覆い隠した喉の奥

PROJECT:DATE 公式

今日の証拠

もう冷房をつけたって

誰も怒りはしないと思うほど

湿気と暑さの溢れる日だった。

4月も今日で終わり。

高校3年生になってからの1ヶ月は

不可解な出来事と共に

あっという間に過ぎ去っていった。


古夏「…。」


昼休みには

いつものように特別教室で

お弁当箱を開く。

特別教室にいる他の生徒たちは

人によってはみんなと一緒に

教室で食べることもあった。

私もそうすることはできるけれど、

誰といるにも気を使わせてしまうので

ここにいる方が安心できた。

それに。


教室の衝立の奥に進むと、

そこには陽奈ちゃんが

既に座って待っていた。


それに、陽奈ちゃんがいるから

最近は寂しくない。

こんなことを言うのは不謹慎だとわかっている。

けれど、友達と一緒にいられて、

喋れないことを気負いすぎず時間を過ごせる。

それが嬉しかった。

人の不幸を前に嬉しいなんて

思ってしまう自分に心底嫌気がさす。


私に気づくとぱっと顔を上げて

眼鏡をなおしながら

小さく手を振ってくれた。


陽奈「…!」


古夏「…。」


陽奈「…。」


こんにちは。

それから待たせてごめんね。

簡単な手話で会話をする。

陽奈ちゃんの前の席に座り、

お弁当箱を開いた。

落ち着いた時間で安心する。

決して騒がしいのが嫌いなわけではない。

賑やかで微笑ましい場面もある。

ただ、居心地がいいかと問われると別だ。

嫌いじゃない。

苦手、と思いたい。


昼食をとりながら

陽奈ちゃんと時々少しだけお話をする。

手話をしていると先日

藍崎さんと出かけた時のことを思い出す。

出会って早々「おはよう」の

手話をしたのだけど、

きっとうまく伝わっていなくて

「こんにちは」の手話をしたら、

「こんにちは」の手話が

「おはよう」だと捉えられてしまった。

挨拶していることには変わりないのだし

訂正する前に彼女は今にも

走り出してしまいそうな勢いを感じて

何も言わなかった。


それから色々な話をした。

した…というより、

一方的にされたし聞かれた。

あんなことを正面切って

堂々と聞かれたのは

初めてだったかもしれない。





°°°°°





七「ねーねー。」


古夏「…?」


七「古夏ちゃんってお話できないんだっけ。お話できないって言うか、うーん、声が出ないんだっけ?」


古夏「…。」


七「なんでー?」


古夏「…?」


七「首傾げられても…何で声出せないのーってこと!」


古夏「…。」


七「病気とか?」


古夏「…。」


七「違うんだ。じゃあ元から?」


古夏「…。」


七「え!それも違うの!じゃあ事故?」


古夏「…?」


七「じゃあじゃあ!昔はお話できたのー?」


古夏「…。」


七「何で喋れなくなったのか覚えてないの?」


古夏「…。」


七「なんかいつの間にか話せなくなっちゃったの?」


古夏「…。」


七「えー、変なのー。」


古夏「…。」





°°°°°





昔は話せた。

覚えている。

姉とも家族ともお仕事の場でも。

話して、笑って、演技をしていた。

小さい頃。

小学生に上がる前からだったろうか。

子役をしていたのだ。

ドラマで隅っこの役をいただいたり

ほんの少しだけ映画に

映してもらったりするうちに、

少しばかり大きな役をもらったこともあった。

演技をすることが好きだった。

みんなで作り上げる空間が好きだった。

みんなで作り上げるのに、

そこはどこか戦場のよう。

上手い人の演技を参考にして、

食って、食って、自分の力にする。

自由に羽ばたけるような気がした。

楽しかった。

なのにいつから。


心因性で声が出ないことは

ままある出来事とはいえ、

10年弱も声をなくしたままいるのは

一体普通なのだろうか。

治るのだろうか。

声を。

声を、取り戻す…?


古夏「…。」


そんなこと考えられなかった。

この生活も染みついた。

話すことも諦めた。

話さない方がいいと

どこかしらで思っている。

いつからそう思うようになったのか

てんで覚えていないけれど、

あれが原因だろう、というものは

自然と浮かんでくる。


あの事件が私にとって

思ったより大きかったのだろう。

私も後から自分で聞いたり調べたりして

知ったことであって、

言われてみればそうかも…?

