第8話
また、コーヒーを口に含んだ。ちらり、とおばあちゃんの方へ目をやって、こちらを気にしていないことを確認すると、シュガーポットから角砂糖をひとつつまんで、コーヒーにポトン、と落とした。
それはじゅわわ、と溶けてなくなる。色に変化はないのだから、誰かがそれを伝えない限り、おばあちゃんにはバレない。
クルクルと溶かし混ぜていると、トコトコと足音。
おばあちゃんが近づいてくることを察して、ユウくんは急ぎスプーンを元の場所に戻す。
「あ、これ、おまけ。プリン」
「だーかーらー。もう子どもじゃないんだってば」
「ええ……コーヒーをブラックで飲めないのに?」
「……う」
「あっはっは! 別にお砂糖が必要でもいいんだよ。苦いコーヒーが飲めなくても、ろくな大人にはなれるさ。でもさ、大人になったからって、プリンが嫌いになったわけじゃないだろう? おまけくらい、『ありがとう』って受け取りなさいな」
「まぁ……うん。ありがとう」
「はい、よくできました。あ、そうそう。ひとついいこと教えてあげる。砂糖を入れたことを誤魔化すときは、スプーンをペロッとしといたほうがいいよ。ソーサーにコーヒーがついてちゃ、バレバレだからね」
もう隠滅のしようがない証拠を、それでも消し去ろうとしたのか、それとも動揺したのか。ユウくんはスプーンをパクッとくわえた。
その一挙手一投足を、私とおばあちゃんは微笑み見ていた。
視線の先に、照れが滲み始める。
その赤みを見つめれば見つめるほど、私の心はあたたかくなる。
「はい、サキちゃんも」
「ええ、悪いです」
「もう! 似たもの同士!」
「ご、ごめんなさい」
「じゃなくて」
「ありがとうございます!」
「はーい。どういたしまして」
おばあちゃんは、プリンを渡し終えたら、もう用は済んだというかのように、くるりと踵を返した。私はどうにも気になって、まぁるい背中に問いかけた。
「あ、あの……どうしておまけをくださったんですか?」
おばあちゃんが、くるりとこちらを向いた。
「え?」
「ああ、いや、その……。なんとなく、気になったんです」
「そうねぇ。難しい質問だねぇ。だって、あたしも〝なんとなく〟だからさ。うーん。まぁ、そうだねぇ。あえて理由をつけるとしたら。あの時と味を変えてないつもりだからさ、懐かしいなって思ってもらえたらいいなって。それと――」
「それと?」
「本当は、アイちゃんにも食べてもらいたいって、思ってたから。代わりにしちゃって申し訳ないけど、あなたに食べてもらえたらって、思ったのかもしれないねぇ」
アイちゃんって、誰だろう。
わからなくって、ユウくんの顔を見る。
ちょっと泣きそうな、心ここに在らずな、昔を見る目をしていた。プリンにスプーンをいれる。ぷるん、と震える。亀裂が走る。掬い取ったそれを、パクリ、と口に含む。
「おばあちゃん、ありがと」
囁くと、おばあちゃんは顔を皺だらけにして笑って、
「うん」
と呟いた。
話しかけたら、邪魔になると思った。だから私は、同じプリンに違う時代を映しているユウくんに、声をかけることなく、ひたすらにそれを、掬って食べた。
食べたことのない味がする。だけどどこか、懐かしい。
プッチン、ってするプリンじゃないし、トロンってしたプリンでもない。レストランで出てくるものでもないし、プリンアラモードを頼んだ時に出てきたものとも何か違う。
たぶん、昔ながらの、ってやつなんだと思う。
なんで私はこれを、〝懐かしい〟と思うんだろう。
食べた記憶なんて、ないはずなのに。
プリンから視線を移す。ユウくんを見る。チラリと見たら、なぜだか今さらドキドキして、視線を戻す。ドクドクと心臓が鳴る。身体の中を血が駆け巡るのを感じる。
血。――血。
そうか。このどこか懐かしい感じは、きっと血が覚えている味なんだ。お父さんとか、お母さんとか。おじいちゃんとか、おばあちゃんの過去が、私に懐かしさを覚えさせるんだ。
「これ、美味しいね。食べたことないはずなのに、なんだか懐かしい味がする」
長い沈黙を切り裂いて、私は弾む声を吐く。
眼前、ほろりと泣きそうな顔を見て、言葉の尻は、そろりと逃げるようにすぼまる。
「そっか。アイにも、食べさせたかったなぁ」
ぼそり呟く、過去への想い。
「ねぇ、アイちゃんって」
抑えたはずの言葉が、口から逃げ出した。
背筋に冷たい刺激が走る。この口を黙らせた先にある今にいきたいと、心がわがままを言う。けれど、過去には戻れない。過去に対してできることは、想うことと、悔やむこと。せいぜいその程度だろう。
そして、未来へ向かう今、私にできることは、彼が発するだろうこの後の言葉に寄り添うこと、だろう。
ユウくんは、プリンを掬って口に入れ、ゆっくりと味わい嚥下する。お皿とスプーンが、カチャン、と優しい音を奏でた。
「マシュマロ好きな、俺の妹」
とろん、とした笑み。
瞬間、私の頭の中で、妄想が広がった。カチャカチャと音を立てながら、ピースがはまっていく。
それが事実かはさておいて、想像しうる今とは――。
どうして、あの日のクマにまた会いたいと思ったんだろう。
どうして、レモネードスタンドをしていたんだろう。
振り返ればなぜ、転校してしまったんだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます