ep4 三日月
志月と彼氏彼女になった次の日の朝。
忘れ物をしていつもより遅い電車に乗ったら、すっごく混んでる。
志月の登校時間に合わせればよかった……なんて後悔も浮かぶ。
せっかくだから一緒に学校に行こうかって話したけど、今日は志月が日直で早いから一緒に登校するのは明日からってことにした。
それにしても……まさか志月と付き合うことになるなんて。
昨日のことを思い出して、思わず前に抱えたリュックをギュッて抱きしめる。
そんなふうにユウウツとフワフワした気持ちを行ったり来たりしながら満員電車に揺られていたら、太もものあたりに、なでられるような気持ち悪い感触……。
痴漢に遭うのは初めてじゃない。どうしても声が出せない。怖いし、もしカン違いだったら恥ずかしいって思ってしまう。
それにこの混み方じゃ、今日は移動もできなそう。
学校の最寄駅までの数分間……嫌だけど我慢するしかない。
リュックをまた抱きしめて、唇をグッて結ぶ。
だけどやっぱり気持ち悪いし……怖い。
「やめろよ」
触られている感触が無くなったのと同時に、高い位置からの聞き慣れた声。
振り向いて斜め後ろを見ると、架月が片耳のイヤホンを外しながら私の後ろの男の人の手首をつかんでいた。
「な、なんだよ、離せよ」
三十代くらいのサラリーマンみたいなその人は、すごく焦った顔と声をしている。
「しらばっくれんなよ。こいつのこと触ってただろ?」
「なっ……! ぬ、濡れ衣だ!」
往生際の悪さに架月が舌打ちする。
「腕、折ってやろーか?」
「どこに証拠が」
「陽波、こいつに触られてたよな?」
架月が怒りと呆れの交じった顔でこっちを見る。
「え……えっと、多分」
後ろだったから私からは全然見えなかった。
「多分だろ? 俺が痴漢だなんて証拠がどこに——」
せっかく架月が助けてくれたのに……。
「あ、あのぉ……」
私たち三人がもめていると、近くから声がした。
「わ、私も見ました。その人がその子のこと触ってるところ。それに、私も……さ、触られました」
犯人らしき人のそばに立っていた二十代くらいの女の人が証言してくれた。
「逃げんなよ?」
架月が青くなっている男を見下ろして、またいつもの冷たい顔で笑った。
それから駅に着くと、私たちは駅員さんに犯人を引き渡した。さっきの女性がその場に残ってくれたから、簡単な事情聴取だけで学校に向かう。
よりによって今日、架月に助けられて、架月と一緒に登校することになるなんて。
「助けてくれてありがとう」
今日は本当に助けてもらったから、はっきりお礼を言う。
だけどよく考えたら昨日もっとひどいことをした張本人だと思うと、なんだかお礼がおかしい気もする。
「べつに」
「前にもあったよね、こういうこと……」
助けて貰うのは二度目。
「覚えてない」
すっかりいつも通りの架月。どんどん前を歩いてこっちを見てもくれない。
昨日のことも本当になんとも思ってないんだろうな。
また変わってしまった彼を感じて、歩きながら小さくため息をついてしまう。
「架月」
長い脚の歩幅に、早歩きになりながらついていく。
「あのね…… 私」
なんとなく言いにくくて、小さく息を飲む。
「志月と付き合うことになったの」
「……へえ」
全然、表情が見えない。
「よっぽどこの顔が好きなんだな」
また、バカにしたように吐き捨てる。
「そんなんじゃないよ」
嫌な言い方をされて、ついムッとしてしまう。
双子だけど、架月と志月は全然違う。
「志月は……架月みたいに冷たい目、してないもん」
私がそう言うと、架月は立ち止まってこっちを見た。
「し、志月の目は優しいから。架月と志月は……双子だけど全然似てない」
「ならマジで俺なんかにかまってないで〝優しい志月くん〟に守ってもらえよ」
架月はクルッと向きを変えて、さっさと歩いて行ってしまった。
