第三話 晃牙のなみだ

 白山 晃牙は、小学一年生の時から、かぎっ子だった。

 両親は共働きで、朝早くに家を出てから夜おそくなるまで家にいない。

 学童には通っていたが、ほかの子供達と問題ばかりを起こすので、二年生に進級したタイミングでやめてしまった。

 一人っ子だったので、家に帰っても、だれもいない。

 冷めた料理を電子レンジで温めて、ひとりで食べる。温めたはずなのに、なぜか食べる度、お腹の底がどんどん冷たくなっていく気がした。


『晃牙、男はな、強くなくちゃいかん。男が人前で、簡単かんたんになみだを見せてはだめだ。そんな弱い男に、お前はなるなよ』


 たまの休みに、晃牙の父親は、よくそう晃牙に言って聞かせていた。

 晃牙は、大きくてたくましい父親のことが大好きだった。だから、自分の心にフタをした。心がしくしくすることも、ぜったい口には出せなかった。


 学年があがるにつれて、冷めた食事は、紙のお金に変わっていった。自分で近所のスーパーへ行き、食べたいものを買って食べる。あまったお金をためて、好きなゲームやマンガを買うお金に当てた。

 持てあました時間をゲームやテレビ、動画などに費やしたが、それもそのうちあきてしまった。心が冷たい鉛のようになっていくのを感じても、それが当たり前のことだと思っていた。


 最初は、小さな虫だった。

 地面をせっせと歩くアリや名前も知らない小さな虫を指でつぶして遊んだ。

 でも、だんだんとそれでは満足できなくなった。

 虫は、少しずつ大きくなっていった。

 

 同級生に、すぐ泣く男の子がいれば、それをからかって遊んだ。それが下級生だろうとも関係ない。

 これは、ただの遊びなのだ。周りにいた子たちも、いっしょになって笑っていた。


『やめなよ』


 そう言って、声をかけてきた男の子がいた。

 晃牙は、おどろいた。まさか、自分がそんなことを言われるとは、思っていなかったのだ。

 と同時に、そんな言葉をなげてきた男の子に対して、ひどく腹が立った。

 自分は、ただ遊んでいただけなのだ。

 それなのに、その男の子は、まるで晃牙がいじめっ子だと決めつけているみたいに言うではないか。

 その男の子こそが、富瀬とみせ 奏也そうやだった。

 近所に住んでいるので、低学年のころは、いっしょに公園で遊ぶこともあった。

 でも、ある日を境に、いっしょに遊ばなくなったのだ。


 それは、晃牙が奏也の家に遊びに行った時のことだ。

 奏也の両親も、共働きだ。でも、母親は、家で仕事をしているらしく、いつも家にいる。ただいまー、と言う奏也に、おかえりー、と返ってくる声を聞いて、晃牙は、なぜだか居心地の悪さを感じた。

 しばらくいっしょにゲームをして遊んだ。

 でも、夕方になり、奏也の母親が晃牙に笑って言ったのだ。


『晃牙くんも、いっしょに夕飯たべていく?』


 そう聞かれた晃牙は、なんだかこわくなって、何も答えないまま奏也の家を飛び出した。何となく、あのまま奏也の家にいてはいけない気がした。

 家に帰って、冷めたご飯を電子レンジへ入れようとし……ゴミ箱にすてた。

 何も食べたくなかった。なんだか自分がとてもみじめに思えて、なみだがあふれてきた。


 それから晃牙は、奏也をさけるようになった。


 奏也は、いつも先生にしかられているのに、なぜか友だちがたくさんいて、目立つ男の子だった。

 晃牙がさけていても、自然と奏也の話が耳に入ってくるし、校庭で走り回る奏也が目につく。


『ソーヤー!』『ソーヤく~ん♪』『こらーっ、富瀬 奏也! またお前か!』


 いつもヘラヘラ笑っていて、よく先生にもしかられているのに、なぜかみんな奏也のことをかまうのだ。

 晃牙は、イライラした。

 でも、その理由が晃牙には分からなかった。


 ある日、晃牙は、近所にあるだがし屋さんで、万引きをした。

 最初は、自分でもどうしてそんなことをしたのか分からなかった。気が付くと、手が出ていたのだ。

 ただ二回、三回、とくりかえすうちに、だんだんと罪悪感が消えていく。お金は、親からもらっていて、買えないわけではない。それなのに、お店の人に見つからないよう物をぬすむことが、ゲーム感覚で楽しいとさえ感じるようになっていた。


『晃牙っ、なにしてんだ、お前?』


 たまたま万引きしているところを、奏也に見られてしまった。

 晃牙は、とっさに持っていたおかしを奏也になげて言った。


『ほら、逃げるぞっ』


 奏也は、真っ白な顔をして、晃牙をおいかけた。手には、とっさに受け取ったおかしを持ったまま……。

 結局、二人は、お店の人につかまった。

 奏也は、晃牙をつかまえようとして走っていたのに、おかしを持っていたことと、晃牙と顔見知りだったことから、お店の人に犯人だと思われてしまった。

 それでも奏也は、弁解べんかいしなかった。

 泣きながら、ごめんなさいと何度もお店の人に向かって頭を下げ、あやまっていた。


(どうして、お前は何も悪いことなんてしてないのに、自分のことのように泣けるんだ?)


 そう思うと、晃牙は、ますますイライラした。晃牙は、父親から言われたとおり、決してなみだを見せなかった。

 でも、となりでわんわんと声をあげて泣く奏也が、本当は、うらやましいと思っていた。



 小学五年生になった今でも、晃牙は、人前でなみだを見せない。

 先生にしかられても、友だちからいやなことを言われても、反省していない、かわいくない、とかげで言われようとも、晃牙は、泣かない。泣けないのだ。


 それでも、夏休みに無人島から帰って来てから、両親は、少しずつ晃牙との時間をつくってくれるようになっていた。

 今日も、仕事が終わった後で、いっしょに外食をしようと約束をしている。

 足早に家へ向かって帰ろうとする晃牙の後ろから、だれかが声をかけてきた。


「晃牙ー!」


 晃牙がふり返る。道の向こうから、奏也がかけてくるのが見えた。

 奏也の顔を見ると、今でも時々、いじわるなことをしてやりたくなる。

 でも、前ほどイライラしない自分に気がついて、晃牙は、奏也に笑みを返した。


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