第4話 手には破格の袋麺、心にチョット希望の光

 今日は朝から夕方まで、私の心を映したような曇天。

 みぞれ混じりの雪が振り出してからは一段と冷え込み、日が沈む頃には氷点下。

 みぞれがすっかり大粒の雪に変わって、このまま降り続いたら明日の朝には電車が止まってしまいそうな勢いだ。

 慌てて一気に家まで帰ってもいいけど、冷え切った体を温めないと途中で遭難してしまう。

 それに、家に帰ったって食べる物が何もない。

 数は少なくても何か買えば客だ、恐れる事はない。

 そそくさスーパに入り、ちょっと背伸びして中をぐるっと見渡す。

 無駄な動きをできる限りなくして、素早く買い物を済ませよう。

 目的の物は五個入り袋麺だけだけど、何味にするか。

 それ以前に、幾らの物があるんだろう。

 野菜とか卵も入れて食べたい。

 残金から逆算すると、袋麺に出資できるのは六百円が上限。


 入ってすぐの所には惣菜がずらっと並んでいて、まだ閉店まで時間があるから割引商品は数少ない。

 フライとか天ぷら・唐揚げもある。

 しばらく自宅では油気の有る物を食べていない。

 ビールに合うつまみが欲しいところだけど、そんな贅沢は言ってられない。

 四百五十円のかつ丼が、三割引きになっている。

 袋麺かかつ丼かと聞かれたら、迷わずかつ丼をとるのが人情というものだ。

 でも、それでは一食で終わってしまう。

 支出の大に対して得るものは小。

 バランスが悪すぎる。

 袋麺なら、五食分になるのは分かっている。

 今回はきっぱり、かつ丼を諦めるべきだ。 

 スーパーの中は誘惑だらけ。

 これらの商品は、私を堕落せしめんが為の陳列としか思えない。

 冷凍食品は美味しそうだけど、屋外に出しておいた方が無難な食品の一つに過ぎない。

 冷蔵庫の電源を抜いたままで暫らく経っている。

 白い箱の中は悪臭が立ち込めている。

 生鮮食品コーナーでは、お肉が先頭を切って目に入ってくる。

 かれこれ数か月、まかないで出て来るお肉以外は食べていない。

 魚。まして生魚などもってのほか。

 果物。ブルブルブル、滅相もない。

 菓子やケーキは贅沢の極み。人類の敵だ。


 あーあー、わびしいな。

 でも、帰ったら家にはまだ電気がある。

 ホットマットを入れれば、暖かくて明るい食卓だ。

 とりあえず、水道とガスも止められていない。

 今しばらくは暖かいお風呂に入れる。

 そうだ、楽しい事を思い浮かべて買い物をすれば、少しは元気が出てくるはず。

 ルンルン。

 五個入りの一番安い袋麺。

 一番安い袋麺はと…。

 グー! グー! グー! 

 お腹から発見信号が送られてきた。

 破格の袋麺が、きっとこの辺りに鎮座ましましているのは確実なのに、目がかすんで価格がよく見えない。

 目を両手でこすって、じっくり見直す。

 陳列棚の中段ど真ん中に、欲するものはあった。

 売れ筋だからこの位置なのか、それとも良心的に一番安いのを目立つ所に置いてあるのか。

 いずれにしろ、これは私にとって歓迎すべき計らいだ。

 野菜の見切り品を捜したが、今日はまだ出ていないのか売り切れてしまったか。

 ラーメンには不向きなショウガと大根しかない。

 野菜を扱っている商店は、なにもここだけではない。

 帰りの道すがら仕入れれば良いだけだ。

 レジに袋麺と卵だけを差し出す。

「三百八十五円です」

 予算よりだいぶ安くあがった。

 こんなことなら、つまみの一つも買えばよかったかな。

 なにはともあれ、これで至福の一時を過ごす為の準備が半分完了。


 商店街をもうすぐ抜け出す辺りになって、腹部では先ほどから内臓が活発に動き回ってくれている。

 すれ違う人が振り返って私を二度見する。

 そんな大音響か?