「……さっき」
一人になって、ポツリと口にする。
——『陽波、こいつに触られてたよな?』
どれくらい振りかわからない、架月が口にした私の名前。
〝お前〟じゃなかった。
……だけど〝ヒナ〟でもなかった。
「ふぅ」ってため息をつく。
私はもう志月の彼女なんだから、こんなことで胸を騒つかせていたらいけない。
なのに心臓がフクザツな音を鳴らして、落ち着くまでには時間がかかりそう。
◆
『架月見て、もう月が出てる』
夕暮れの空に三日月が見えて指をさす。
『三日月だから、架月の月だね』
『え、なんで?』
不思議そうな顔の架月を見て「ふふ」って笑う。
『架月は私を〝ヒナ〟って呼ぶでしょ? だから〝ヒナミ〟の〝ミ〟は架月にあげる。そしたらほら、〝ミカヅキ〟』
『なにそれ』
架月が笑うから、ちょっと照れくさい。
『でもうれしい。三日月見るたびにヒナが俺のこと思い出すと思うと』
そう言って、いつもみたいにギューッて抱きしめてくれる。
◇
昼休み。
一緒にお昼を食べようと志月が私を迎えに来て、教室にいた女子たちがざわざわする。星良には志月と付き合うことになったって言ってあるから、私の横でニヤニヤしてる。
「そっか、大変だったな」
中庭のベンチに座って、今朝のできごとを志月に話す。
私はお弁当、志月はコンビニのパンを食べてる。
「うん。でもすぐに架月が助けてくれたから」
「すぐ、か」
志月がつぶやいた。
「俺が助けたかった」
そして悔しそうな不機嫌な表情になる。
「めずらしい、志月のそういう顔」
「目つき悪かった?」
志月の質問にうなずく。
「こういう顔すると、あいつに似るだろ? だからあんまりしないようにしてる」
双子なんだから、似てるのは当たり前だけど……
「……似てないよ、全然。志月の顔は優しいもん」
私にとっては全然違う二人。
「明日は一緒に登校できるから」
「うん」
志月が頭をなでて、笑ってくれる。
「付き合ってくれって言ってよかった」
「え?」
「陽波に触れられて、笑顔も独占できるから」
どこか熱っぽいような目で見つめられて、ドキッとする。
「そんなこと言えちゃうなんて、志月って同い年じゃないみたい……」
耳も頬も熱くなってる。
「いつも言ってるけど、本当に落ち着いてるし大人っぽいよね」
感心しながら言ったら、志月が「フッ」って笑った。
「べつに落ち着いてなんてないよ」
「えー絶対そんなことないよ」
「俺は結構嫉妬深くてガキっぽいんだよ」
志月は眉を下げて、どこか困っているような顔で笑った。その顔さえも大人っぽい。
いつだって静かな空気に包まれている志月が嫉妬するなんて全然想像がつかない。
「嫉妬って、誰に?」
「わからない?」
その言い方で、すぐにピンと来た。
「……もしかして、架月?」
志月が笑ったままうなずく。正直言ってすっごく意外。
「でも志月って勉強は一番だし、スポーツだって得意だし、女子にも人気があるのに」
「ほめすぎ」
志月が笑う。
「だけど架月が本気でやったら、勉強もスポーツもすぐに一番になるんじゃないかな」
「そうかなぁ」
「そうだよ。それに、陽波に人気があったのは架月だし」
そう言った志月にまた見つめられて、言葉を失う。
「俺は陽波が思ってるより、ずっと前から陽波のことが好きだったんだよ。だからずっと架月に嫉妬してた」
「え、えっと……」
志月がまた笑う。
「でも今は、俺の彼女だから」
ずっとこっちを見てる志月に照れくさくなって、無言でコクコクとうなずいた。
多分、顔真っ赤。
全然知らなかった。志月が架月に嫉妬することがあるなんて。
——『ずっと前から陽波のことが好きだったんだよ』
全然、気づかなかった。
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