戦の勝敗

 聞いたことのない言葉が出てきた。キンソウイとはなんだ。不審ふしんな表情をとらえたためか、志郎が長々と説く。


「キンソウイとは、戦場で傷ついた者たちの刀傷を治す役目を持つ医者のことだ。『金』かなものの『きず』の『医』者と書く。そなたの矢傷も、気がもうろうとしている間にすでに終わらせた。背に深く刺さっておらずよかったな」


 “医者”であるならば、おれたち民草よりもはるかに格の違うお方だ。しかし、無礼な言葉をつかったが、中條様はまったく気にする様子もない。


 傷の話をされて、おれははたと思い出した。痛みが強い、背中の矢傷ばかり気にしていたが、先程から、左の太ももがまったく動かず、痛みもない。力を入れても、びくともしなかった。背の傷が引きつり、痛みが増すため、足を確認することもできない。


 悪い想像をしてしまい、心臓が早鐘はやがねを打ち出した。


「……中條様。つかぬことをお聞きしますが、おれの足はどうなってしまったんでしょうか」

「今は薬でしびれさせているだけだ。しばらくすれば痛みも落ち着いて、動かせるようになろう」

「動かせるようになるならば、また走れるようになるということですか? おれは早馬だから殿様にお伝えしなければならないことがあるんだけど」


 中條様はだまって、おれを見ると、水を含ませた手ぬぐいをおれの顔に押し付けた。熱くなった顔面が冷やされる。


「残念だが、早馬として走ることはできまい。左の太ももに矢が深く突き刺さり、肉のすじが断ち切られていた。歩くのは鍛錬たんれん次第しだいでなんとかなろう。軽く走るくらいであれば、できるやもしれぬ。だが、今までのように早馬として、一里(四キロ)を一跳びすることはできないだろう」


 最悪の結果だ。しぼられた手ぬぐいがあっという間に濡れそぼる。喉から嗚咽が込み上げた。中條様はなにも言わず、立ち上がり、どこかに行ってしまった。


 突き付けられた現実に、おいおいと泣いていても、だれもなにも言わない。


 どれくらい時間が経っただろうか。手ぬぐいを外すと夕焼けの光が廃屋に差し込んでいた。いつの間にか、周囲に横たわっていた兵たちは半分に減っている。おれは頭元のぼんに置かれた湯呑ゆのみをつかみ、喉に流し込んだ。ただの白湯だと思っていたら、しぶみのある薬湯で、思わず咳きこむ。


 両足はまだ動く素振りもなかったが、しりを使って重い腰をあげる。体がきしむたびに痛みがつのる。


「腹が減ったろう。食べなさい」


 別の兵の手当てをしていた中條様から声がかかる。盆の上には欠けたわんが置かれていた。椀に入っているのは雑穀ざっこくかゆだ。右手で体を支えなくてはならず、左手で椀をつかんで流し込む。冷えて味も薄く、粥はおいしいとは言えない。しかし、空腹だった体はには米が入るだけでありがたかった。腹が満たされると、いくさからどれくらい経ったのかが気になった。


「中條様、今は何月何日なんです?」

えいろく三年五月二十三日だ。おけ狭間はざまで織田方と今川方が戦ったのは、十九日であるから、すでに四日ほどは経っている」

「して、戦の勝敗は……」

「織田方の勝利よ。すでに清州きよす凱旋がいせんしている。そなたの軍もすでにさとに戻っておろう」


 おれは胸をなで下ろした。勝っているのであれば、おやじも弟の末一も無事に違いない。


「おれはいつになったら郷に戻れるんですか」

「傷が完全に閉じるまでになろう。血も増やさなければなるまい。少なくともあと七日は養生ようじょうが必要だ」

「七日? そんなにも待てません。もっと早く帰らねば、家族が飢えてしまう」


 思いがけないほどに長い時間を求められ、おれはあらがった。しかし、中條様は鬼のような形相で、おれをにらみつける。


「傷が閉じる前に土に転げるなどしてみろ。傷から瞬く間に毒素が入り込み、生死をさまようことになるぞ」


 がんとしてゆずる気配のない中條様に、おれはらちがあかないと思い直す。恐らく、養生は絶対必要なのだ。


「で…では、文を送らせてくださいませ。おれの安否を伝えたい家族がいます」


 中條様はいぶかしげな表情をした。大方、文字が書けるのかという話だろう。当たり前だ。おれのようないやしい者はほとんどが文字を知らない。


「文字が書けるのか」

「片仮名であれば。早馬には必要ですので」


 早馬だったおやじも片仮名であれば読める。文を送れば、おれが今動けないことを理解してもらえるだろう。


 中條様は懐から短い木簡と筆、墨を取り出すと、おれの前に置いた。そして、墨をすると筆の先を墨汁にひたし、おれに筆を手渡した。


 おれはきしむ体を左手で支え、右手で筆をにぎった。


『タツミ ヤキズアリ サトカエルマデ トオカ マチタマヘ』


 少々不格好で、木簡からはみ出てしまっている文字もあるが、なんとか読めるだろう。七日養生し、この足で休み休み帰るとなれば、十日はかかるに違いない。


「書けたのなら預かろう。銭を渡せば、村の者が届けてくれる」


 中條様に木簡を渡すと、おれはごろりと横になった。手で上半身を支えるのは正直しんどい。体はまだ休みたいと思っていたのだろう。いつのまにか、おれは意識を手放していた。

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