第8話 オーナーシェフがアルバイト
怖がったり驚いたり喜んだり。
今から寝ても寝過ごすだけだ。
面接の為に身支度を整えていたら、空が白んできた。
おばあちゃんが書き残してくれた指示書には【何時発の列車に乗って何処で降りて何を買ってから乗り換えて、ああだこうだ・どうのこうの】実にめんどくさい事がA4に細かい文字でびっしり書いてある。
「わー、これ全部ー」
子供の頃、勉強が嫌いで娯楽本ばかり読んでいた私に、おばあちゃんが指示書を書いてくれた。
完了した所からチェックを入れて行くのが、当家の習わしだった。
ここまでくまると、しっかり生活習慣病だよ。
早朝に家を出ると、昨夜の雪が凍っていて滑りやすくなっていた。
昨日は二度も転んでいる。
ここは十分注意して駅に向かうとしよう。
指示書によれば【東京駅に行ってから一旦改札を出て、生チョコレートを三箱買う】
これ、目的が書いてない。
何故にチョコレートなのかは不明だけど、家風に則って支持を完了。
チェーク。
この後、なんだかんだ四苦八苦の挙句。
海岸本線の特急シオカラに乗って秘境駅で降りて、タクシーで【海鳴り耳鳴り・身の内海水浴場入口】まで行き、たどり着いたのは海岸近くの公園前にある一件のカフェ。
入口のつくりはバイトをしていた洋食屋によく似ていて、やはりここの花壇にも花がしっかり咲いている。
「すいませーん。誰か居ますかー」
開店しているカフェだ。
誰かが居て当然なのは分かっているけど、怪しい面接会場に指定されている場所だもの。
こちらとしては用心してかからざるべきよね。
「いらっしゃい」
奥の厨房から出てきたのはバイト先のオーナーシェフで、まだ入院中の筈なのに。
「えっ! シェフ‥‥」
「あっれー、驚きだな。何で君がこの店に来るの。それでなくたってシーズンオフなんだから、お客さん滅多に来ないってのに。驚きだなー。まあまあ・まあまあ、何はともあれだ。どこでもいいから座りなよ」
シェフの驚きようは尋常じゃなかった。
けど、それよりも私の方が驚いた。
言われるまま近くの椅子に座り、疑問解消の努力を始める。
「はい、私も驚きです。入院していたんじゃないんですか?」
「いやなに、退院して家で少しばかりのんびりしようと思っていたらね、先輩から電話があって、暫く留守にするカフェの留守番をしてくれないかって、シーズンオフでお客さんは少ないからどうかなって、海の近くで空気も綺麗だし、病み上がりの療養と肩慣らしにちょうど良いと思って引き受けたんだよ。先週来たばかり」
「退院したならしたで、連絡くらいしてくださいよ」
「ああ、ごめんね。でも君、電話ないでしょ。連絡できなかったんだよね」
返す言葉がない。
「おなか減ってない? 今お昼に生姜焼きサンド作っているんだけど」
願ったり叶ったり。
「食べます。食べる。食べる」
「変わらないね、何時でも腹減らし」
こう言い終わると、シェフの目がチラッ。
東京駅で買ったチョコレートの袋に行った。
「はは、あの、良かったらこれどうぞ。ここの生チョコ、とっても美味しいんですよ」
「えっ、いいの? どこかへのお使い物じゃないの」
「いいえ、変な話ですけど、昨晩おばあちゃんが夢枕にたって、これを三つ買えって。何に使うかは言ってくれなくて。これもきっと何かの縁ですから」
「そうかい、ありがとう」
五分ほどして、生姜焼きの良い臭いがしてきた。
そのまま御飯と一緒に食べるのもいいけど、シェフの作る生姜焼きは、キャベツと一緒にパンで挟むと飛び切りの絶品へ変身する。
食後のアイスクリームまでいただいて、お勘定は要らないって。
昨日とは打って変わった絶好調。
なんて良い日なんだ。
しかし、面接会場と指定されている場所に、知り合いがいたのが引っかかる。
「シェフー、うー。その先輩って、どんな人ですか」
