金創医見習い

 ――たつみ、たつみ。


 懐かしい声がして、おれは目を覚ます。目の前には、幼いころに亡くなったおふくろの姿があった。彼女の乱れた髪の毛がはらりと額にたれる。細かい汗のつぶが浮かび、薄汚れた白い着物は肌に張り付いていた。


 あぁ、このときの夢か。


「おかぁ……」


 幼い声が口からつむぎ出される。夢だから、記憶を追っているのだろう。

 真っ赤な顔をしたおふくろは、引きつるくちびるでほほえんだ。


「もうすぐ産まれるから、ねえ」


 おふくろの顔がみるみるうちに顔がゆがむ。彼女はくちびるを一文字に結ぶと、天井からり下がる太い手綱たづなを握り締めた。うなり声とともに、取り上げババの「息を吐きゃーよー。いきむと赤様が生まれる時にホトが切れるでねー」と合いの手が入る。


「おかぁ、もうすぐだよぅ」


 熱い息遣いきづかいとともに、おふくろの眉間みけんがゆるむ。


 「ふみゃ…」と安らかな小声が、おふくろのホトから聞こえた。幼いおれは、取り上げババの腕のすき間から、恐る恐るホトをのぞき見る。ホトには赤子の頭がはさまっていた。頭は伸びて、化け物のようだ。


「ババ様、赤様の頭が伸びてる」

「産まれたばかりの赤様の頭は伸びているもんだわ。さあさ、どうも外にお迎えするよ」


 取り上げババが、赤子がホトの間で回るのを手助けすると、ずるりと体が出てきた。体を動かせるようになった赤子はうごうごと動く。


「産まれたでねー。安心しなね。元気な男子おのこだで」


 取り上げババは手早くへその緒を糸でくくると、はさみでじょきじょきと切り離す。そのまま赤子をうぶ湯女ゆおんなに手渡すと、おふくろに向かい合う。


「今から胞衣えな胎盤たいばんなど)を取り出すでね。楽にしときゃーよー」


 おふくろの下腹を押さえながら、ゆっくりとへその緒をひっぱった。ごぽりとなにかがあふれ出る音がして、一瞬ののちに、布団に真っ赤に染まった。おれは喉がえずくのを感じた。


 取り上げババは険しい表情ののち、静かに話しかけてくる。


「走って、おやじ殿を呼んできな」


 おれは、ぱっと立ち上がった。


「……たつみ」


 弱弱しいおふくろの言葉が飛び込んでくる。おれはおふくろのそばに、駆け寄った。


「おかぁ、待っててな。おとぅを呼んでくるから」

「たつみは……」


 このときおふくろはなんて言ったっけ。何度夢に見ても、声が聞こえず、思い出すことはない。


 おふくろは震える手で、おれの肩を押した。おれは倒れかけながら、立ち上がると。うぶ小屋ごやを飛び出した。産小屋と家は離れており、走っても幾ばくか、かかる。土砂降りの中、ぬかるんだ地面に足をとらわれながら、おれは走った。


 村にある大きな池のそばに斜めに傾いたあばら家が、ぽつんと立っていた。しかし、め切られており、人の気配はない。周囲を見わたすと、池のへびがみ様のおやしろに、男が立っていた。精気せいきに満ちあふれていたころのおやじだ。おれは手をばした。


 ――おとぅ、おかぁが……!


 空を切った手の先にあったのは、記憶とは違う、ざらついた衣の感触だった。




 夢の中特有のかすみが消え、現実に引き戻される。背中の痛みがぶり返した。微かに目を開ければ、うつ伏せになって眠りこけていたようだ。


 そこは見たことのないあばら家で、傷ついた兵たちが寝そべっていた。起き上っている男たちはみな、兵の手当てをしている。おれが伸ばした手がつかんでいたのは、隣で別の兵の手当てをしている男の着物だった。男たちは髪を後頭部で束ねているが、頭頂をそり落としていない様子から、武士や兵でないことが見て取れる。隣にいた男はちらりとおれを流し見て、「私はそなたのおとぅではない」とつぶやいた。おれは慌てて、右手につかんだ着物をほどく。


「おまえさんはだれだい? ここはどこだ」


 おれの問いに、男はあからさまなため息をつく。


「命を救われておいて、礼のひとつも言えぬのか。人の名をたずねる前に、まずは自ら名乗るのが必定ひつじょうであろう」


 おれはムッとしながら、ぶっきらぼうに、あいさつをした。


「おれの名は辰巳。尾張国春日井郡比良の者だ。して、おまえさんらは、どちら様なんだい? ここはどこだ」


 男はせていた頭を上げると、おれを凝視ぎょうしした。にごりのない目が、おれの目を真っすