第12話


「そうだ。これ、今日の差し入れ」

 さっき買ったクッキーを、ユウくんが差し出した。

 タツキくんの目がキランって輝く。あの唇の向こうには、ヨダレの海ができているんじゃないか。今にも封を切りそうだ。

「先生とお父さんお母さんと相談してから食べるように!」

「……ちぇっ!」

 口では「ちぇっ!」って言っているけれど、不思議とあまり残念がっている感じがしなかった。たぶん、いつものことなのだろう。ようこそ、って言われて、お邪魔しますって返すような、ごくごく自然なやり取りなんだろう。

 今日がはじめての私にはわかりようのない、人と人との繋がりを、私は目と耳と、肌と心で感じる。

「それで、それで! サキねぇ、持ってきてくれた?」

「え……え?」

 急な「サキねぇ」に困惑した。ユウくんのことを「ユウにぃ」と呼んでいたから、彼からしたらごくごく自然な呼び方なのだろう。けれど、姉の字をつけて呼ばれることなんてなかったから、なんだかムズムズしてしまう。

「アイちゃんのクマ!」

「ああ、うん。持ってきたよ、ちゃんと。今、タツキくんに見せてあげる」

「タツキくんって呼ばれるの、なんかヤダ。みんなオレのこと、タッくんって呼ぶんだ。だから、サキねぇもタッくんって呼んで」

「わ、わかった」

 タッくんの、眩しい笑顔を見て思う。

 本当に、この子は病に蝕まれているんだろうかと。

 刹那、思考がパラレルワールドに旅立っていた。ハッとして、カバンの中に手を入れる。少しざらついた缶に触れた。掴み、取り出す。何度見ても、見るたびさまざまな想いが、私の頭の中に彩りをもたらしてくれる。

「開けて、開けて」

「うん」

 ほんの少し力を込めて、ゆっくりと開ける。中でお昼寝していた小さなクマが、光を浴びた。朝を感じて、目を開ける。

 ――おはよう。こんにちは。はじめまして。会いたいと思ってくれてありがとう、タッくん。

「サキねぇ、触ってもいい?」

「うん。いいよ」

 タッくんは、缶に手を伸ばして、引っ込めた。それからもう一度、おそるおそる手を伸ばして、指先でちょん、とクマに触れた。一度触れたら、少し慣れたのだろうか。今度は優しく、それを手にのせて、見やすい場所、胸の前までそっと連れていく。

「キミが、アイちゃんなんだね。はじめまして。タツキだよ。オレも、アイちゃんと一緒じゃないけど、似た病気。仲間だよ」

 クマをぎゅうっと、抱きしめる。

「ありがとう。まだこうして、居てくれて、ありがとう。会えてうれしいよ」

「……タツキ、ベッドに背中つけろ。ゴロンだ。ゴロン」

「もぉ、そんな子ども扱い、しないでよ」

「まだ子どもだろうが。ちょっと調子良かったからって、調子に乗りすぎだ。ほら。ゴロン!」

 ユウくんの言葉は、少し強くて、棘を感じた。

 私には、どうしてそんなに急に〝ゴロン〟を強制したのかわからなかった。それをふんわりと理解できたのは、タッくんがゴロンして、しばらく経ってからのことだった。

「うぅ……」

「ほぉら。まったく」

「だって……」

「だって、なんだよ」

「嬉しかったんだもん。ユウにぃが女の人連れてきたり、アイちゃんのことギュッてできたり。オレ、嬉しかったんだもん」

「わかるさ。その、喜びをうまく抑えられない感じも、わかるさ。病気がなければな。そんなこと、考えないでさ、ただやったーってできるんだけどな」

 ユウくんが吐き出す言葉は、言葉がつながればつながるほどに、悲しそうに揺れた。

「ま、オレ、もうすぐ元気になるからね。何にも考えないで、両手突き上げてやったーって喜んでやるんだ。今日はたこ焼き食べ放題だぞー! とかね」

 瞼を閉じている時間が長い。眠いのかな、怠いのかな。私には、よくわからない。私にわかるのは、アイちゃんのクマを撫でる余裕はかろうじてあるみたいってことくらい。

「タッくんは、たこ焼きが好きなの?」

 自分でも、誰に問いかけたのかわからなかった。タッくんのことだから、タッくんに訊いた気がする。けれど、タッくんに答えてもらうのは酷だとか、そんなことを考えて、ユウくんに尋ねたような気もする。

 言葉は宙を漂った。

 宛先のないそれは、誰かが拾わない限り、受け取り手不明の音の波でしかない。

「母ちゃん」

 ぼそり呟かれた、小さな声。

「母ちゃんが好きなんだ。母ちゃんにめちゃくちゃ迷惑かけてるから。だから、元気になったらたこ焼きパーティーしたいんだ」

 ユウくんの手が、タッくんの頭を、そっと撫でた。

「俺もそれ、参加していい?」

「……サキねぇと一緒なら、いいよ」



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