第三話 船出と、そう難(なん)

 青い空の下、真っ白な大型クルーザーが大海原おおうなばらを進んでいく。船体には、『プリンセス・ヴァイオレット号』とローマ字でえがかれている。


「おえぇ~……」


 奏也は、船の上で、かんぱんの手すりにつかまり、海に向かって盛大せいだいの中身をはいていた。波にゆられて、船がゆれる度、奏也の見ている景色けしきがゆれる。まるで胃の中がでんぐり返しをしているようだ。

 これが、〝ふなよい〟というものだと、奏也は、生まれて初めて知った。


「こまったわね。お薬を飲んでも、はいてしまうし……奏也、大丈夫?」


 紫が心配そうに、奏也の背中をさする。紫は、動きやすいショートパンツスタイルに着がえていた。上は、白いえり付きの半そでセーラーに、UVカット用にうす手のパーカーを羽織はおっている。長い黒かみは、後頭部こうとうぶで一つにい、潮風しおかぜにふかれて遊んでいる。

 奏也は、青白くガイコツのようになった顔を紫に向けた。船出したところまでは順調だったのだが、一時間と経たないうちに、気持ち悪くなり、今にいたる。


「……あと、どれくらいで着くんだ?」


 奏也に聞かれて、紫が、背後はいごに立っていた人物をふり返った。


ゆずりは。あと、どれくらいで着くのかしら?」

「はい。紫おじょう様。目的の島までは、あと三時間ほどでとう着する予定です」


 杠が、胸元むなもとのポケットから取り出した金色のかいちゅう時計を見て答えた。頭上ずじょうからさす真夏の太陽がじりじりと肌を焼くほど暑いというのに、真っ黒なスーツをすずしい顔で着こなしている。


「……だ、そうよ」

「あと三時間~? マジむり……」


 それを聞いた奏也は、たましいの抜けたような顔で、その場にしゃがみこんだ。

 晃牙があきれてため息をつく。


「おい、奏也。船よいくらいで情けないな。そんなのでよく海ぞくになろうなんて言えたよな」


 奏也が、うらめしそうな目で晃牙を見る。


「あのな、海ぞくが船の上で酔わないのはな、いつも酒を飲んでて、よっぱらってるからなんだよ」

「あー奏也は、酒を飲んでも、よってはいてそうだよな~」

「うるせぇ~……」


 晃牙にからかわれて、奏也が言い返すも、その声は弱々しい。


「どうしてお前らは、平気なんだよ~……」

「あーオレ、乗り物よいしないんだよな。それに、この船でかいから、そこまで気にならないぜ」

「そうね。私もあんまり……それに、小さいころから何度も乗っていて、慣れているのかもしれないわ」

「ってか、お前がはしゃいで、かんぱんの上を走り回ってたからじゃねぇの?」


 奏也は、くやしくなって、晃牙の言葉を無視した。そのまま海の水面に目を向ける。すると、波間に、何かが光っているのを見つけた。


「……あれ? なんか今、水面が光らなかったか?」

「太陽の光が水面に反射はんしゃしてるんだろ」


 晃牙が興味のなさそうな声で答えた。


「ちげぇよ。ほら、見ろよ。あれ」


 奏也が指さす方を、晃牙と紫が目で追う。


「……うん? なんだ、あれ」


 海の白い波間から、キラキラ光る小さな宝石のようなものがたくさん浮いている。


「ああ。あれは、トビウオよ」


 紫が何でもないことのように答えた。何度も船に乗っているので、知っているのだろう。

 大量のトビウオたちが海面上をとびながら泳いでいるので、そのウロコが太陽の光を反射し、光って見えるのだ。


「うわぁー、ダイヤモンドが光っているみたいだな!」


 奏也が目をかがやかせながら言った。


「イルカが見れることもあるわよ。私は、何度か見たことがあるわ」

「えっ、本当か?! すげぇ、オレ、イルカ見たい! 探そうぜ!!」


 奏也の言葉で、しばらく三人は、海の波間にイルカの姿が見えないか探す遊びに熱中した。海は、キラキラとかがやいていて、三人の笑顔もかがやいている。潮風しおかぜが三人の心をさらい、かろやかに海の上をかけていくようだ。

 いつの間にか奏也は、すっかり船よいのことを忘れてしまっていた。


「夕食のご用意がととのいました。

 みなさま、船内せんないにある食堂へおいでください」


 空に青と赤がにじんで紫色に見えるころ、杠が三人を呼びにかんぱんへ出て来た。杠は、三人がイルカを探すことに夢中になっている間に、全員の夕食を作ってくれていたようだ。

 その時になって初めて三人は、自分たちがお腹をすかせていることに気が付いた。


「うめぇー! これ、杠が一人で作ったのか?」


 奏也は、スープを一口食べて、さけんだ。

 エビや貝などの海のさちを入れてんだブイヤベースだ。

 テーブルの上には、他にも、白身魚のアクアパッツァや、ぶた肉のスペアリブ、サーモンのカルパッチョ、ピザ、サラダなどが用意されている。

 三人では食べきれない量だ。


「杠は、なんでもできるのよ」


 杠の代わりに、紫が鼻を高くして答えた。自分をほめられたかのようにほこらしそうだ。

 この船の操縦そうじゅうから夕食の支度したくまで全てを、杠ひとりでこなしているのだ。


「なぁ、そういえば、今オレたちって、どこに向かって進んでるんだ?

