第7話


 ぼーっと突っ立っていると、奥からおばあちゃんが出てきた。エプロン姿がお似合いだ。彼女はこの店の店主か店員なのだろう。

「あら、えっと、ええっと……」

 おばあちゃんは、眉間をツンツンつつきながら、考え込む。

「アッ! 思い出した! 佐々木さんとこのユウちゃんでしょ!」

「せーかい。ユウだよ。久しぶり。俺、もう大人だからさ、ちゃん付けはほら……むず痒いんだけど」

「そんなこと言ってぇ。あたしにとっては、あなたは永遠に可愛い子なのよ。それで、彼女連れてきたの?」

「ああ、いやぁ……」

 ユウくんが、視線で助けを求めてる。助けを求めずに「違います」って言えばいいだけのように思うけれど、違うのだろうか。

 瞬間的に、ユウくんの気配の理由を考えて、自己中心的な結論に至って、そこから抜け出せなくなって、私は頬を熱くする。

「ふふふ。まぁ、細かいことは聞かないことにするわ。ほらほら、どうぞ中へ。メニューを持ってこようね」

「はーい」

 店内は、空いていた。

 どこに座ってと指示されるでもなかったから、どこに座ってもいいってことなのだろう。ユウくんがすたすたと奥へ進むから、私はただついていった。きっと、お気に入りの席があるんだろうと思って。

「やっぱりここなんだね。はい、メニュー」

「ありがとう。どうせだったら、思い出の場所でって思ってさ」

 席選びの予想、的中だ。

 ふたりは懐かしい話を咲かせ始めた。私は、おばあちゃんから受け取ったメニューに視線を落とす。ふたりの会話の、邪魔にならないようにって。

「あ、ユウちゃんにはメニュー、要らなかったか。ユウちゃんはオレンジジュースだもんね」

「もう。あれから何年経ったと思ってるのさ。俺はホットコーヒー、ブラックで! 砂糖もミルクも要りません!」

「あらあら、強がっちゃって」

「強がってないし」

「まぁ、お砂糖はテーブルの上にあるからね。苦くて飲めなかったら、好きなだけ入れるんだよ?」

「だーかーらー」

 おばあちゃんが、クスクスと笑う。血が繋がってる家族のような、隔たりのなさだ。

「それで、ええっと……」

 油断していた。おばあちゃんの柔らかい眼差しが、私に向いた。

「えっと?」

「お名前、聞いてもいいかしら」

「あ、ああ……。サキです」

「サキちゃんか。いい名前だね」

「あ、ありがとうございます」

「それで……。サキちゃんは、何にする?」


 おばあちゃんは、カウンターの向こうまでゆっくりと歩く。ただ歩いているだけのようだけれど、弾んでいるようにも見えるから不思議だ。

 おばあちゃんの一挙手一投足を、そうしようと約束したわけでもないのに、ふたりして目で追う。

 コーヒーを淹れる準備をして、ニコニコしながらグラスを出して。

 カラン、カランと氷がぶつかる音が、遠く、小さく聞こえる。

 ゆっくりと、弾むように、カラン、カランという音が近づいてくる。

「お待たせ。ホットコーヒーと、オレンジジュースね」

「おばあちゃん、逆だよ。俺がコーヒー」

「あ、そうだった」

「もー。ふざけないでよ」

「ごめんごめん。つい、ね。それじゃ、ごゆっくり」

 にっこりと笑いながら、ぺこりと頭を下げて、らんらんと歩き出す。ふんふんと、鼻歌を歌ってるみたい。おばあちゃんは今、とってもご機嫌だ。

「ねぇ、ユウくん」

「んー?」

「あの、ちょっと気になったんだけど」

 私が気になったこと。それは、わりと失礼なこと。だけど、どうにも気になること。

「なに?」

「最後にここにきたのって、いつ? ほら、転校する頃とかだったら、結構昔だから、そのぅ……。その頃も〝おばあちゃん〟って、なんだかしっくりこないっていうか」

 ユウくんは、コーヒーを一口含んで、ほんの少し顔を歪めた。あのコーヒー、かなり苦いみたいだ。

「ああ。おばあちゃんは、出会った頃にはもうおばあちゃんだったから」

「いや、だから」

「いや、だから、本当におばあちゃんだったの。俺のじゃないよ? って言う必要はないと思ってるけど……。あのおばあちゃん、二十歳くらいで産んだって言ってたかな? それで、その子が十九とかで――」

「え……え?」

 わかるようで、わからない。

 自分の頭の上には、きっとクエスチョンマークが浮かんでいるんじゃないだろうか。と、いうか、私には見える。ぷかぷか浮かんで、ゆらゆら揺れてるクエスチョンマークが、見える。

「で、おばあちゃんの子どもの子どもがハルっていうんだけど、そいつが幼稚園一緒でさ」

「あれ? 小学校は?」

「俺、違う学区にある幼稚園に行ってたんだ」

「あー、なるほど」

「で、そいつは時々、おばあちゃんのところに遊びにきて」

「その時ここに来ると会える……」

「そう。そういうこと。それで、ハルが『おばあちゃん』っていうから、俺もなんとなく、『おばあちゃん』って呼ぶようになったんだ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る