舵なき日々

古夏「…。」


ゴールデンウィークということもあり

横浜駅は人がわっと溢れていた。

音がものすごく多く大きく、

耳を塞ぎたくなるほどだった。


つい昨日、何故か藍崎さんから

「遊ばないか」と誘われた。

特に用事もなかったし

断る理由も見つからなくて

そのまま流れで遊ぶことになった。

集まる場所にちょうどいいからと

横浜駅を指定されたんだけど、

ゴールデンウィークということが

すっかり頭から抜け落ちていた。

これじゃあ合流することも大変だろう。


スマホには5月の文字。

それなのに半袖を着用している人を

何人も見かけた。

かくいう私も半袖の服に

薄手の羽織を身につけている。

それでも人の熱気と

太陽の日差しのせいで

背中では汗が伝うのがわかった。


今日この先どこにいくのだろう。

詳しく聞いていないけれど、

藍崎さんの頭の中では案があるらしい。

彼女のことだから

法的に危ないところには行かないだろう、

言われなかったし聞かなかった。

それだけ。


しばらく待っていると、

「古夏ちゃーん!」と声がした。

びっくりして顔をぱっとあげると、

オーバーオールを着た藍崎さんが

ぱたぱたと走ってくるのが見える。

この人の数でよく見つけられるなと

感心してしまった。


七「おはよ!」


古夏「…。」


こんにちは、と手話をする。

唯一彼女が挨拶と

認識してくれた手話だから。

藍崎さんは理解できたからか

にんまりと嬉しそうに笑った。

それからスマホを取り出して私に言う。


七「いる場所、連絡くれてありがと!すぐ見つけられたよ!」


古夏「…。」


藍崎さんのことだから

迷いそうなんて勝手に推測して、

確かに場所を詳細に伝えはした。

おまけに写真もつけた。

やりすぎかと思ったけれど、

それがちょうど良かったらしい。

彼女は余計だったら余計だと

考える前に口から出るような子だと思っている。

だからこそ、場所の連絡は

余計じゃなかったと

答え合わせをしている気分だった。


なんと返事すればいいか迷っていると、

すぐに手首を掴まれた。

何事か、とびっくりして

飛び上がりそうになっているところ、

藍崎さんはそのまま走り出そうとしている。


七「こっちこっち!もうすぐ電車きちゃう!」


古夏「…!?」


どこにいくの、と

あらかじめ聞いておけば良かったと

今更になって感じた。


七「今日暑いねー。」


古夏「…。」


七「長袖、暑くないの?」


電車に乗っても

その声量は下がることなく

彼女の声がした。

人がぎゅうぎゅう詰めで乗っており、

私たち以外のあちらこちらから

談笑している声がする。

皆遊びに行っているのだろうと思うと

不思議な気分になった。


自分の服をつまんで見せる。

すると何故か彼女も

袖をつまんでは「あ!薄いんだ!」と

納得したような反応をした。


七「もう夏だねー。夏休みはどこかいくの?」


古夏「…。」


七「まだ決まってない?」


古夏「…。」


七「そっかー。私はねー、いつも夏はママのところに行ってるから、今年も多分そうなんだ!」


古夏「…。」


七「ママね、体弱いみたいだから空気の綺麗なところにいるんだよ。神奈川は人も多いしきついんだってー。」


それを鮨詰め状態の電車内で

話すのかと思ったけれど、

藍崎さんは「楽しみだな」と

笑顔で言っていた。


目的地でおり、スマホを片手にした

彼女についていく。

マップを見ることが

相変わらず苦手らしく、

スマホをぐるぐると回した後

途中で私へと投げ出していた。

どうやら猫カフェに行きたいらしい。


七「ここね、いろはちゃんに教えてもらったところだよ!」


古夏「…。」


七「いろはちゃんってわかるよね?あの背の高い人!ふたつ結びで、美術室にいたっけ?な人!」


古夏「…。」


七「わかる?良かった!いろはちゃんね、猫好きらしくて何回か猫カフェ行ってたんだって!」


