第9話 扉をあけるとそこは‥‥‥

 扉を開けると、今度はいきなりおしゃれなカウンターバーが現れた。

 カウンターバーが現れたのではなくて、私がここに現れたのかな。

「いらっしゃい、菜花奈都姫さんでいいのかな。館長から話は聞いていますよ。私は司書課長のアークデーモン静。しずちゃんて呼んでいいわよ。これから、貴方が一人前の司書になれるように色々と案内させてもらうけど、どうせ詳しい事は来週からの研修でみっちり叩き込まれるから、今は端折っちゃうね」

 アークデーモンって‥‥。

 カウンターの中から私に話すのは、高身長で淡い紫の髪をポニーテールにした丸顔のお姉さん。

 バーテンダーの恰好をしていて、話ながらカクテルを作って私の前に置いてくれた。

「座って」

「は、はい」

 ここに来てからびっくりの連続で、自分でも呆れるくらいオドオドしている。

「そんなに緊張しなくていいから、まず一杯飲んで。合格おめでとう」

 勧められるまま、ゾンビグラスに入った紫色のお酒に口をつける。

 野に咲くスミレの香が爽やかだ。

「バイオレットフィズに似てるけど、50度だから気を付けてね」

「先に言って欲しかった」

 たった一口で意識が飛びそう。

 しずちゃんの声が遠くに聞こえる。

「あら、ごめんなさい」

 昨日のお酒がまだ残っているところへ、いきなり50度をぶち込んでしまった。

 五臓六腑が悲鳴を上げている。

「えっと、今日はこのまま帰って、来週から研修ね。色々と身の回りの整理とか有るでしょうけど、一週間の間に済ませておいてね。超ー忙しくなるから。研修期間中は、外出というか、お家には帰れませんからね」

 いきなり家に帰れないって。

 期間はどれくらいなの。その辺の所どうなってるの。

「帰れないって、研修期間は?」

「きっちり一年」

「一年!」

「とは言うけど、こっちの一年ね。帰りは定時だから、あっちの世界での時間経過については、まったく心配する必要あーりません」

 言っている事が意味不明。

「あっちとか、こっちって」

「おつむパンクしちゃうといけないから、それはおいおいね」

 おいおいじゃなくて、今教えて欲しいんだーよっ。

「そんな訳で、来週には生活に必要な物を一年分、用意して持ってくるように。これは上司からの命令」

「しずちゃん。一年分って、衣食住全部の事言ってますか?」

「そうねー。こちらには、貴方の慣れ親しんでいる食品も衣服も、あまり豊富にはないのよ。総てが貴方にとって始めての事ばかりでしょうから。衣食住はこちらで手配しますけど、ある程度の準備と覚悟という意味ね。家までは持ってこなくていいですよ」

「無理でーす」

「そう言うと思ったわ。これを支給しますから、この中に全部入れてきなさい」


 白地に黄色い麒麟の模様。

 ものごっつ可愛らしい紙の手さげ袋を渡された。

「‥‥‥」

「今、入るわけないと思ったでしょう」

「当然です」

「こっちではこんなに簡単な常識が、今の貴方には分からない。その常識をぶっ壊していかなければならないから、貴方の研修には一年かかるの」

 またもや意味不明

「袋の中に二つの気玉が入っているでしょ。覗いて見て」

 覗き込むと、赤と黒。

 ほわほわっとした、丸い揺らぎのようなのが二つある。

「私たちは赤いのをクローゼット、黒いのをガレージと呼んでいるわ。クローゼットは家の中の物を入れるの。そうねー、本とか服とかを放り込めば、勝手に整理してくれるから便利よ。ガレージには自転車とか車とか入れてるわ。工具なんかの小さいものは整理してくれるけど、大きなものは自分で置き場所決めないといけないの。どちらも、家の二・三件なら余裕で入るから試してね」

