第7話 成仏、念仏。悪霊退散 

「このままじゃ食卓が何時になっても片付かないわね」

 求人の張り紙を炬燵板から丁寧に剥がすして、しわを伸ばしながら窓ガラスに張っておきましょ。

「朝までには乾くでしょ」

 一段落付けてたけど、後になって気づいた。

 冬の窓ガラスって結露が発生するんだよね。

 朝には乾いているどころか、ビショビショのグダグダ。

 ベタベタになっていたのね。


 そんな事は頭の片隅にもない。

「海岸村なんて所、日本にあったかなー。何処。電話番号載ってないから直接行くしかないけど、駅あるのかなー」

 明日の事で頭蓋骨が満タンになってきた。

 どうやったって探しようがないわ。

 この村の名前を知ってさえいれば、どの辺を目指せばいいのかくらいは分かるのに、残念だー。

 海水浴に行った事がないっていうか、小さい時に父母を亡くしてからずっと、海のない県の祖父母と暮らしてきた。

 中学に入るまでは三人暮らしが続いていて、十五歳の春に祖父が他界。

 それからは祖母と二人きりの生活が続いていた。

 海なんて十年以上見てないし。

「電車のルートも調べないといけないし、その前に電車賃ないし、アルバイトもあるしなー。明日の面接は無理かなー」


 緊急ミッションだけど、今すぐどうこうできる体制じゃないもんなー。

 酔っていても、次に何をすべきかくらいの思考回路はまだ作動している。

 とりあえず、物置と化している二階部屋に行ってみようかな。


「んー、もう。この辺にあったはずなのにー」

 本棚の前に置かれた段ボールの箱をかたっぱし開けて、ひっくり返しほっくり返し捜しているのの地図がない。

 海岸村とやらの存在を確認したいのに、無駄な努力に思えてきた。

 いっくら私が世間知らずの盆暗でも、日本の地名で【海岸村】なんて聞いたことないもんね。

「あったー」

 地図はあったけど、天下を取った様な雄たけびが、誰もいない家にわびしく響いてるわ。

 バタバタ階段を降りて、最後の一段を踏み外し足首をひねった。

「痛ったーい。なんでこんな所に階段があるのよー」

 大きな声で叫んでみても、だれにも文句は言われない。

 だけど、心配もされない。


 居間兼寝室兼台所に入って、炬燵に足を突っ込む。

「そうか、こっちの足は冷やした方が良いのかも」

 さっきひねった右足首を、こたつ布団の中からそろり外に出す。

 二・三度痛む足首を撫でる。

「フー、君も災難だったね」

 それから、地図の一頁目からじっくりと見始めた。

「かいがんむらって個性的な名前なのに、あいうえお順の市町村名に載ってないのね。本当にあるのかな」

 早くしないと夜が明けちゃうよね。

 求人広告には、何県とも書いてないし。

 北の北海道から攻めていくしかないのかな。

「どこかにあるのかな」


 レモンハイ片手に地図とにらめっこする事三十分。

「あっ、これかな海岸村・海岸町辺り・海岸自然公園」

 なんとなくじゃ不安だけど、ここしかないもんねー。

 次に調べるのはー、交通機関の有無ね。

「うっ、電車がない」

 更に調べる事三十分。

「最寄り駅はー、片田舎駅か秘境駅‥‥‥どっちも遠いなー。あてもなくタクシーは辛いし、バスあるかな」

 ふと思い立ち、仏壇にリンゴを供えてみる。

「天にましますおばあちゃん、どうかお助けを‥‥‥無理かー」

 暫く放心状態があって「明日駅員さんに聞いてみようかな。それより中華料理屋で聞いた方がいいかな。旅行雑誌も置いてあったし」

 最近、独り言が多いなー。

 危ない兆候だったらどうしよう。

「お客さんで旅行好きな人いたし、店長も結構とあちこち出歩いているものなー」

 危ない世界の扉を開けてしまったかも。

 放心。

「お金ないからなー、交通費どうしよう」

 私の精神、今まさに別世界へと旅立とうとしている。

 飲み過ぎたか。