古夏「…。」


七「だから連れてって!って誘ったんだけど、なんか駄目ーって言われちゃった。」


古夏「…。」


七「だから場所だけ教えてもらったんだ!古夏ちゃんと来れたしよし!」


古夏「…。」


七「あ、ここだ!ここ!写真と一緒!」


お店の看板を見つけると同時に

私を置いて走って行った。

私の手元には藍崎さんのスマホが

マップを開いたままここにある。

いろいろと抜けているところが多くて

心配になった。


店内に入ると普段では

お目にかかれないほどの猫がいた。

きっと身近に猫が

いない生活をしていることや

どちらかといえば

犬派なこともあるだろう、

人生において初めての空間に

遭遇していると実感した。

部屋の中で動いている箇所が

いくつも視界に飛び込んでくる。

そわそわして落ち着かなかった。


席に着くと藍崎さんの元へ

猫がふらりと寄ってきているのが見えた。


七「かわいいー!」


古夏「…。」


七「ね、かわいいよね!」


古夏「…。」


頷いてみる。

満足そうに笑っていた。

よっぽど猫が好きなんだなと

この時初めて知った。


七「ずっと行ってみたかったんだよね!」


古夏「…。」


七「いいなあー、飼いたいなー。」


古夏「…。」


店内で紙とペンを取り出すと

猫が怪我をしてしまうことも

あるかもしれないと思い、

慣れないスマホのタイピングで

文字を連ねては

恐る恐る彼女の方へと傾けて見せた。

身を乗り出して覗いてくれる。

反動で少し体を引いてしまった。


古夏『飼えないの?』


七「うん!なんかねー、お世話できないでしょってパパが言うの!もう高校生だしそれくらいするのに、ずーっとケチなんだ!」


古夏「…。」


マンションだから飼えない等

不可抗力的な理由じゃない分、

彼女はまだ可能性を

見出しているように見える。

猫のお世話をできるのかと

疑問に思うのは

…失礼ながらまあわかる。

見ているのと飼うのとでは

全く違うのは間違いない。


七「本当はね、今日どこに行こうか迷ったんだー。」


古夏「…。」


七「私がいつもしてる探検についてきてもらうのもいいかもって思ってたの!」


古夏「…。」


七「でも猫カフェ行きたかったしこっちにしたんだ!」


古夏『探検って何するの?』


七「探検は探検だよ!地域をぐるっと歩いて回ってみたり、近道探したり、見たことないゴミ捨て場や自販機の中の飲み物を見つけに行ったり!」


古夏「…。」


七「目的なく歩いててもね、楽しいんだよ!このお花見たことない!とか、気持ち悪い看板ある!とか。」


古夏「…。」


七「ずっと同じ場所に住んでるし、もうそろそろ飽きてきそうだけど…でも、毎回発見があるの!」


古夏「…。」


七「絶対全部の道を通ったことある!って思ってる場所も歩いたり自転車漕いだりしたら知らない道を通ってて、それが知ってる道に繋がったりしてね、楽しいんだ!」


古夏「…。」


七「それにね、知らない公園とか意味なさそうな草ぼうぼうの場所とかあったりしてね。変な場所に着くのも楽しいよ!」


古夏「…。」


七「その日だけにしか見つけられない場所ってあると思うんだよね。私は気分で探検するから!」


古夏「…。」


七「だから、今日にしか見つけられなかったところもあると思うとなんかバタバタしちゃう。本当にどこに行こうか迷ったよ!」


古夏「…。」


何も見つけられなかったと思うとも、

いつもと同じでしょとも

一概にはいえなかった。

言っていることは理解できるけれど、

自分がやろうとは思わない。

藍崎さんは常に全てが

新鮮に見えているようだった。


もしかしたら彼女の言う通り

猫カフェ以外の場所に行っていたら

何か全く違うものを

見ていたことには違いない。

彼女の言う「変なもの、場所」も

見つかっていたかもしれない。

けれど、今日たった今は猫カフェにいる。