と思うだけ。

やはり覚えていないことには変わりない。


いつの間にか話せなくなった。

ある意味その言葉で正しいのだ。


お弁当に詰められた

冷えたお惣菜をひと口放った。


午後の授業を受けて、

放課後にはまたわっと声が溢れる。

最後は教室で受ける授業だったもので、

特別教室近辺とは圧の違う

声の多さに圧倒される。

その中で園部さんが

何に気を取られることもなく

真っ直ぐと教室から

出ていく姿が見えた。


古夏「…。」


あれから、学校に幽閉されて、出て。

それ以降園部さんとは話していない。

幽閉されている間は

義務感で話してくれたのだと思う。

私たちのつながりは

あの1件以来ぷつりと断たれてしまった。

それは確かに寂しいことだけど、

同時に安心していた。

迷惑をかけなくて済むのだから。


園部さんとの会話は

何度も脳内で繰り返された。





°°°°°





蒼「字、綺麗ね。」


古夏『書道部なので。』


蒼「書道部に入ったから字が上手くなるわけじゃないわ。才能か努力したかでしょうよ。」


古夏『園部さんは演劇部だって聞きました。』


蒼「ええ、そうよ。」


古夏『楽しいですか。』



---



蒼「消さないで。忘れるわ。」


古夏「…。」


蒼「楽しいわよ。どこを磨いても受け取り手によってアラができる。それを埋める試行錯誤をしている気分で。そうして考えずとも演技ができる人は羨ましいわ。言葉以上にフィーリングで役を掴むのよ。」



