ep3 特別

あれから数日。

屋上の鍵が閉まっているからか、架月は自分の席で寝ている時間が増えていた。

寝てたって出席にはなるから、私は少しだけホッとしてた。

だけど今日はまた、二時間目の時点で架月の姿が無い。

嫌な予感がして休み時間に屋上に向かう。

階段をのぼってドアノブに手をかける。

クルッとなめらかに回転して、鍵が開いていることを知らせる。

だけど屋上の鍵は今、志月が持っているはず。

生徒会の顧問の先生とも相談して、学校にいる間は志月が鍵を持っていることになった。昼休みに彼が開けて、終われば閉める。そして下校の時に職員室に返している。

志月が閉め忘れるなんて考えられないし、ましてや誰かのために開けるなんてこともしないはず。

そっとドアを開ける。

「いつまでもこんなとこでサボってていいんスか?」

やっぱり。架月は屋上にいた。

誰かと話してる?

「あら、随分じゃない? 誰が開けてあげたと思ってるの?」

この声……。

そーっと、いつも架月が寝ている場所の方へ視線をやる。

屋上の柵にもたれかかって、気怠げな架月の背中、と……

「架月のためだから開けてあげたのよ? お礼くらいしてくれてもいいんじゃないかしら?」

そう言って架月に身体を寄せたロングヘアのシルエットは……数学の陰山先生。男子に人気のある若くて美人な先生。彼女がスペアの鍵で屋上を開けたの?

「礼って、たとえば?」

「わかってるくせに」

先生の方から架月のネクタイをグイッと引っ張って……そのまま……キス。

「……ふっ」

先生の吐息が漏れるような声が聞こえる。

「……んっ……」

架月は全然拒否なんかしない。楽しんでるみたいに彼の方からキスを繰り返してる。

目の前の光景に心臓が嫌な音も鳴らさないくらいスーッて冷えていく。


「のぞき見とは、いい趣味してるな」


突然、架月の視線と声がこちらに向けられてハッとする。

「きゃっ」

その言葉で初めて私に気づいた先生が、驚いた声を上げた。

だけど私はこんな光景、もう何度も見ている。

「屋上は立ち入り禁止だよ。しかもこんな……先生となんて、最低」

「そんなこと言うわりに、ジッと見てたみたいだけどな。もしかして欲求不満?」

架月は多分、私が屋上に来た時点で気づいてたんだ。

「見たいんだったらもっと見せてやろうか?」

先生の後ろから口元に手を添えたまま、怖いぐらい冷たい声色と笑顔で言われる。

私は二人をキッとにらむ。

「か、陰山先生も、生徒に手を出すんなんて最低です。生徒会長として見過ごすわけには——」

そこまで言ったところで、先生が「はぁっ」って、まるであきれているみたいなため息をつく。

「渡加さん、子どもみたいなこと言わないでくれない?」

「え……」

「こんなの遊びだってお互い割り切ってるんだから、教師だとか生徒だとか、関係ないのよ」

あまりにも非常識な発言にびっくりしてしまった。

「そんなのって——」

「渡加さん、大学は推薦狙いじゃなかった?」

「え?」

「あんまり先生を困らせるようなこと、言わない方がいいんじゃない?」

陰山先生は私たちのクラスの数学の担当だ。来年はどうかわからないけど、少なくとも今年の私の成績を決める権利がある。つまり……

「脅すんですか? 生徒を……」

生まれて初めて感じる軽蔑ってやつと大人の悪意に対する恐怖で、声が震える。

「脅すなんて人聞きの悪いこと言わないでくれる? 先生として、アドバイスしてあげてるだけよ」

言い返せないのが悔しくて、こぶしをギュッと握る。その手も怒りで震えてしまう。こんなのバカげてるけど、私には逆らう力がない。

言葉が出なくてしばらくシン……とする。

先生が勝ち誇ったように笑ってる。


「あーあ」


沈黙を破ったのは架月だった。

「ダサいよ、センセ」

先生を抱いていた腕を離す。

「え?」

ため息まじりの架月の発言に、先生がキョトンとしてる。

「教師が生徒脅しちゃダメでしょ。冷めるわ」

「ちょっと架月、なんなの?」

「言葉のまんま。あんたダサいよ」

架月が冷めた顔で「クスッ」って笑う。

「こいつに余計なことしたら、俺の優しい〝パパ〟にチクるよ。〝セクハラ教師〟って」

少しふざけたような言い方で、ニヤリと笑って告げる。

「なによ! あなたの出席日数だって私が——」

「俺のことまで脅す気かよ。あんた自分の立場わかってる? 教え子に手ぇ出すなんて、親父の逆鱗に触れるだろうなー」

架月の冷たい低い声が、さらに一段冷え込む。

「なっ……」

先生が〝信じらんない〟って顔で焦ってる。

「どこか遠く離れた学校に飛ばしちゃうかも。いや、教師失格だからもしかしてクビ?」

おどけたように笑ってるのに、背筋がゾクっとするほど冷酷な怖い顔。

「最低……」

先生は、青ざめた顔で屋上から出て行った。

「最低なのはテメーだろ、セクハラ教師」

〝バタン〟と閉まったドアに向かって吐き捨てるようにつぶやいて舌を出した。

「あ、ありが——」

助けられたことにお礼を言いかけて、〝原因を作ったのも架月だ〟って気づいて言葉を飲み込む。

「お前もさっさと行けよ。授業始まんだろ?」

「架月も行くんだよ」

「あ?」

たったの一文字で、架月の機嫌がまた悪くなったのがわかる。

「それに鍵、持ってるんでしょ? 出して」

「本気でうぜえな。これは俺が手に入れたんだから、お前には関係ないんだよ」

「そ、そんなわけないじゃない……」

迫力のある高い身長にひるみそうになる。

「お前さあ、この状況わかってんの?」

「え……じ、状況って」

架月がにじり寄って来て、気づいたらドアのところに追いつめられていた。彼の影が私に被って、光った瞳だけが目に入る。

「俺今、ヤリ損ねて気が立ってんだよ」

「そんなこと学校で……最低だよ」

焦る私に、架月の口元がニヤッと上がったのがわかった。

「最低? 俺が?」

心臓がドクンと鳴る。

「ひとのこと心配するフリして、誰にでもいい顔してるやつよりマシだろ?」

「かづ——」

「お前ってさ、まさか自分は〝特別〟とでも思ってるわけ?」

架月の手が、スカートに触れる。

「や……っ! 架月、やめて」

やめてくれる気配なんて全然ない。スカートの下の肌に彼の指の温度を感じる。

「ヤれなかった責任とれよ」

首筋に口づけられて、耳元で笑いながらささやかれる。

「ちょ、こういう冗談は……」

私のネクタイをゆるめようと指がかけられる。


——『ヒナが一番だから。特別』


「やめて!」

