第5話 司書急募 異世界博物館図書室
泣き顔を行きかう人に見られないよう、うつむいたまま帰る。
どんな時でもポーカーフェイス主義だけど、長い間無理を続けていると、思いがけない時に感情は制御不能となってしまうものだ。
こんな時は人の多い通りは敬遠したい。
如何せん、駅から家までの帰宅ルートは二本しかない。
一寸先は闇だ。
どちらの道に進むべきか、ルートの選択はこれから先の人生を大きく変えてしまいかねない。
慎重に選ぶべきだが、現在の周囲環境を考慮するに、私はどちらかを選べる状態にない。
二ルートのうち一本は、今歩いている商店街縦断コース。
昼夜を問わず購買意欲を掻き立てられるので、私の中では別名【買ったらあかん通り】になっている。
しかしながら、生業とするアルバイトの宝庫でもある。
商店街に行かないで、生計を立てるのは至難の業だ。
したがって【買ったらあかん通り】ではあるが【行ったらあかん通り】ではない。
もう一本のルートは商店街を抜けるのではなく、駅の反対側から出て行くというもので、こっちの方が家までの距離は近くなる。
【買ったらあかん通り】では、全行程二十五分程度の道のりだけど、近道ルートでは十五分で家へ帰り着く。
家から駅までの距離で十分の差は大きい。
最短で十五分程の道のりになるのだが、昼間でも人影はまばらだ。
この道は、三mばかりの幅を持つ川に沿った小道を歩かねばならない。
駅の出口が最近できたばかりなので、こちら側は開発が遅れている。
人家や商店はまったくない。
先のルートでは、踏切を超えた先にあるコンビニまで十五分かかる。
近道を行けば、コンビニの前まで五分で行けるけど、街燈がない。 夜になると真っ暗なので、昼間に限って使える道だ。
コンビニの前まで来ると、しばし迷って店の中に吸い込まれた。
商店街での買い物が安くあがったのに加えて、色々と貰いものがあって懐に少額の余裕がある。
「今日はやけ酒だったんだよね」当初の決意を再確認する囁き。
酒屋で買ったビールとカップ酒では足りないと予想した。
真っすぐお酒コーナーに向かう。
蟒蛇と称される程の酒豪ではない。
私の場合、やけ酒を飲んだにしても飲まれる事はまずない。
くだを巻いて絡む相手もいない。
正体がなくなるまで飲む事は絶対にない。
その前に眠くなってしまう。
買い足してもどうせ飲めないけど、目の前に酒を並べてから飲みたい気分なのだ。
500㏄のレモンハイを一本と、レジに向かう途中で気になったチョコレート。
合わせて会計を済ませる。
392円が財布に残った。
「来月からは電気・ガスなしの生活なのね」
コンビニを出てから家まで十分。
私にとって試練の帰宅路となる。
まずは景気づけ。
箱詰めする前に一つだけ、ポケットに入れておいた小さいクロワッサンを取り出す。
カプッと一気に口へ押し込むと、身丈に合わない大きなコートのポケットをひっくり返し、細かく剥がれたクロワッサンの一部をはたく。
「キリギリスさん、御飯でよ」
積もり始めた雪にゆっくり足跡をつけていく。
私の足ってばー、冷たそうだな。
コンビニを過ぎると静まり返った住宅街に入る。
所々に街燈はあるものの、月明りもない雪道では不用心な道行だ。
ここから先は住宅の窓から漏れる灯りが頼りになる。
居酒屋でのバイト帰りでは窓明かりも期待出来ないので、いつも街燈と街燈の間を走っている。
帰りが遅くなってここを通る時は、大声を出して走り抜けるのが子供の頃からの習慣だ。
この辺りの住民は、大きな声を聞いて私の帰宅を確認するようになっている。
「ワーワー」
ゼエゼェ
「ワーワー」
ゼエゼェ
「ワーワーワ~」
実に近所迷惑な帰宅の儀式だけど、いたしかたない。
怖いんだもん。
家の近くまで来て、最後の街燈下で一安心。
ゼイゼイしながら休憩していると、電柱の下方に張られた求人広告に気づいた。
「こんな所に広告張ったって、誰にも見られないじゃないの。何々【司書急募 異世界博物館図書室】司書‥‥‥私、有資格者だし。【支度金あり】って、まじか」
急に精神状態が怪しくなってきた。
「右よし、左よし、上よし、下よし」素早く指さし確認を済ませる。
「のりまで濡れているって、いいんじゃなーい。上手に剥がせるよねー、んー。それ以前に、電柱への張り紙は違法だわよね。私はボランティアで、町の美化に協力しているの。そう、これば町内美化ボランティアよ。ん、ん」
誰かに咎められた時の言い訳はできた。
街燈があるとは言え薄暗がりのこと。
読み間違いがあってはならない。
剥がして御持ち帰りー。
まだ誰にも見られていない事を切に願い、以後なんびとたりともこの広告を目にしてはならない。
諸事情策略あっての緊急行動。
常日頃のんびりまったりが信条だけど、この場合の決断と行動は電光石火としなければならない。
綺麗に剥がし終わって、再び「右よし、左よし、上よし、下よし、ダーッシュ!」
いきなり走り出したら、雪に滑って転んで手に怪我をした。
それでも家まで三十秒。
私の勢いは衰え知らず。
玄関で限界に達した。
「あー、足が動かない」
明かりの点いていない真っ暗な玄関。
スライム・キーホルダーの小さなライト。
ギュッと握って灯りを点ける。
「鍵穴よし」
小さな灯りを頼りに鍵を差し込み、カクンカクンと二回ばかり途中まで回して戻す。
この家の鍵は壊れかかっていて、開ける前に開錠の儀式を行わないと開かないようになっている。
「やっと着いたー。さっむー。とりあえずお風呂かな」
部屋の灯りを点けるよりも先に浴室に入り、お湯張りのスイッチを入れる。
ジョボジョボお湯が出て来る。
浴槽の蓋を被せて浴室の電気を消すと、再び家の中は真っ暗になった。
壁を伝ってリビングダイニングに入り、灯りのスイッチを入れる。
チカチカチカ。
「もうダメかなー、LEDに変えたいな」
蛍光管の端が黒くなっている。
十秒ほど格闘して、ようやく部屋が明るくなった。
三LDKの一戸建て、一台分の車庫あり。駅から歩いて二十五分。
なかなかの優良物件は祖母名義で、亡くなってから三年経つ。
まだ名義変更はしていない。
この家の一階、リビングダイニングで私は生活している。
他の部屋は物置になっていて、今は殆ど使っていない。
薄暗くなった玄関に戻って、背に担いだ段ボール箱を下す。
「こんな所まで雪が積もってる」
箱の雪を掃き落とし、にんまり蓋を開ける。
そのままリビングへ運ぶと、窓を開けてビールを雪の上に置く。
コートを脱いでハンガーに掛けてから、カーテンレールへ。
ポケットからレモンハイを取り出し、これも外に出して冷やす。
部屋も体も冷え切っている。
冷えの追い打ちをかける必要はないけど、冷蔵庫が死んでいる状態なので気分を変えたい。
カップ酒は箱から出して、湯舟にそっと入れる。
「この時期は燗酒がたまらないのよ。今日は雪見酒ね」何だか楽しくなってきた。
これが済むと、おもむろに仏壇の前に座り「おばあちゃん、ただいま」パンパンと手を叩きすぐに立ち上がる。
私の信仰心はめっちゃ薄い。
存在感たっぷりの段ボール箱を部屋の隅に置き、炬燵の上にパンをドンとのせる。 せる。
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