「明日、中華屋のバイト終わったら前借りして、その足で駅に行ってー、無理かな」

 再び放心。

「焼き鳥屋は休んでも問題ないよね。ひょっとしたらもう来なくていいって言われるかもしれないし」

 しばし放心。

「帰りが遅くなったら、どこかの安宿に泊まればいいし」

 なんとなく先が見えてきたね。

 安心したからかな。

 何だか眠くなってきた。

 こっくりこっくり、船を漕ぎはじめてるし。

 灯りを点けたまま炬燵に足を入れて、後ろに有った布団をすっぽりかぶった。

「眠い」


 一分程過ぎただろうか。

「歯、歯磨き」

 眠さが歯磨きにここか優っている。

 この状態から起きるのって、めっちゃ怠いんだよ。

 洗面所で歯を磨いて、再び炬燵に入った。

 一人が怖くて、灯りは何時も点けたままで寝ている。

 炬燵の電源は落とすけど、その代わりにホットマットのスイッチを入れている。

 この方法で、何度か極寒の冬を乗り超えて来た。

 おばあちゃんが亡くなってからは、この家に私一人。

「この生活には慣れたけど、寂しさには慣れないなー」

 一瞬、寝落ちからの独り言。

「ここからだと、どうやって行くのかな。やはり東京まで出て、それから訳分かんない列車に乗って……乗り換えてかな」

 本格的に眠い。

 爆睡を始めて一時間半。

 横になったまま目を開けて周囲を見る。

「錦糸町で乗り換えかな。ここから一本で行けたら楽なのになー」

 魔物や幽霊がいないのを確認。

 安心して再び深い眠りについた。


 横になると、視界に入ってくるのは求人誌の山。

 大学の途中でおばあちゃんが他界して、仕方なくアルバイトと学資ローンで卒業した。

 持っている資格は司書だけ。

 いざ就職先を捜してみたら、何処も定員に達していた。

 司書の募集がまったくない。

 司書の求人を運よく見つけても、どれもこれも派遣司書ばかり。

 家の近くには務められる図書館がない。

 派遣会社にまで断られ続けてきた。

 就活は続けているけど、ほぼほぼ諦めモードの求人誌覗き。

 習慣とは恐ろしいもので、今では求人誌が愛読書になっている。


 この夜、寝ている私に、誰かが声を掛けてきた。

「奈都姫。奈都姫、起きて」

「んー、誰ー。こんな夜中に」 

 明るかった部屋の電気は消え、白い浮遊物がぼやけた視界に入って来る。

 おばあちゃ……か?

「ゆ、幽霊! 迷い出るんじゃない。成仏、成仏。悪霊退散ー」

 合掌した手を頭の上にかざしてブルブル振ったってどうにもならせない。

 布団を被ってしらばっくれるしかないよ。

「悪霊って、まったく酷い事言う子だよ。面接会場への行き方、ここに書いておくからね。迷うんじゃないよ。それから、仏壇の奥の引き出しに、五万円あるから。それ持って朝一番で面接に行きなさい。中華料理店の店長には、あたしから連絡しておいてあげるから。あっ、焼き鳥屋はね、もう連絡済みだから」

 こう伝え終わると、おばあちゃんの幽霊は消えた。

「あー怖かったー。もういないよね、どこにもいないよね」

 明るくなった部屋をぐるっと見まわし、誰もいないのを指さし確認。

「今のって、いわゆる夢枕って現象なのかな?」

 我が身に起こった超常現象の真偽が分からない。

 仏壇の奥。

 引き出しを引いてみると、一通の封筒。

 おもむろに開いた封筒を覗き込むと、現金が入っている。

「五万円?」

 にんまりしてから、人差し指と親指で札束をつまんで目の前に置く。

「一枚・二枚」 

 私ってば、自分の方が幽霊のみたいになっているしー。

「おばあちゃんの嘘つきー。十枚あるうー」

 突然、上の方から太い声がする。

「あとの五枚は、おじいちゃんからだよーん」

「うわっ、幽霊嫌い。早く消えてー」

 自分勝手だけど、怖いものは怖いのよ。

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