金創医の役目

「ねぇ、あんた。ねぇ、起きて」


 おれが女の声にたたき起こされたのは、すでに月明かりが照らす、闇夜になったころだった。寝ぼけまなこで目をこすると、目の前には二十歳前後の女がおれの肩をゆすっていた。


「なんだよ。いい気分で眠っていたのに」

「あんた、お医者様の連れと聞いたけど、ほんとなの?」


 いぶかしげな女に、おれは「あー、そうそう」とあいづちを打った。


「起こしてごめんなさいね。あたしは梅野というの。あたしの妹がお産をしているのだけど、みてくれないかしら」

「取り上げババはそばにいないのかい」

「隣村の逆子さかごのお産に行ってしまったの」


 中條様が出産や赤子の医術にくわしいとは到底思えなかった。しかし、目の前で切羽詰せっぱつまっている女を見ていると、おれができることなんて、中條様を叩き起こして、引っ張っていくことしかないだろうという気持ちになってくる。


「わかったよ。おれは旅籠にもぐりこんで、お医者様を連れてくるさ」


 おれは梅野といっしょに着物についたわらを取ると、表に出て、暖簾のれんをくぐった。案の定、夜の番が、眠りこけている。足元を見ながらそろそろと抜き足差し足で進んでいると、弾力のあるものにぶつかった。


「なにをしているのだ」


 聞きなれた声に、視線を上げると、目と鼻の先に中條様が立っていた。さっきぶつかったのは、中條様の胸板のようだ。


「中條様こそ」

「私は薬の材料になる貝殻を探しに行こうとしていたのだ。……そなたのほうこそ、馬小屋で眠るのではなかったか」


 おれはなにも言わずに、ひとまず中條様の腕をつかみ、外へと引っ張った。旅籠の外では、梅野が心配そうに立っていた。しかし、中條様をみると、安心したように眉を寄せる。


「お医者様、あたしの妹がお産をしていて、取り上げババがそばにいないのです。一目みていただけませんか」


 中條様はおれをにらみつけると、梅野に向き合った。


「申し訳ないが、私は戦傷を治す医術しか知らぬ。赤子は見たことがない。行ったところで役に立つとは思えぬ」

「よいのです。見てくだされば。一目見ればなにかできることがあるかもしれません」


 梅野は一歩も引こうとはしない。中條様はあからさまに嫌そうな顔をした。


「中條様、行ってみましょう。きっとできることがあるはずです」


 行きたくなさそうな中條様を無視して、「産小屋の場所はどこ?」と梅野にたずねた。梅野はおれの手を引くと、産小屋に引っ張っていく。おれがつかんだ中條様の手首は若干の反発はありつつも、振りほどかれることなくついてきた。大丈夫、きっと何とかしてくれるはずだ。


 産小屋は浜辺のそばに建っていた。月明りと共に、行灯がともされ、小屋の中をほんのりと照らす。中をのぞくと、息も絶え絶えの少女が今まさに、赤ん坊を産んだところであった。


「多江っ!まだしばらく産まれないと取り上げババは言っていたのに」


 驚きを隠せない梅野が妹の多江にけ寄った。感動の場面であるはずなのに、おれは違和感を覚え、その正体をすぐに察した。


 赤ん坊の声が聞こえない。大きくくことはなくても、生まれたばかりの赤子なら声を発するものだ。それに、やけにぐったりとしていないか。


 おれは、後ろに立つ中條様を見た。


「中條様、赤様が――」

「この者たちは戦で傷を負ったわけでもない。私が手助けする義理もない」


 おれの言葉に被せるようにして、中條様の冷ややかな声がひびく。おれは、ほおが熱くなるのを感じた。


「あんたってやつは!」


 おれは土間から駆け上がる。突然男の成りをした者が上がってきて驚いたのか、ぼんやりしていた少女の顔が引きつった。

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