 島がある場所って、知ってるのか?」


 スペアリブを食べ終わった晃牙がたずねた。

 それを聞いた紫が、杠から地図を受け取り、テーブルの空いたスペースに広げて見せる。


「ここに小さく数字が書いてあるでしょう。これが経度けいどを表しているのよ」


 紫が、地図の右上あたりを指して言った。そこには、数字とアルファベットが横一列にならんで書かれている。


「……ああ。〝N〟がほくで、〝E〟が東経とうけいか。なるほどな」


 納得なっとくする二人を見て、奏也がおどろく。


「井戸? ケイドロ? お前ら、なんでそんなことが分かるんだ?!

 オレは、何かの暗号かと思ったぜ……」


 紫は、そんな奏也の反応を予測していたかのように、ていねいに説明を始めた。


経度けいどっていうのはね。その場所が、地球上のどの位置にあるのかを正しく伝えるための目印のようなものよ。座標って聞いたことないかしら?

 は、赤道せきどうを起点である0度として、そこから南北へどれくらいはなれた場所にあるかを、角度で表すの。

 経度けいどは、そのに対して直角に交わる線上のことで、本初ほんしょ子午線しごせんを起点である0度として、そこから東西へどれくらいはなれているかを表しているの。

 ……って、私の言ってること、ちゃんと伝わっているかしら?」


 話しながら奏也の顔を見た紫が、心配になってたずねた。

 奏也は、きっぱりした声で言う。


「さっぱりわからん」


 見かねた晃牙が、助け船を出す。


「ほら、囲碁盤いごばんにある線と線が重なった点みたいなもんだよ。

 真ん中の天元てんげんを起点にして、それより上ならほく何度って言って、右なら東経とうけい何度って言ってるだけさ」

「あー……それなら、なんとなくイメージできる気がする」

「英語で北は、〝North〟だろう。その頭文字をとって〝N〟。

 東は、英語で〝East〟だから、その頭文字をとって〝E〟だ。

 でも、地図の読み方は、社会の授業で習ったはずだけどな。

 お前こそ、なんで知らないんだよ」


 晃牙があきれた口調で、奏也にたずねた。

 奏也は、さっと目をそらす。


「え、そうだっけ? ……あっ、でも、このマークなら、オレにも分かるぞ。この時計の矢印みたいなのが北をしてるんだよな。上が北だ。なっ、そうだろう?」


 奏也が、地図の右上にかかれている方位マークを指さして、うれしそうに言った。


「まぁ、そうだな。……小学三年生で習うけどな」


 晃牙は、最後の方を、ぼそっと奏也に聞かれないような小声で言った。


 たくさん食べて、お腹がいっぱいになったからだろうか。

 三人は、急にねむくなってきた。


「ふわぁ……あれ、なんだろう……なんか急にねむく……」


 奏也が大きなあくびをした。そのままテーブルに顔をふせて、ねむってしまう。

 つられるように、晃牙と紫も、イスにすわったままねむりこんでしまった。


「……ふぅ。ようやく薬が効いたか。これだから子供は……全く、手をやかせてくれる」


 子供たちの息だけが聞こえる静かな部屋で、杠がつぶやいた。

 それに答える声はない。

 

「まずは、計画どおり……か」


 杠の目があやしく光った。



  ☆  ☆  ☆



 奏也は、波の音と、目をさすように熱い光をまぶたの上に感じて、目を覚ました。


 青い空。白い砂はま。どこまでも続く、広い海。

 見たことのない景色が、奏也の目の前にある。


「え……なんだよ、ここ……どこだ?」


 奏也は、手のひらに感じる砂の熱をにぎりしめた。どうやら夢ではないらしい。

 その時、海の方を向いて立っていた晃牙と紫がふり向いた。


「あっ、奏也! よかった、目が覚めたのね!」


 紫が、笑顔で奏也に向かって走り寄る。

 見知った二人の顔を見て、奏也は、少しほっとした。


「あれ、オレたち……たしか、船にいなかったっけ?」


 奏也は、何が起きたのか分からず、きょろきょろと周りを見回した。

 しかし、船の姿は見えない。


「……どうやら、どっかの島にいるみたいだな。オレたち」


 晃牙が、奏也の後ろに目を向けて言った。


「島ぁ?!」


 奏也があわてて後ろをふり向く。そこには、こんもりと山のようにしげった林が見えた。ぐるりと頭を回して辺りを見る。

 林は、少し行った先でなくなっており、周りを海に囲まれているのが分かった。


「え? え? え? オレたち……もしかして……」


 周りを海に囲まれた島にいて、船はない。つまり……


「そうなんしたみたいだな」


 晃牙が、まじめな顔をして言った。


「うっ、うそだろーーー?!」


 ざざぁーん……


 奏也のさけび声は、波の音に消えていった。

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