 空腹のあまり、もはや私の聴覚は無反応になってしまった。

「なっちゃん、なっちゃん!」

 遥なる遠方から、私を呼ぶ声がする。

 彼の世からのお迎えという奴が来たかか。

 聞き覚えのある優しい声だ。

 心が安らいで、このまま何処か別の世界に行ってもいいような気分になって来た。

「なっちゃん!」

 遠くからだと思ったら、目の前で近所に住んでいるパン屋のおばさんが声をかけていた。

「残り物で悪いんだけど、良かったらこれ持って行って。バイト大変だったね。そのうち良い事あるよ」

 大きな袋にパンが沢山入っている。


 おばさんは、パートでこのパン屋に勤めているのだが「なっちゃんの事情をオーナーに話したらね『これ、持って行ってやんなよ。近所の娘なんだろ。こんな時は助け合わなきゃな』って、気前よくパンの袋詰めを差し出してくれたの」だそうな。

「ありがとうございます。とっても助かります」

調理しないで食べられる物を差し出されたのでは、もう我慢できない。

 行儀は悪いけど、おばさんの前で一つ食べる。

「美味しい。ばか旨!」

「よかった、じゃあね。気を付けて帰るんだよ」

「うん」

 これで一息付ける。

 人の情けがパンと一緒になって、じんわり体に沁み込んでくるよ。


 商店街の始まりとも終わりともとれる場所にある八百屋で【今日の激安おすすめ】と題した見切り品の箱をあさろう。

 パン屋での一件を遠目に見ていた様子で、随分と手前から店の主人がこちらを見ている。

 交差点の角地にあるので風当りが強い。

 足踏みをしながら手をこすり合わせ、暖かな息を手に吹きかけている。

「なっちゃん、早く来なよ。ストーブあるから、当たっていきなよ」

 誘われるまま、小走りで店の奥にあるストーブを目掛ける。

「困った事になってるんだってなー。町会長から聞いたよ」

 店長は週に一度程は飲みに来ていたので、居酒屋の倒産話を聞いて仰天したようだ。

「ええ、給料未払いが一番ひびいたかな。年の瀬だし、暗い新年になりそう」


 パン屋のおばさんもこのおじさんも、小学校の教員だった祖母の教え子だった。

 子供の頃から遊んでもらっていたから、気兼ねなく何でも話せる。

「見切り品、まだありますか?」

 ここの見切り品は【お買い得】としているだけあって、スーパーの見切り品とは鮮度が雲泥の差。

 夕方にはすっかり売り切れてしまう。

「あるよ、ほら。段ボールに取っておいたから持ってきな」

「いいんですか」

「百円」

 箱の中を見れば、キャベツが一個とチンゲン菜が一束。

 バナナが一房に林檎と苺まである。

 いくら見切り品とはいえ、とてもではないが百円の価格はあり得ない。

 ただで貰っては私が気まずいのではと思ったのだろう、店長の心遣いが隠れていない。

「ありがとうございます」

 せっかくの気遣いを無駄にするのも失礼だ。

 わざとらしいとは思ったが、無邪気な子供のようにはしゃぎ、百円を店長に手渡す。

「傘も持っていきな、返さなくてもいいよ。どうせ客の忘れものだ。一年もたってんだ、間違っても取りに来ねえさ」

 店の傘さしに入っている透明のビニール傘も渡された。

 パンとスーパーの買い物を箱に入れると、結構な荷物になった。

 バックも箱に入れて、店長が段ボール箱にビニール紐を絡めて背負わせてくれた。

 細い紐なので肩に食い込んで痛いけど、そこは贅沢な悩みだ。


 交差点を左に折れると踏切。

 電車が駅に入ったばかりで、なかなか開いてくれない。

 北風がとっても寒いけど、優しい気分で笑顔になっている自分が分かる。

 こんな気持ちと裏腹に、涙が出てきて止まらない。

 微笑みながら泣いた。

 惨めだ。

 口惜しい。

 不安。

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