第三話 晃牙という少年は

 五年二組の教室では、残り授業がひらかれていた。

 担任の出目木でめき先生が、テストの結果が悪かった子たちを集めて、黒板に算数のテスト問題を書いている。出目木先生は、メガネをかけた、さえないおじさん先生だ。生徒たちからの人気はない。

 しかし、昔気質かたぎ性格せいかくのため、一部の親からは信用があつい。


「えー……では、この問題が解けた人から先に帰ってよろしい」


 出目木でめき先生は、チョークを置き、生徒たちが座っている席と席の間をゆっくり歩いて回る。

 テストで一番出来が悪かった問題の応用へんだ。制限せいげん時間は、三十分。

 しかし、十分もたたないうちに、一人の生徒が立ち上がった。


「はい、先生。できたから、もう帰っていい?」

「ごぽごぽ……白山しろやま 晃牙こうがくん……本当にもう出来たのかね?」


 出目木先生は、たんがからむような、みょうなせきと共に、その生徒の名前をフルネームで呼んだ。メガネのふちをつまんでおしあげると、わたされたノートを見る。


「…………どれも正かいだ」


 出目木先生は、メガネの下で目を大きくして言った。

 そして、口をへの字に曲げて、首をかしげる。


「うーむ……なぜ、テストでこの結果が出せんのだ」


 晃牙は、先生に向かって、にやっと笑みを返した。そのまま無言で、つくえの横にかけてあったリュックサックを背負い、教室の出口へと向かう。

 ランドセルは、昨年こわしてしまっていた。


 教室を出ると、ろう下で、泣いている女子と、それをなぐさめている二人の女子がいた。三組の担任である河合かわい先生もいる。


「あ~ん、もう奏也くんになんて、宿題見せてあげないからーっ!」


 泣いている女子が、何かさけんでいる。

 晃牙は、その女子の頭を見て、変わったかみ型だなぁと思った。以前、社会の教科書で見たことを思い出す。たしか日本の昔の女性がしていたヘアスタイルだ。


(まぁ、オレには、関係ないな)


 と思った晃牙は、彼女たちに背を向けて、しょう降口こうぐちへ向かった。


 しょう降口では、五年一組の柏崎 紫がクツをはき変えているところだった。紫も晃牙に気が付いて、はっとした顔をする。


「……なんか、服んとこ、ちぎれてるぞ」


 晃牙が、紫の黒いワンピースを見て指さした。

 すると、紫は、ふんっ、とあごを上げて答える。


ファッションよっ!」


 晃牙は、そんな名前のファッションなんて聞いたことがないと思ったが、ファッションには興味きょうみがないので、あえて聞かないでおいた。


「それより、奏也を見なかった?」


 紫が、イライラしながら晃牙にたずねた。


「いや、見てねーけど」


 晃牙が答えた。

 すると、紫は、自分の親指のツメをかみながら、ひとり言のようにつぶやく。


「男子トイレにもいなかったし……もう帰っちゃったのかしら」


 紫の言葉に、晃牙がギョッとした顔で紫を見る。


「えっ、お前……男子トイレに女子が入ったらまずいだろ」


 晃牙のツッコミに、紫は、キッと晃牙をにらみ返す。


「あなたに関係ないでしょ!」


 いや、大いに関係がある。晃牙も男子トイレを使うのだから、女子に入って来られては、色々と気まずい。

 しかし、晃牙が何か言う前に、紫は、さっさと背を向けて、しょう降口を出て行った。

 

