第4話


 レモネードをちびり、ちびりと飲みながら、私はきた道を戻り始めた。

 賑わいは、熱を放つ。

 きた時よりも、花びらが開いているような気がした。

 賑わいが、花を笑わせている。

 自分がそれを手にしたからだろう、道ゆく人の手にレモネードがあることが気になった。

 他にもたくさんの飲み物が売られているというのに、それでもこれを選び取った人が、こんなにもたくさんいるのか。

 賑わいとはほんの少し温度差があった気がした私の心に、無償の愛が流れ込む。この世界には、優しさが溢れている。素直にそう思う。

「あ、あの! ……あの、すみません!」

 はじめ、それが私に向けられたものだと、私は気づけなかった。追いかけられて、声と荒い息が近づいて、ようやく自分に向けられているものであると気づいた。

「えっと……?」

 落とし物でもしただろうか、と、返事をしながら荷物を確認する。カバンは閉じている。ポケットを叩く。問題ない。そのほかは?

 その人は、紺色のジャンパーを着て、手にはプラカードを持っていた。ああ、さっきの人かもしれない。さっきすれ違った人。奥でレモネード売ってるって言ってた人。

 きちんと顔を見なかったから、本当にそうかはわからないけれど。

 私は、『ああ、ご丁寧にレモネードのお礼を言いにきてくれたのか』と、呑気に思った。だから、お礼の言葉だけを、待った。

「あの、間違いだったら申し訳ないんですけど……。サキさん、ですか?」

「……はい?」

「ああ、いや。前に、って言っても、小学生の頃なんですけど。一緒の学校だった子に、よく似ていたものだから。私、佐々木ユウです」

 ビュウ、と風が吹く。ハラハラと、花びらが舞う。

「ごめんなさい、人違い、ですね。本当にすみません。あ、レモネード、ありがとうございます」

 ユウくんは、照れくさそうに頭をかきながら、ペコペコとお辞儀した。くるりと背を向けて、歩き出そうとした。

「待って。あってる、かもしれない。私、サキ。昔、ユウくんにバレンタインの時、マシュマロあげた。それで、ユウくんから、クッキーと、小さいクマのぬいぐるみをもらった。そのサキであってるなら……」

 共有しているだろう思い出を、戸惑いながら口にした。

 ユウくんは、私の言葉を聞きながら、くしゃっと笑って、ぽろっと泣いた。


 お祭りも、レモネードスタンドも、まだ終わらない。

 だから私たちは、連絡先を交換した。また、繋がれるようにって。

 私から、いつ、なんて言ったらいいのかわからなくて、だから無言を貫いた。夜になって、レモネードが入っていたけれど、今は空っぽのボトルと睨めっこしていたら、ブゥ、とスマホが震えた。

 ユウくんからの、メッセージだった。

 レモネード買ってくれてありがとうとか、また会えて嬉しかったとか、そういう飾り気のない言葉が連なっていた。

 長い間会っていなかったっていうのに、なんで私のことがわかったんだろう。そう、不思議に思って、私は訊いた。

 そうしたらユウくんは、

 ――サキの目も鼻も口も耳も、とっても印象に残ってたから

 って応えた。その文字は、なぜだか照れ笑っているように見えた。

 ――ところで、俺からも訊きたいことがあるんだけど

 ――なに?

 ――その、ホワイトデーの時のクマ、まだ持ってる?

 ――うん。あるよ。写真、撮って見せようか?

 ――マジ? お願いしていい?

 ――ちょっと待ってね。しまってあるところはわかってるんだけど、奥だから

 ――わかった。待ってる。

 私は急いでプラスチックケースを引っ張り出そうとした。

 年末の掃除の時、それに触れた。だから、すぐに手が届くと思った。

 でも、私は何度も空振りをした。思い出を捨てることがなかなかできないけれど、見た目上〝なんとなく綺麗でありたい〟なんて思った過去の自分が選んだ、同じ色形のプラスチックケース。中に何が入っているかわかるように、シールでも貼っておけばよかった。ユウくんを待たせてる。早くしなくちゃ。

 ようやく見つけた、思い出の缶。数ヶ月前、長い長い封印の時を経て、それを開けたからだろう。今もわずかな引っ掛かりを感じるけれど、もう強い力など必要なく、それは恥ずかしげに開く。

 また、爽やかで甘酸っぱい記憶が、私を包む。

 テンションが高いメモを抜き取って、クマにちょっと可愛く座ってもらう。カメラを起動し、写真を撮った。

 誰か、友だちと何かを共有するときは、ちょっと影があるとか、そういうことを気にしない。でも、ユウくんに送る、と思ったら、光の具合やら、いろんなことが気になってしかたなかった。待たせてるってわかっているのに、私的に理想的な写真を追い求めてしまう。

 ユウくんは、催促することなく、じっと待ってくれてる。

 あーでもない、こうでもないと呟きながら、部屋の中を駆け回る。クローゼットから、もこもこの上着を取ってきて、その上に缶とクマをのせてみる。ああ、これが今日イチでいいかも。ああ、だけど、やっぱり缶の錆びが気になる。

 悩んだ。

 写真を加工したら錆びを隠せるんじゃないかとか、そんなことを考えた。けれど、いつか実物を見せてと言われたら、どうなるだろう。そのとき、「実は錆びさせちゃいました」って頭を下げるのか? 缶なんて、大事にしていても錆びるものなんじゃないか? っていうか、干支が軽くひと回りするほど昔の缶に、錆びひとつなかったら。それはそれとて、気持ち悪くないだろうか。

 まるで、ずっと想っていたみたいじゃないか。

 それは秘密で、事実だ。そして、缶を封印して、錆びさせたのも、また。

 決めた。

 もこもこの上にのせて撮った写真を、えいやー、と送信した。送ってしまえば、後戻りはできない。スマホ上のやり取りだって、会話と変わらない。手放したものを、無かったことになんてできない。

 画面と、睨めっこをした。

 なかなか、既読のマークはつかない。

 待たせすぎたからな。自分がもっと、モノを大切にできる片付け上手だったら、こんなに待たせることなんてなかった。物を捨てると運気が良くなるっていうのは、本当なんだと思う。物を捨てなかったから、私は今、悔やみと共にあるのだと思う。

 あーあ、とため息をついて、もこもこに顔を埋めた。

 大事にする過去を選ぼうって。

 この缶とか、そういう〝宝物〟だけはちゃんと抱きしめていようって。

 なんとなくしがみついちゃってる過去とはお別れしようって、私はぐるぐる考えた。



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