Last daily life
某日。
神邊家の人間は妖怪退治屋という職業柄、昼夜逆転した生活を送る。
裕也も家族たちを送り出し、帰りを出迎えるために夜に仕事をして昼に眠るという生活リズムになっていたのだが、今日ばかりは朝から動かねばならない事情があった。
その日は裕也の両親の墓参りに行くことが決まっていた。車を使っても片道二、三時間はかかる場所に生家や菩提寺があるので、予想をしていたがついてくると言った子は一人もいなかった。
「裕也さん、本当にごめんなさい」
「ううん。仕方ないさ。あの子たちも操さんも日頃から頑張ってるんだから」
「やっぱり私だけでも…」
「何を言ってるのさ。今日の夜だって仕事だろ?」
「…そうね」
「ありがとう。いつもあの子たちを守ってくれて」
「気を付けてね」
裕也は操一人だけに見送られて、裏口から出ていった。
当主である裕也が裏口からこそこそと出て行かねばならないのか。操は今なお、裕也を認めてもらおうと内外を問わずに心を砕いていた。しかし、だからこそ裕也はそれが自分の立場をさらに危ういものにしているから止めてほしいと中々に言えなかった。いや、諸々に聡い操の事だからうまく立ち回ってくれているお蔭でこの程度に収まってくれているのかもしれない。
操は裕也が一人きりで墓参に出向くことを心痛に感じていたが、裕也はむしろ一人きりで出かけられる時間がとてもありがたかった。離婚をしたいと思ったことは自信をもって一度もないと断言できる裕也だが、いっそのことあの家から逃げ出してしまいたいと思った数は両の手では足りなくくらいだった。
それに仮に子供たちがついてきていたとしても、今更どう接していいかなどまるで分らないのだ。
裕也の両親が亡くなったのは五年前のことだった。両親とも十年ほど前から揃って身体を壊したかと思うと目に見えて弱っていった。そして母が先に亡くなったかと思えば、その一月後に父が跡を追うように息を引きとってしまった。裕也はひどく落ち込んでしまったが、それでも子供たちが本格的に裕也を拒絶する前の事だったので、数回だけではあるが孫の顔を見せられたことが裕也にとっては心の救いとなっていた。
やがて家の裏手から二十分ほど歩いた先にある駐車場に止まっていた軽自動車に乗り込む。これは何年か前に中古車販売で手に入れた裕也の愛車だ。絶妙にくたびれた様子がどうしてか気に入ってしまい、反感を買う事は目に見えていたが無理に購入した車だった。
翻訳家としての収入は同年代のサラリーマンに比べれば一回りくらいは見劣りする。元々家事の合間にしている仕事なので致し方ないが、神邊家の家系は妖怪退治での報酬によって支えられているため、裕也の稼ぎなどははした金程度にしか思われていない。それでも裕也は食費や諸々の経費として給与の四分の三を家に入れ、残りを自分の小遣いとして使っていた。だが立場上、むやみに外出や買い物などができる訳もなく、ほとんどが貯金に回っていた。金のかかる趣味を元々していた訳でもないので、中古車を迷いなく一喝で買うくらいの私的な貯蓄はあったのだ。
エンジンをかけると埃臭さが車内に広がった。フィルターも古く、きっと中は黴の温床になっているのだろう。
裕也は出発する前にカーオーディオにCDを挿入した。CDはクリアケースに入っただけの無味なもので中身が何であるのかが全く分からなかった。このようなCDが裕也の部屋には山のようにある。こうした一人の時間を楽しむときや落ち込んで音楽を聞きたいなと思うときに、裕也は長年ダビングしてきた無地のCDを棚から適当に引き抜き出し、まるでおみくじのように音楽から何かしらのメッセージを勝手に受け取るような趣味があった。
程なくしてスピーカーから音楽が聞こえてくる。イントロだけで誰の曲がピンと来た。そしてその歌詞の内容と今の自分の心情とが重なってしまい、裕也は一人で笑ってしまう。
そして車内にBon Joviの『Livin’ On A Prayer』を響かせた一台の軽自動車が静かに動き出したのだった。
それからのドライブはとても快適なものとなっていた。操には悪いと思ったが、このような機会にうんと羽を伸ばしておかないと潰れてしまいそうになるので、裕也は精一杯楽しむことにした。
トイレ休憩がてらに立ち寄ったサービスエリアで気ままに買い食いをしたり、最寄りのジャンクションの一つ手前で降りて一般道をのんびりと進んでいく。家では到底できはしないが気持ちよくCDから流れてくる曲に合わせて歌を歌ったり、ちょっとした気まぐれでバッティングセンターに立ち寄ってみたりと、まるで学生時代に戻ったかのように自由奔放、風の向くまま気の向くままに運転をしていた。
そして色々と目移りしてしまう自分を戒めつつ、本来の目的であった両親の墓参りを済ませる。寺の住職に簡単な挨拶をした後に車に戻って時計を見てみると、少し早めに出た事と道が思った以上に空いていた事もあって正午にすらなっていなかった。
昼食を考える前に裕也は無性にどこか見晴らしのいいところ行きたいという欲求にかられた。何故そう思ったのか、それは誰にもわからない。早く家に戻った方が心証はいいのだろうが、今更そんな程度で本家の人間たちが裕也に対する態度を改めるとは到底思えなかった。どう転んでも嫌味を言われるのなら、こんな日くらいは楽しんでから帰っても罰は当たらないだろうと思ったのだった。
寺の駐車場でこれからどこに向かおうかと十五分程度、思案していた。
やがて裕也は、ここから車で一時間ほど走った先に日帰りの温泉施設があったことを思い出した。ゴールが定まると地元の事だったので次々とそこに至るまでのルートと道すがらどんな店や施設があったのかが、水から出る気泡のようにどんどんと浮かんできた。その途中には学生時代に一番通っていたラーメン屋もある。昼時で混んでいるかも知れないが思い出したが最後、無性に食べたくなって仕方がなかった。裕也は高速道路を途中で降りた事やバッティングセンターなどに立ち寄った午前中の自分を呪いながら、車を走らせたのだった。
一つ目の目的地になったラーメン屋は案の定、昼時という事もあってかかなりの繁盛を見せていた。それでも裕也の学生時代から流行っている店なので、少なくとも二十年は営業を続けている計算になる。こちらの方にやってくるたび、いつも失念してしまって家についてから行けばよかったと思い出す裕也にしてみれば今日は忘れずに立ち寄れたことは僥倖だ。
朝食を少し早めに食べたせいで空腹だった裕也は年甲斐もなくラーメンにあんかけチャーハンと餃子まで頼んだ。少し腹は苦しくなったが、全て平らげられた自分にまだまだいけるじゃないかと妙な自信が湧いてきた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます