第6話 雪だるまと雪見酒
「さてと、落ち着いたからお風呂に入って温まりますかね」
食前食後、その日によって入浴時間は異なるけど、今日のように寒い日は、とりあえず温まりたい。
お風呂に入っていると、ちょうど目線の所のタイルがひび割れているのが気になる。
この家は、おばあちゃんとおじいちゃんが新築で買ったのだけど、地盤が悪くてあちこち歪んでガタが来ている。
扉が閉まり難くかったり、廊下に置いたピンポン玉が勝手に転がりだしたり。
昔は湿地帯だったらしくて、この地域一帯が同じような状態だ。
この事を知っていての買い物だったから、クレームのつけようがないと諦めている。
お金のある家は、建て直しの時に基礎コンクリートを打ち増したり地盤改良をしている。
うちは建築から40年、そのままだ。
工事の時に水道屋さんが間違えたようで、温水と冷水の位置が逆になっている。
私は慣れているから問題ないし、来客もめったにないのでそのままにしている。
いまさら40年前の不良工事をどうこう言ったところで、誰も取りあってくれない。
「良い気分だなー。パンだけにしようかな、ラーメン作ろうかな」
湯舟の中で考えるのは今夜の食事について、お酒もあるし食材も豊富だ。
ひょっとしたら、給料日の食卓よりも豊かも。
熱めのお風呂からあがって小休止。
窓の外から、雪で冷やした缶ビールを招き入れて、プシュ!
軽く口を付け、一口ゴックン。
冷えた液体を飲み込んでも、体が拒否反応を示さないと確認したら、一気にゴクリ・ゴクリ。
「プッハー、たまりませんねー」
口一杯に広がるホップの苦味。
喉から食堂に伝わる炭酸の刺激。
冷えたビールが、火照った胃袋へドッカーンと落ちるー。
湯舟に浸かり、今夜はラーメンで行こうと決めていた。
早速、段ボール箱の中からキャベツとチンゲン菜を取り出す。
ホーローがすっかり剥がれてしまった鍋に水をはり、使い込まれたガス台へ乗せる。
「着火!」
小さく切った野菜を入れて、ある程度煮えたらラーメンと粉スープを鍋に入れる。
麺は完全に煮え切らなくても大丈夫。
ガス代節約の調理法だ。
出来上がったら鍋ごと炬燵の上に置く。
ここで缶ビールをもう一口。
アツアツの野菜をフーフーして食べていく間に、余熱で麺が仕上がってくれる。
一日三食だったのが、最近はまかないを入れても一食だったり。
バイトが休みの日はバナナ一本だったり。
実に不健康な生活が続いていた。
今日の食卓は関心するほど充実している。
あらかた食べ終わると、スープだけが残った。
これをそのまま飲んでしまっては、世間様に申し訳が立たない。
目の前に置かれたパンの中から、一際存在感のあるフランスパンを取り出す。
嫌いではないのだけど、硬いのが難点。
ふだんはあまり手を出さない。
今日はまだ暖かいスープがある。
ちぎってはヒタヒタ。
たんまりスープを吸った所で、口の中へ運び込んでやる。
ホイと持った缶ビールがやけに軽い。
耳元で振り振りしても音信不通、何の音もしない。
飲み口を大きく開けた口に合わせ、そのままグイッと天井を睨む。
タラーリ、一滴したたって終了。
アツアツの麺を食べている時点で、ビールはなくなっていた。
「よっこらしょ」
ちょっと良い気分になっている自分に気づいて、そろーり立ち上がる。
浴槽からカップ酒を取り出し、水道水でサッと流せば、燗酒の出来上がり。
「乾杯ー」
一人で盛り上がっている自分を、もう一人の自分が小馬鹿にして笑いそう。
恐ろしく寒い夜に、暖かな部屋で雪見酒。
あー、日本の女に生まれて良かったー。
おっと、こんな事している場合ではない。
求人広告を見なければならないのですよ。
最低限の文化的生活を獲得する為。
なんとしても正社員にならなければいけない。
フランスパンのスープ漬けをほうばりながらーの、カップ酒ちょぴ飲み―の、求人広告見ーの。
炬燵の上に伸ばして置いたのが、まだ乾いてない。
上から覗き込み、改めて読み直してみる。
【司書急募 私立異世界博物館図書室】
私立‥‥‥異世界‥‥‥怪しげな文字列だな。
しかし、今日・明日は何とかなるとしても、一週間先の食材を買えない。
切迫した家計の事情。
どんなに斜めから見ても、今後の生命維持に不安があるとしか思えない。
非常事態宣言。
背に腹は代えられない。
「直に面接を受けてやるか。支度金が有るみたいだし、ひょっとしたら電気代を払ってもおつりがくるかもしれない」
今日はやけに吸い込みが良くて、既にカップ酒も半分ばかリが肝臓の餌食になっている。
少々地球の自転が早まっている気がしないでもないが、面接準備を日延べする余裕は身体的にも精神的にも経済的にもない。
「しかしまぁなんだ、色々と好条件を書いてあるようだけど、詐欺かな? 異世界博物館って、何を展示しているんだろう。ウイッ」
ネットで調べたいところだが、電話もネットも解約している。
「あっ! 雪見酒するの忘れてた」
寒いので少しだけ窓を開けて外を見る。
レモンハイの缶に雪が積もっている。
「雪、止んだのね」
月明りで外は異様に明るくなっている。
隣は空地になっていて、まだ誰の足跡もついていない。
「雪だるまかー」
酔った勢い。
童心に帰って空地に積もった雪を丸め始める。
「うー、寒ぶ」うっかり鼻水も垂れてきた。
30cmばかりの大きさなのに、雪だるまが泥だるまになって来た。
「ダメだ、これ」
この上に、手で握った雪玉を乗せて、雪だるまの完成。
「あとは、ワンコの足跡つけて帰ろ」
ポツポツ、ポツポツ。
雪だるまの周りにワンコ足跡。
「うー、寒!」
すっかり酔いがさめてしまった。
すっきりした所で、改めて広告を見る。
「んー、どう見たってないよねー」
異世界と銘打つだけあって、広告の内容をどれだけつぶさに観察しても、面接会場となるべき図書室の住所も電話番号も書かれていない。
「なんなのこれ、悪戯か?」
カップ酒がなくなった。
レモンハイの缶を家の中に入れてあげる。
「ほーほー、寒かったねー。今お腹の中に入れて温めてあげるからねー‥‥‥ん、鬼? 何だ」
缶に鬼とか書いてある。
何かの暗号だろうか、私には理解できない。
つまみがなくなったので、フランスパンをチビチビちぎっている。
パンを乗せたお皿にクズがちらほら。
窓を開けて外にまいてやる。
「キリギリスさん、ごはんだよ。ありさんのお家に行ったらダメだよ。食べられちゃうからね」
レモンハイをプシュッ。
「あっ、あぶり出しかな」
洗面所からドライヤーを持ってきて、炬燵のスイッチを切ってからブーブー。
レモンハイを飲みながら暫し観察。
何も出てこない。
「ダメか」
ドライヤーを片付けようとして、うっかりレモンハイの缶を倒した。
「あ゛! 残り少ない貴重なお酒ー」
慌てて缶を立て直す。
せっかくドライヤ―で乾いた広告が、またもや濡れてしまった。
するとどうだろう、無駄に白く開いていた広告の下三分の一に、住所らしきものが浮き出てきた。
「【面接会場 ちょっと遠くの海岸村辺りに建っている公園前レストラン】って、これ住所なのか‥‥‥電話番号ないし」
地図がない。
最寄り駅からのアクセス記載もない。
最寄り駅も書いてない。
面接期間なし。
「本気で就職したいなら、自力で捜せって事かー?」
既に就職試験は始まっているのか。
魔法使いの試験じゃないんだから、こんなのあり得ない。
本当に急募か。本当に雇う気ある?
過ぎた冗談は笑えないぞ。
いずれにせよ、広告を作った奴はろくでなしだ。
BUT 乗り掛かった舟。
何が何でも面接は受ける。
決定はしたたけど、なんと言うか、この求人、怪しすぎる。
誘拐とか拉致とか異世界召喚とか、危険な臭いがプンプンするんだけど。
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