猫カフェですら普段と違うものを

見ていると感じている。

藍崎さんと出かけた時点で

根岸古夏としては

変わったものばかり

視界に飛び込んできていただろう。


ほぼ一方的だが話をしていると、

次々と猫が藍崎さんの方へと

寄っていくのが見えた。


七「えへへー。かわいいねえ。」


古夏『好かれてるね』


七「いい探偵は猫に好かれるってね!」


古夏「…。」


七「あ、そうだ!」


古夏「…?」


七「そうそう、今日このこともあって古夏ちゃんを誘ったんだけどさ。」


藍崎さんは猫を撫でながら

顔だけこちらに向けた。


七「この前話した時、声が出ないって言ってたじゃん?」


古夏「…。」


七「それで、ちっちゃい頃は話せてて、でもいつの間にか話せなくなって、みたいな!」


古夏「…。」


七「病気でも事故でもなくて、でも原因がわかんないって!」


古夏「…。」


七「でね、いろいろ考えたんだけど、話せなくなるってやっぱりさ、絶対原因があるんだよ!普通お話しできるもん!」


古夏「…。」


七「だからさ、どうして古夏ちゃんの声が出なくなっちゃったのか、びびびっと解明しよう!」


普通お話しができる。

それが彼女の世界だ、と

一種落胆のような感情が落ちる。

同時に、そう言うことも理解できる。

私が少数派であることはわかっている。

だが、今話したいのは

マジョリティとマイノリティの話じゃない。

私の声についてであり、

私の過去についてである。


七「それで、声出せるようにしようよ!そしたら古夏ちゃんともっとお話しできるしさ!」


古夏「…。」


七「やろうよ!」


古夏「…。」


ここで「どうかな」と聞かないのが

常に走っている彼女らしかった。

私は声を出したいのか。

出せるなら話すのか。

それとも声を出したくないのか。

話さないままを望んでいるのか。

どうして声を失ったのか。

失ったままでいるのか。


自分自身ではそれとなく理由が

わかっていそうな気はしている。

だからこそ、それは友人に

知られなくてもいいと思っている。

だからこそ返事に困った。

きっと調べたら

すぐに見つかることだろうから。


反応に困っていると、

藍崎さんは猫をわしゃわしゃと

撫でようとした。

すると、猫が1匹こちら側に逃げてきた。


七「あー!そっち行っちゃった。」


古夏「…。」


七「ちっちゃい頃の原因かー。何か思い当たることある?」


証言1だ!と言って

身を乗り出しているけれど、

小さく首を傾げておいた。

藍崎さんは「何だー」と

また席に戻っていく。


七「ちっちゃい頃のことだからあんまり覚えてないとか?」


古夏「…。」


七「私も私も!でも、パパと遊んだなーとかは覚えてるよ!自転車で転んで怪我したとか!」


古夏「…。」


七「それからねー」


藍崎さんは楽しげに

幼少期のことを話してくれた。

聞いていると、良識のあるご両親に

愛情を持って育てられたことが

ひしひしと伝わってきた。

それから親御さんが

探偵事務所をしていると知った。

数年前から経営が傾いているらしいが、

それでも細々と食い繋いでいるらしい。


七「私もね、パパみたいな名探偵になるの!」


きらきらと目を輝かせて

そう言っていた。

つくづく私にはないものを多く

持っている子だと感じるばかり。

行動力のある人だから

その夢も前途多難だろうが叶うのだろう。

そしてきっと私の過去についても

調べようとするのだろう。

私が言ったところで

彼女は止まるのだろうか。

…止まれる人であれば

過去を調べ上げ原因を解明し、

声を出せるようになろう、

解決しようなんて話はしていないか。


藍崎さんから逃げ出した猫は

私からも離れたところで

疲弊したのか眠っているようだった。

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