力を込めて、グイッと架月の身体を押し退ける。心臓がバクバクするのと同じくらい、呼吸も乱れて荒くなってる。

「こんなの……ひどいよ」

目に涙がにじみ始めた私に、架月が舌打ちする。

「ならもう放っとけよ」

架月が私を見る。

「これ以上うぜえことするなら、次はマジでやめねーから」

冷めた目が、〝お前なんか特別じゃない〟〝他の女と変わらない〟って言ってる。

息が苦しくなって、胸が痛くなって……架月の視線から逃げるみたいに屋上から出ていくことしかできなかった。

教室に戻るまでに止まるように、ブラウスの袖で必死に涙をぬぐった。



『あれ? 架月、今日部活は?』

『サボった』

『え? 大丈夫なの?』

秋の終わりの学校帰り、中一の私が不安になって聞く。

『だってヒナ、今日一人で留守番なんでしょ?』

『うん』

『心配だから俺が一緒にいるよ』

架月がニコッて笑う。

『でも、もうすぐ試合って……』

『ヒナの方が大事』

そう言って、架月がつないだ手に力を込める。

『でも部活……いつもがんばってるのに』

架月はバスケ部の一年生で一人だけ試合にも出られるくらいバスケが上手かった。

申し訳なくなって、架月を見上げる。

『俺にとってはヒナが一番だから。特別』

架月が、くもりの無い笑顔を私にだけくれる。



その日も、放課後は志月の部屋にいた。

架月は帰ってきていないようで、思わずホッとしてしまう。

「陽波、ここの訳ちょっと違ってる」

「……」

「陽波?」

「えっ! あ、なんだっけ」

志月に呼ばれてハッとする。

「何かあった?」

「……え?」

「なんか今日、うわの空」

「えーっと……」

どう答えたらいいのかわからない。

「架月?」

志月のことはごまかせなくて、観念してうなずく。

「今日、架月……また屋上でサボってて」

「え? 鍵は俺が持ってたのに?」

「陰山先生に開けてもらってた……」

その言葉と私の表情で、志月は状況を察したようにため息をついた。

「他にも何かあった?」

志月って本当に察しが良くて、ちょっと困る。だけど……

「それだけ。鍵は渡してもらえなかった」

架月との間にあったことは言えない。

「……もう前みたいな架月には戻らないのかな」

冷たい目を思い出しながら、思わずつぶやいてしまった。


また十八時半を回って、帰る時間。

今日はこの家にいる間に架月は帰って来なかった。

友だちと街で遊んでるのかもしれないし、どこかで……女の子と一緒にいるのかもしれない。

胸がチクッと痛む。

——『見たいんだったらもっと見せてやろうか?』

架月の言葉と、先生とのキスシーンを思い出して、頭から追い払うみたいに首をぶんぶん横に振ってしまった。


今日も志月が家まで送ってくれる。

「それで、昇降口のところに猫がいたから星良が捕まえようとして——」

嫌なことを思い出したくなくて、どうでもいいような話ばかりしてしまう。

「陽波」

志月が立ち止まる。

「え、何? どうしたの?」

「本当は、架月と何があった?」

「……え、えっと、べつに大したことは。……いつもみたいに〝うざい〟ってにらまれちゃっただけ」

うつむいて言う。

「陽波が目を合わせないのは、嘘ついてる証拠」

するどい幼なじみは、やっぱりごまかせない。

今日あったことを、できるだけ波風が立たないことを祈りながら志月に話す。

彼は大きく「はあっ」って怒ってるみたいなため息をついた。

「何考えてるんだよあいつ。今夜帰ってきたら俺からキツく言っておくから」

志月の言葉にふるふる首を振る。

「そんなことしなくていい」

「でも陽波、危ない目にあったんだろ? だから今日はずっと落ち込んでるんだよね?」

また、首を振る。

「そんなんじゃないの、そんなの、全然……気にしてない」

気づいたら涙が頬を伝ってた。


「私なんか、架月にとっては本当にもうどうでもいい存在なんだって思って」


〝お前なんか特別じゃない〟


「架月の目が、冷たくて……」


〝他の女と変わらない〟


「わかってたつもりなのに——」


そこまで言ったところでまた、身体が温かい空気に包まれる。志月が抱きしめてくれたんだって、少し遅れて気づく。

「もうやめろよ陽波。架月は陽波のこと傷つけるだけだよ」

心臓がドキドキしてる。私のだけじゃなくて、志月のも。

「今すぐ付き合わなくてもいいって言ったけど——」

志月が私の顔をのぞき込んで、指で涙をぬぐってくれる。

「陽波、俺と付き合お?」

「……」

「大事にするから」

志月はきっと、本当に大事にしてくれる。

彼の瞳は私を優しくとらえる。

「陽波のことは、俺が守るよ」

私はコクッと小さくうなずく。

無言で〝Yes〟って言った私を、志月がギュッと抱きしめる。

それから、大切なものに触れるようなキスをしてくれる。


〝もう、傷つきたくない〟そんな気持ちで心が埋め尽くされてる。


傷つけたのは、私なのに——。

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