、それも本家の息女と一緒にはなれないし、周りも許さないだろうと言った。だが操の意思は固く、望みが叶わないならば卒業と同時に駆け落ちして退治屋業から一切足を洗うと言って裕也を説得してきた。
裕也も散々に悩んだが二年の交際を経てすっかり操に惚れていた事もあって、駆け落ちを受け入れ、結婚する意思を固めたのである。
卒業してから二人は有言実行して遠い町で慎ましく生活をしていた。駆け落ちしてすぐに操も妊娠しており、思えば裕也にとってその日々が最も幸せな結婚生活だった。
だがその生活は三年と続かなかった。
真鈴町を根城にしていた妖怪たちが日を追うごとに凶悪化していったのだ。原因は不明のままだったが、神邊家は総力を挙げて操の行方を追った。政治関係や警察組織にもある程度顔の利く神邊家の追跡をかわすのは赤子を育てる操と裕也には難しかった。
本家は論なく二人を別れさせようとしたのだが、それには操が猛反発をした。お互いが最大限に譲歩し合った結果、裕也を当主として認め、結婚関係を維持したまま神邊家の本家に戻ると言う折衷案が提示されたのだ。
しかしながら、操を除いて裕也を神邊家の当主として認める者は内外に一人もいなかった。本家筋の者は勿論の事、神邊家に従事する者、退治業の修行として神邊家に出入りする者、果ては退治人の組合的組織からもひどく疎まれていた。
始めの内は操の見えないところでの嫌がらせなどがあったのだが、裕也は気にしないようにしていた。退治人としての才能が全くなく、毎夜に街に繰り出しては妖怪退治をする妻の傍にもいられないことに、裕也はひどく落ち目を感じていたからだ。操が気にしなくていいと励ませば励ますほど彼の立場は悪くなっていった。
それは裕也が四十の齢を迎えた今でも変わらない。いや、むしろ更に悪いモノになっていた。取り分け二人の子供たちの事だ。
裕也と操の間には合わせて四人の子供が生まれた。
長女の
長男の
次女の
三女の
四人とも裕也の子ではあるが長女の悠を除いて子供たちの名前は全て神邊家に名付けられたし、悠以外の子に至っては抱かせてもらったことすらない。
ところで裕也は我が子らに妖怪退治の才能がないまま生まれてくるのではないかという事を一番に心配していた。神邊家の本家にあってその才能がないとどういう立場に身を置くことになるのか、裕也が最も理解していたからだ。
だが、そんな心配は杞憂に終わる。
四人の子供らは全員が操の才能を色濃く受け継ぎ、母と同じく幼年期から類稀なる才能を発揮していた。その点において裕也は胸をなで下ろしていた。しかし退治屋としては良かったかもしれないが、一つの家族としては決して褒められない方向に事は動いてしまったのである。
子供たちは妖怪退治の才能が欠如している父を全く敬おうとしなかった。
それどころか軽蔑すらしていた。そもそも母を除く家人全員が、裕也を蔑ろにして腫物扱いをしていたのだ。その様子を見て育った子供らは同じく父を心の中で見下しながら成長していった。通常ならば小学校などでできる友人たちとの会話で世間とのギャップを埋められたかもしれないが、神邊家の子供にできる友人は同じく退治屋の跡取りや関係者の子供たちである。裕也の事は他家でも当然噂されており、寧ろ子供たちは何故自分の父親は他の家と違って妖怪退治ができないのだろうと、反発を助長する結果を招いていた。
特に長女の悠の父に対する態度は酷いものがあった。
普通の子供であれば小学校を卒業し、中学生になろうかという年の頃。少女であれば誰にでも訪れる様な反抗期や思春期を迎えた悠は目に見えて父を拒絶し、反発した。箍がはずれたように、父親どころか下手をすると人としても認めていない様な態度を取っていた。それはそんな長女の様子を見ていた弟妹たちにも容易く伝播した。
それは悠が十七歳になった今日まで変わることはなかった。
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