---



蒼「杏はそのタイプなのよ。中学の時演劇部で一緒だったのだけど、彼女の役を見るとその舞台の雰囲気全体がそれとなく掴めるの。」


古夏『園部さんは軸ですか。』


蒼「軸?面白いことを言うわね。軸どころか端くれよ。」





°°°°°





そう言って笑っていた。

迷いなく「楽しい」と言った

同級生の瞳が忘れられない。

端くれだと言ったけれど、

楽しんで演技をすることができる人は

いつだって中心にいるものだ。


ただ、同時に楽しいかと

聞いてしまったことを後悔していた。

そう聞けば「楽しい」と

言う他ないだろう。

明らかに大丈夫じゃない人に対して

「大丈夫?」と聞いても

そうとしか返ってこないようなものだ。

園部さんのことは深く知らない。

本当に楽しいと思っているから

そう言ったのか、

それとも話の流れとして

否定すると良くない雰囲気になるから

そう言っただけなのか、

私には全くわからない。

無理に「楽しい」と言わせたのではないか。

いつまでも後悔していた。


あまりに頭から離れなかったからか、

鞄を持って教室から出た先、

演劇部の部室の方へと

足を運んでいた。

もう学校で話した日から

2週間ほどは経っている。

今更謝るにもおかしい。

私は何もしないだろう。

それでもなんとなく体が向かう。


部室の前まで行くと、

見覚えのある陰が

ちょこんちょこんと動いていた。

それを見て背を向けようとした時、

ぱっとその人が振り返った。


七「あ!古夏ちゃーん!」


古夏「…!」


無視するわけにもいかない。

観念して立ち止まると、

藍崎さんは私の手を引いて

演劇部の部室前まで引っ張っては

扉から覗くようにして中を見ていた。


部室内では今からどこかに行くのか、

多くの人が立ち上がっている最中で、

ふと手前にいた園部さんと目があった。


「お、新入部員さん?」


七「ううん!違います!あ、古夏ちゃんはそう?」


古夏「…!」


そんなこと恐れ多い。

強めに首を振った。

そもそも私はもう3年生だ。

その上、もう演技から離れたのだから。


すると園部さんが部室から出ては

「先に発声練習行ってきて」と

みんなに支持していた。

その通りに、人が流れていく。

赤いリボンが目に入る。

新入部員も何人か入っているようだ。


蒼「何のようかしら。」


七「部活…いや、蒼先輩見学です!」


蒼「駄目よ。」


七「えーっ!」


蒼「古夏は?」


古夏「…!」


七「さっきそこであって、私が引っ張ってきたの!」


蒼「なるほど。…仲がいいのね。」


七「そう!そうなの!」


古夏「…。」


七「それで!練習見てもいい?古夏ちゃんに免じて!」


蒼「…古夏だけならいいけれど。」


七「え!なんでなんで!」


蒼「貴重な意見をもらえるでしょうし。」


どき、とした。

時間が止まったのではないかとも思った。

貴重な意見。

その言葉に他意はあるのだろうか。

ただただ部外の人間だからか。

それとも、私が過去

演劇の世界にいることを知っているからか。

できれば前者であって欲しいと

願うと同時に首を振った。

そう、と園部さんは言い放つ。

前に話した時と全く印象が違うと思っていると

藍崎さんは口を開いた。


七「私だってできるもん!」


蒼「あなたには無理よ。自分がしたいことをするだけでしょう。求めていないわ。」


七「盛り上げることはできるよ!」


蒼「結構よ。」


七「見るだけ!見るだけー!」


蒼「発声練習は見ていても面白みなんてないわ。」


七「それでもいい!蒼先輩だったらなんでも!」


蒼「駄目よ。」


七「えー!面白くなくてもいいのにー。」


蒼「部員に迷惑がかかるからやめてちょうだい。」


七「迷惑かからないようにするから!」


蒼「あなたが良くても私が駄目なのよ。わかるかしら?」


七「さっきは部員に迷惑がかかるから駄目って言ったよ!」


蒼「部員に迷惑をかけている自分が嫌だから駄目と言ったら伝わる?どちらにせよ、駄目なものは駄目よ。既に時間を取られているし邪魔になっているわ、迷惑になっているのよ。」


そう言った園部さんと目が合う。

あまりに鋭い言葉を使うもので

肌がぴりぴりしていた。


七「えぇー。…はぁーい。」


蒼「古夏。藍崎さんは無茶ばかり言うから、嫌な時は態度で示しなさい。」


古夏「…。」


七「無茶じゃないもん!大体はできることだもん!」


藍崎さんの声を聞き入れないように背を向けて

片手を上げてはひらひらと小さく振った。

その動作を藍崎さんは見る前に

しょんぼりとして背を向けてしまう。

手を振ったのは藍崎さんに向けてだろうのに、

私しか見ていないでよかったのか。

お互いコミュニケーションの型が

違いすぎることに動揺しながら

藍崎さんの後を追うようにして

部室前から去った。


互いに今日は帰路を辿ることになった。

藍崎さんが「一緒に帰ろう」と言うもので、

自然の流れで2人で歩く。

不思議な組み合わせだなと

自分ですら思った。


七「蒼先輩はねー、中学の時からかっこよくってね。で、休み時間とか毎回会いに行ったり、放課後少しでも近くで見てたりしたい!と思ってくっついて行ってて。先輩みたいになりたいです!って何回も言ったのにね、あんなふうに言われるようになっちゃったの!」


古夏「…。」


だからあんなに

あたりが強かったのか、と納得する。

それほどにまで園部さんに心酔している

藍崎さんに対しても

熱意を保てることに対してすごいと感じる。


それにしても幽閉中ですら

見たことないほど

目を吊り上げて話していたもので驚いた。

園部さんほどおおらかそうな人でも

嫌なものは嫌だし

怒る時は怒るのかと漠然と思う。


同時に、藍崎さんは

どうして園部さんが

強いあたり方をするのか

あまりわかっていないようだった。

自分が迷惑だったことは理解しているが、

どこがどう迷惑だったのかを

わかっていない、

はたまた考えていないようだった。


七「でもでも、やっぱりこう、なんて言うのかな。ずばっ!きりっ!みたいなところが変わらずいいんだよ!」


古夏「…。」


七「すごいなあー。私もあんなふうになれるかなー。」


古夏「…。」


七「そういえば、蒼先輩に気に入られてるんだね、古夏ちゃん!」


古夏「…?」


七「だってだって、古夏ちゃんなら練習見てもいいって言ってたよ!貴重な意見がもらえるかもとか言ってたもん!」


古夏「…。」


きっと私だからではない。

藍崎さんがあまりに

園部さんに対して

頭を突っ込むような形で

話しかけているのが問題だ。

けれど、それを伝えるのも酷か、

はたまた無意味かと思い

自然と彼女の後ろをふらりと歩く。


七「そうだ!今度さ、また遊びに行こうみたいな話したじゃん!」


古夏「…?」


七「あれ、してなかったっけ?まあいいや。遊びに行こうよ!せっかくのゴールデンウィークだし!」


古夏「…。」


七「んー、今日も古夏ちゃんや蒼先輩と話せていい日だー!」


これをツイートすればもう忘れないね。

私の意見を他所に、

藍崎さんはそう言いながら

ぐっと背伸びをした。

あまりにも自由で

ある意味我儘で。

その自由すぎる姿が何故か懐かしく見えた。

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