 晃牙は、しょう降口でクツをはき変えると、校庭へ出た。

 校庭では、同級生たちがサッカーをしている。その内の何人かが晃牙に気付き、かけ寄って来た。


「コーガ! 居残り終わったのか? サッカーしようぜ♪」

「おぉ、するする」


 晃牙は、サッカーが好きだ。三年生までは、少年サッカーチームにも入っていた。

 だが、あまりにも人数が多すぎて、試合に出られない子供が多く、やめる子が続出した。晃牙も、その内の一人だ。

 声をかけてくれた友だちも、同じサッカーチームにいた仲間たちだ。すでにチームはぬけてしまったが、今でもこうして放課後にサッカーをして遊ぶことが多い。


 晃牙は、背負っていたリュックを下すと、校庭のすみっこに放り投げた。

 サッカーで遊んでいたみんなは、四対四に別れて、試合形式をしていたようだ。


「晃牙は、おれたちのチームに入れよ」

「あっ、ずるいぞ! そっちが一人多くなるじゃんか!」

「さそったのは、おれだぞ!」

「じゃあ、ジャンケンで決めようぜ」


 八人がチーム分けについて言い争いを始める。

 晃牙は、その光景を、どこか他人ごとのように見ていた。


「……おれ、白山が入るなら、ぬける」

「おれも」

「なんでだよ」

「白山とは遊ぶなって、うちの父さんと母さんが言うんだもん」

「なんだよ、それ」


 その言葉を聞いたとたん、晃牙の中で、サッカーに対する興味がなくなった。


「やっぱ、いいや。オレ、帰る」


 晃牙は、さめた口調で言うと、引きめてくれる友だちの声にも耳をさず、置いてあったリュックサックを拾う。顔を上げた先に、見覚えのある後ろ姿が、とびこんで来た。それは、正門とは逆の方へと走って行く。


 そばで遊んでいた生徒たちが、ソーヤー、と声をかけているのが聞こえた。

 その少年の名前は、富瀬とみせ 奏也そうや。晃牙の家の近所に住んでいる同級生だ。

 いつもは正門から帰るはずなのに、どこへ行くのだろう、と晃牙は、ふしぎに思った。なんだかむねのあたりが、わくわくしてくる。

 晃牙は、さっきまでのいやな気持ちをわすれて、奏也の後を追った。


 奏也は、校舎こうしゃうら側へと走って行った。

 晃牙も、奏也の後を追って、校舎の裏側へ行く。


 校舎の裏側には、デイサービスの建物がある。

 奏也は、デイサービスの中庭を真っすぐ通りぬけ、その先にあるフェンスを登ろうとしているところだった。

 どうやら近道をしているらしい、ということが、晃牙には分かった。

 

 晃牙も、奏也と同じルートをたどって、フェンスを乗りこえる。すると目の前には、横断歩道があり、そこを渡った先に、奏也の背中が見えた。もう次の角を曲がろうとしている。

 晃牙は、なんだか楽しくなってきた。そのまま奏也から少しきょりを置きながら、後を追いかけることにした。

 途中、声をかけようかと口を開きかけたが、やめた。なんとなく、このまま目的も分からず、奏也を追いかける方が、ずっと楽しい気がしたのだ。


 奏也は、野良のらネコが通るようなせまい道を選んで歩き、神社の中を通りぬけ、雑木林の中をつっ切って、ようやく家の近所の道に出た。

 そして、晃牙の家が見えて来た時、その小さな冒険ぼうけんは、終わりをげた。晃牙は、奏也が自分の家へ向かうのを無言で見送った。なんとなく、胸がすーすーする気がした。

 リュックから家のカギを取り出し、中に入る。


「ただいまー……」


 家の中へ向けて声をかける。返答はない。

 両親は、仕事で外へ出ているため、夜おそくならないと帰って来ない。


 しんと静かな家に、ひとり。


 これが晃牙の日常あたりまえだった。


 リュックサックを部屋に置き、昨日のゲームの続きを始めた。

 でも、昨日ほど面白いと感じない。どうしてだろう、と晃牙が思った時、おなかが鳴った。


はらへったなー……」


 テーブルの上を見ると、千円札が一枚、置かれている。


「スーパーにでも行くか」


 晃牙は、千円札をつかんで、自分の財布へ入れた。家にカギをかけるのもわすれない。そして、自転車に乗ると、近所のスーパーへ向かった。

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