 試そうにも、家、一軒しか持ってないよ。


 こう言い終わるとチラリ、しずちゃんが東京駅で買ったチョコレートの袋を見た。

 ここで使うやつだったのかな。

 俄かには信じられない色付き空気みたいな物だよ、そんなに価値あるとは思えない。

 でも、これからの一年は長いからな。

 御願いしますの意味で渡しておくか。

「あのー、よろしかったらこれどうぞ。ここの生チョコとっても美味しいですよ」

 しずちゃんの引き締まっていた表情が、これでもかというほど緩んでグズデレになった。

「いいのー、悪いわねー。私、チョコレート大好きなの。ありがとう。あっ、ついでの話だけど、その二つね、紙袋の中に入れておかなくても貴方にくっついて歩くから。絶対になくさないわよ」

 ほう、それはまた貴重な情報を、ついでとして教えるの。

 チョコあげなかったら教えなかったろ。

 いささか信用度に欠ける先生だな。

「今日はこれで終わり、帰ってもいいし、ここで遊んでいってもいいわよ。どうする」

 衝撃的な出来事が有り過ぎた。

 こんな所に長居すべきではない。

「今日のところは帰ります。ありがとうございました」

 飲み終わったカクテルのグラスを、しずちゃんの方へちょっと押し、立ち上がろうとしたら足を取らている。

 高い椅子から転げ落ちるように、その場で寝た。


 どれだけの時が過ぎたのだろう。

 客席の向こうにある窓の外はすっかり暗くなっていて、ガス灯のようなデザインの街燈に灯が入っている。

「おっ、起きたー。効きすぎちゃったかな、大丈夫」

「ええ、すっきりしました。大丈夫です」

「そう、じゃあね。気を付けて帰ってね」

「はい、ありがとうございます」

「そうだ、さっき連絡が有ってね。帰る前に経理課へ寄ってくださいって。扉を開けたら経理課だから、行ってあげて」

 行ってあげても何も、開けたら経理だったら間違いなく行く事になる。

「はい、ありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ、御馳走さまでした」


 驚いてしまいそうなのでゆっくり扉を開けると、そこは経理課であった。

「菜花奈都姫さん、お待ちしていました。どうぞこちらに御かけください」

 低いカウンターの前には、柔らかなシートの椅子が置いてある。

 そこに腰かけると、経理の人が、先ほどの紙の手提げ袋に描いてある黄色い麒麟と同じデザインの記章を差し出した。

「合格おめでとうございます。これは異世界司書であるとの証明になりますので、常に身つけていてください。もっとも、もう貴方からは間違っても離れませんけど」

 またもや意味不明の人が出てきたよ。

「支度金の準備ができましたので、こちらに寄っていただきました」

 おー‼ ワンダフル・エレガント・エクセレント。

 広告に載っていた【支度金あり】

 嘘ではなかった。 

「振込にしますか? 現金にしますか」

 いきなり振込と言われても、あまり使わないから口座番号分からない。

「現金で御願いします」

「菜花さんは自宅から通うという形になりますので、交通費も出ますけど、それも現金でよろしいですか」

「はい」

 貴重な現金収入だ、最後に残った東京駅のチョコレートはここで出さずして何処で出す。

「あのー、よろしかったら」

 とたん、振り返った彼女の視線が、チョコレートの袋にく・ぎ・づ・け!

「はい」

「よろしかったらこれ」差し出すが早いか受け取るのが早いか。

「ありがしうございます。急いでやりますから、今しばらくお待ちください」こう言い残し、奥の部屋へ飛び込んでいった。


 暫くして、経理の人が大き目のキャリーケースを曳いて来た。

 材質はジュラルミンのようだ。

「重いですから、ぎっくり腰に気を付けてくださいね」

 まさか……。

「中にはこれからの案内と、この世界のパンフレットも入っています。できるだけ早く読んでください。これが鍵と手錠とおまけです。ではお気を付けて」

 支度金だよ、キャリーケースは要らないでしょう。

 手錠は要らないでしょう。

 おまけ‥‥金貨が革袋に入っている。

 帰ってケースを開けるのが怖い。

「お帰りになるにあたって少々説明させていただきますと、菜花さんは自宅とこの世界とを自由に移動できます。その扉を開ければお家に帰れます。また、こちらの世界では空間移動フリーです」

 空間移動フリーって、海辺のカフェからここに来た時もそうだった。

 何でもありだな。

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