「どんな人って、そうだな。僕があの店を始めたばかりの頃にね、お客さんとして来てくれたんだ、最初はね。そうしたら『君には無限の可能性を感じる。一度私の店に来てくれないか、御馳走するから』って言われて、来てみたのがこの店って訳。その時に出された料理が、どれもこれもこの世の物とは思えない美味さで、休みの度にここへ来てレシピを教わりまくったのさ」
「へー、だからシェフの料理は格別なんだ」
「格別はほめ過ぎだろ」
「でも、それじゃあ、氏素性も分からないまま、今までお付き合いしてきたんですか?」
「変な話だよね。もう二十年以上の付き合いだけど、名前、知らないんだよ。我ながら変だと思うけど、それでもなんだかんだ今日まで」
ますます怪しい雰囲気になってきた。
このまま誘拐とか拉致とか異世界召喚とか、理不尽この上ない行為の犠牲者になってしまいそうな予感がしてならない。
「あの、こんな求人広告が出ているの知ってますか」
シェフに、昨日発見した異世界博物館の求人広告を見せて事情を話す。
シェフの顔が、分かりやすく驚愕の顔つきに変わった。
「あー、先輩が言っていた応募者って、君の事だったの。就職決まっちゃったら僕の店のバイト辞めるんだよね。困ったな、後釜捜さないと」
そこか。
「受かるとは限りませんよ。それに、シェフの店だったら今直ぐにでもバイトやりたいって娘がわんさか。心配無用です」
「そうかな」
「そんなもんです」
言い終ると、シェフが私に深く頭を下げて奥の扉を指さした。
「何ですか」
「あっち、あの扉の先で待っていてくださいって、誰か面接に来たら、そうしてくれって言われてる」
「あっちで待っていればいいんですか」
「裏口だから外に出るだけなんだけどね。まあ、そう伝えてくれって言われてるんだ」
極めて怪しい。
しかし、正規雇用は命の次に重要だ。
恐る恐るドアを開ける。
やはり外だった。
「では、外で待ってます」
「そうしてー」
こう会話して扉を閉めると、
目の前の景色が一瞬で変わった。
「瞬間移動?」
綺麗にも程があるだろと言いたくなる美しい街並み。
まっすぐ伸びた石畳道路の両側は、タイル絵で壁が覆われた商店が軒を連ねている。
シェフに言われたまま、そのままボーと突っ立っていると、ホワッと暖かくなった途端、私立異世界博物館と書かれた看板の掛かった建物の前に出た。
「うわっ! また瞬間移動。小説とかアニメの世界でしょ。反則でしょ」
カチカチにフリーズしていると「菜花奈都姫様ですね。館長がお待ちです、どうぞこちらに」
シルバーグレーの長髪を、黒いリボンで後ろに束ねている。
燕尾服で白い手袋の初老男性が、優しく声をかけてきた。
「失礼ですけど、おたく何者。何で私の名前知ってるの。履歴書まだ出してないよ」
たぶん、目的の場所に着いた。
残るのは面接だけ。
テンコ盛りの不安材料は、今のうちに払拭しておくべきだ。
「申し遅れました。わたくし、私立異世界博物館・管理局の学芸委員で黄麒麟と申します」
学芸委員? 学芸員じゃないのかな。
とりあえず不安は消えた。
三㍍離れた後ろで歩くとしよう。
「ここが館長室です。ノックは不要ですので、どうぞお入りください」
こう言い終わると、黄麒麟さんは蒸気になって消えた。
出だし頗る規格外、気絶しそう。
「失礼します」
大きな観音開きの扉は思いの外軽くて、力を入れなくてもすんなり開いてくれた。
「ファー! ファー!」
扉を開けたその先は、緑が見事なゴルフ場だった。
ありえねー。
「奈都姫さん? よくここが分かったね」
「はい、黄麒麟さんが案内してくれました」
「えっ、案内って。黄麒麟様に会ったの」
「学芸委員の方ですよね」
「うっ、まあ。肩書は学芸委員だけどねえ‥‥来週から司書研修だから、詳しくは司書室に行って聞いて。扉の向こうが司書室だよ」
こう言い終わるや否や、館長はTグランドに戻って打ち直し。
この一打も「ファー! ファー!」
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