七日の養生

 おれ以外のだれもが廃屋からいなくなったころ、おれも伝い歩きであれば、動けるようになった。ただ、矢傷が痛むので、長い間動くことはできない。そんな状況も数日経てば変化する。


 動いても痛みが少なく、引きつりが若干残るほどになったのは、ちょうど七日目のことだった。中條様が「そろそろ傷がふさがるころだろう。糸を外すから、うつ伏せになりなさい」と述べたのは昼も差しかかった時だった。おれは内心、心をおどらせながら、うつせになると、着物を軽くはだけた。


 沸とうした湯で清めたはさみで、糸を切った。ぴりりとした痛みが通る。


「ちゃんと閉じているな」


 残りの糸も切られると段々と肌の引きつりはマシになっていった。


 傷だからひきつっているのではなくて、糸が突っ張って引きつっていたのか。


 背中から足にかけて、糸を取り終えると、すこぶるよくなっていった。太ももは動かすと若干引きつりはあるが、走れるかもしれないと望みを持った。


 おれは起き上ると、胸にすばやくさらしを巻き付けた。閉じた傷が開きはしないかと、内心冷汗をかいたが、さらしによって押さえられており、特に不調もない。


「おれも郷に帰るか。……中條様も京へお帰りに?」

「そうだな。そなたの傷が治ったら、そうしようと思っていたところだ」

「でしたら、途中までご一緒しませんか。清州きよす城下であれば、京までの旅路で必要なものはそろいますし、おれも清州から北に向かいますので」


 中條様はしばらく考え込むと、「そうしよう」とうなずいた。尾張国おわりのくにはあまり治安ちあんがよいほうではない。なるべく二人以上で行動するのが得策とくさくである。


 おれたちはすぐに出立した。昼に出立すれば、清州には少なくとも夜には着くだろう。出店でみせは閉まっていても、清州城下で泊まり、翌日の市場でものを買えばよいという算段をもっていた。しかし、おれは見誤っていた。おれはいわば病み上がりなのだ。


 おれが養生していた廃屋は善照寺砦と中島砦の間にあったようだ。そこから半刻(一時間)ほどで着くはずの熱田神宮への道のりも、おれの足には厳しく、結局一刻半(二時間半)もかかってしまった。久々に長い間歩いたが、養生している間に、ふくらはぎや太ももは、やせてしまっていた。息切れもひどい。動いていないと、これほどまでに歩く力が落ちるのかと恐ろしく思う。


 熱田神宮のすぐ南には海があり、港町が栄えていた。戦に行く時は、郷から熱田神宮に急いで向かい、そこからまた中島砦に向かったので、正直なところ、なんとなく「これが海というのか」と思ったものだ。しかし、おれは海を見るのが初めてなのだ。郷から出たこともなく、初陣もこんな遠くまではきたことがない。早馬として走る時も、海の近くまでは来たことがなかった。


 よくよく見れば、青緑色の海は時折、白い波飛沫なみしぶきをたて、大地へと迫る。

 おれは沈みつつあるお天道様を感じながら、砂浜に座り込んだ。やや離れたところに、中條様も座る。


「なぁ、中條様は戦のたびに、おれみたいなやつを救ってきたんでしょう?」

「あぁ、そうだな」

「中條様にとって、金創医はどんなものなのでしょうか?」


 きっと明かさないだろうと思っていたが、中條様は切れ長の目をより細め、口を開いた。


「金創医は戦の医術だ。戦とともに発展してきた。だから、私は戦で死にかけた兵を全員救うことが使命だと思っている」


 強い言葉におれは感心した。


「おれは、走ることしかできなかったからなあ。自分の使命をまっとうできるなんて良いことではありませんか」


 糸を切っただけで、走れる気になっていたが、実際はすぐに走れることはないだろう。体力も落ち、休み休みでなければ動けない。太ももが傷ついたことで、体の軸が途切れているような感覚があった。


「命があるだけ良いだろう。冷たくなってしまえば、大地をふみしめることさえできぬのだから」 


 おれはだまりこくった。


 本当に命があるだけでよいのか? もちろん、命があってこそ、今後の生をまっとうすることができる。しかし、おれはこれまでと同じようには、走れないと言われてしまった。


 走ること、早馬であることはおれの証みたいなものだ。今は生きているけど、おれの早馬としての使命も途絶えてしまった。中條様にとっての腕が使い物にならなくなったと同じなのに、なぜ氏名より命だと断言できるのだろう。


 おれは複雑な気持ちを表に出すこともなく、立ち上がり、浜辺の砂を払った。


「行きましょう。そろそろ日も暮れるから、今日は旅籠はたご(旅館)の馬小屋でも借りましょう」

「私は旅籠に泊まろう」

「そうですか。おれは手持ちの銭がほとんどないので、馬小屋を借ります」


 港町は、活気に満ちていた。海の幸を売る者たちや貝殻でできた飾り物を売る者たちが、夕刻であるにも関わらず、まだ商いを止めようとはしない。


 中條様は手持ちの銭を確認すると、泊まれそうな旅籠を探した。


 旅籠に泊まれるなんて、いいとこの坊ちゃんなんだろう。おれなんて、一生旅籠に泊まるはないだろうに。


 思わずねたみが出そうになって、おれは心の中で首を振った。


 ねたんだところでどうしようもない。それよか、郷に帰った後、なにをして銭を稼ごうかというのが一番心配だ。今まで頼まれてきたつかいっ走りも、今後は頼まれなくなるだろうし。


 こんなことなら、この戦が変だと察した時に、逃げ帰ればよかった。第六感はとても大切なはずなのに、いつの間にか、なめくさっていたみたいだ。


 中條様は旅籠を決めたようで、暖簾のれんをくぐり、中に入っていった。おれは暖簾の下から頭をひょっこり出すと、入り口近くにいた番頭ばんとう(使用人の頭)に声をかけた。


「番頭さん。おれはさっき入っていったお医者様の連れなんだけど、一晩泊まるのに馬小屋を貸してくれませんかねえ」


 番頭は顔をしかめるが、拒むことはせず、「馬小屋は裏手だ」と教えてくれた。


「ありがとうございまする」


 教えてもらった通りに裏手に回るとすぐに馬小屋を見つけた。数匹の馬がつながれ、わらを食べている。


「一晩よろしくなあ」


 おれは馬それぞれに声をかけながら、きれいなわらが積まれているところに横たわった。馬の糞尿ふんにょうのすえた臭いとともに、海からいその香りもただよってくるので、なんとも言えない臭いだ。だが、数週間も水浴びしていないおれも、きっととんでもない臭いがすると思うと、馬の方が可哀想に思えてきた。


 わらはふかふかしていて、よく眠れそうだ。おれは疲れも相まって、うとうとと眠りに身をゆだねた。

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