ep8 条件

「あの夜……弱くて子どもで、架月のところに行けなかった自分を今でも毎晩後悔してる」

顔を覆って泣きながら言う。

「架月の孤独に気づいてあげられなかったこと……そういう架月から、逃げたこと……」

涙が次から次へ流れてくる。

「行けなかった? あの夜志月を、自分が楽しい方を選んだだけだろ?」

架月の声は、冷たい。

「選んでないよ……」

「……」

「……行ってない、志月の方にも。架月だけ一人にするなんてできるわけない」

架月が言ってたみたいに、誰にでも良い顔してるのかもしれない。だけど、架月以外を選ぶなんてこともできなかった。

「……嫌われるだけのことをしたって、わかってる。だけど、あの時から本当にずっと後悔してる」

架月が誰かといるのを見るたびに思っていたこと。

「もう、架月の〝特別〟には戻れないんだって」

「え……?」

「このベッドで架月がいつも女の子に触れてるのだって、屋上で誰かとキスしてるのだって、苦しくて苦しくてたまらなかった。〝そこは私の場所なのに〟って……する資格もない嫉妬を、ずっとしてる」

架月を傷つけておきながら、自分勝手で醜い感情。

「……架月、夜よく眠れないんでしょ?」

だから学校で寝てる。

架月はきっとずっとあの夜にいる。

「……私もずっと、眠れないの」

「陽波……」

私の顔を覆っていた手を、架月がつかんで顔から避ける。

「俺が……追いつめたのか」

「違うよ……」

「……でも」

架月とこんな風に目を合わせるのはいつ振りだろう。

架月の指が、私の涙を拭うように頬を滑る。


「それからどうする気だよ」


またドアの方から声がして、ギクッとしてしまう。

「どけよ架月。陽波から離れろ」

志月の声も怒りに満ちている。

「あ、ち、ちがうの志月! 私が勝手に部屋に入っ……」

急いで身体を起こしながら言ってはみたものの、架月の部屋に勝手に入った理由なんて説明できない。

だいたい志月はいつから……どこから聞いてたんだろう。


——『〝そこは私の場所なのに〟って……する資格もない嫉妬を、ずっとしてる』


「いらねえって言ってるのにしつこくノートなんか押し付けてくるから脅かしただけだよ」

架月は冷静に言うと、ため息をつきながら私から離れた。

それから部屋を出て行こうとして志月とすれ違う。

「わかってるよな? 陽波が今は俺の彼女だって」

架月は何も言わずに出て行ってしまった。

「あ、あの、おかえりなさい……」

乱れていた服装を整えて、志月の方へ行く。

その瞬間、志月が私をキツく抱きしめる。

「陽波は俺の彼女だよ」

「……うん」

今度は志月を傷つけるところだったんだって気づいて、心臓がギュ……ってきしむ。

だけど架月が触れた頬が、そこだけ熱い……。


次の日の朝、教室。

「……おはよ」

「お、おはよう……」

架月と目が合って、高校生になって初めてあいさつを交わした。

それから一週間、架月は毎日学校に来て、毎日私の隣の席で眠たそうに授業を受けた。


金曜の夜。

知らない番号からの着信でスマホが震える。

もう二十時を回っていて、家族と友だち以外からの着信なんて無い時間だ。

「はい……?」

『陽波?』

耳元に響く声にドキッとする。

『番号変わってないんだな、良かった』

志月に似てるけど、少しだけ低い声。

「……どうしたの?」

『突然悪い。……あのさ陽波、今出てこれないか?』

「え……」

『この前の続き。話がしたい』

志月の顔が脳裏に浮かぶ。

『河川敷で待ってる』

「行けないよ」

『待ってるから』

一方的に電話を切られてしまった。

私の頭の中には、志月のせつなげな顔と……あの頃の、さみしそうな架月の顔が浮かんでる。


十分後。

家の近くの河川敷には遊歩道があって、そこにはベンチがある。昔はよくここに座って架月といろんな話をした。

「悪い、呼び出して」

「あんな風に電話切って、強引だよ」

「ごめん。とりあえず座ってくんない?」

ベンチに座ったパーカー姿の架月が、自分の隣の席をポンと叩く。

「すぐ帰るから。コンビニに行くって言ってきちゃったし」

「そっか」

架月は小さくため息をついた。

それから立ち上がって、頭を下げた。

「え……」

「陽波……今までごめん」

まさか架月に謝られるなんて思わなかった。

「ひどいこと言って、ひどいことして……傷つけて、ごめん」

架月の言葉に、何度も首を横に振る。

「傷つけたのは私だもん……謝らないで」

「違うよ。俺がガキで弱かったから、陽波を追いつめて、陽波を傷つけた」

「違う……違うよ……」

何をどう言葉にしたらいいのかわからなくて、ノドの奥が熱くなって涙がこぼれる。

こんな表情の架月が目の前にいるなんて、信じられない。

そんな風に思っていたら、架月に腕を引っ張られて抱き寄せられた。

あの頃より大きな胸に抱きしめられる。

「かづ——」

「俺、陽波とやり直したい」

耳元で言われて、心臓が耳についてるんじゃないかっていうくらい、速くて大きな鼓動の音が響く。

だけど……

「ダメだよ」

唇をグッと結んで、大きな身体をグイッと押す。

「私はもう、志月の彼女だもん。それを言うためにここに来たの」

「……そうだよな」

残念そうな架月の声に胸がキュッて鳴いてしまう。

だけど、志月を傷つけたらダメ。

「じゃあ私帰るから。おやすみ」

身体をくるっと帰り道の方に向ける。

「ヒナ」

心臓が大きく跳ねて、思わず振り返る。

「俺、三日月を見るたびに今でもヒナのこと思い出すよ」

今夜も空には三日月。


——『〝ヒナミ〟の〝ミ〟は架月にあげる。そしたらほら、〝ミカヅキ〟』


「ヒナは?」

うつむいて、首を横に振る。

「思い出さないよ、全然。……その呼び方ズルい、もう呼ばないで。じゃあね!」

そう言って、今度は振り返らずに早足で家に向かった。

帰り道、また涙が止まらなくて必死にぬぐう。


—— 『うれしい。三日月見るたびにヒナが俺のこと思い出すと思うと』


思い出さないわけ、ない……。



週が明けた月曜日。

朝、席で星良と話していたら、教室の入り口の方からどよめくような声が聞こえる。

「なんだろう」ってそっちに目を向けたら、心臓が飛び出しそうになった。

だって、髪を切った架月が立ってたから。制服だっていつもよりきちんと着てる。

「なんだよ架月、イメチェンかよ」

「似合う〜」

興味津々なクラスメイトを無視して、架月は私の隣の席に荷物を置く。

「おはよ」

「お、おはよう」

鼓動が落ち着かない。

「魔王どうしたの!?」

「え、えっと……」

星良の質問に困っていたら、いつの間にか架月の姿が消えていた。

それと同時に、今度は隣のクラスの方からザワザワって声が聞こえてくる。

隣は志月のクラス。架月がそっちに行ったんだってすぐにわかった。

なんだか嫌な予感がして隣のクラスへ向かうと、架月が席に座った志月を見下ろすように立っていた。

「誰かと思った。なんかひさびさに双子って感じがするな」

志月が冷静に、だけど皮肉っぽく笑って言った。

「で? 朝からどうしたんだよ」

「ヒナ、返してくんない?」

架月の言葉にドキッとする。

「陽波はモノじゃないだろ?」

志月の発言で、入り口のそばに立っている私に視線が集まる。

「モノじゃないけど、ヒナは俺のだから」

「散々傷つけておいて、今さらだろ」

「もう傷つけない」

「架月は本当に勝手だな」

二人の会話に、息がグッて苦しくなる。

まわりは冷やかすみたいにキャーキャー言いながらこっちを見てくる。

「もちろんタダでとは言わない」

「何だよ、またバスケでもするのか?」

「今度の期末で俺がトップになったら、ヒナを返してもらう」

七月にある学期末試験。勉強の試験なんて、いつも志月が満点近い点でトップを取ってる。

「そんな不利な条件でいいのか?」

「そのくらいの条件じゃないとケジメがつかない」

志月がため息をつく。

「俺は構わないけど、決めるのは俺じゃない」

そう言って、今度は二人の視線がこちらに向けられた。

「どうする? 陽波」

この勝負はこの前のバスケ以上に結果が見えてる。

ほぼ100パーセント、志月が勝つ。

それで架月があきらめてくれるなら、志月を傷つけずに済むなら。

「それでいい。試験でトップ取った方と付き合うよ」

私が言った瞬間、教室が揺れるんじゃないかってくらいの歓声や雄叫びが上がって、一瞬にしてお祭り騒ぎになってしまった。

自分の席に戻っても、架月と隣同士だからみんなの視線が集中してる。

「勝てない勝負なんか挑んで……何考えてるの」

「勝つよ。俺にはヒナのノートがあるから」

志月を応援してるはずなのに、思いがけないそのひと言で目が潤んでしまった。

「……ヒナって呼ばないでって、言ったでしょ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る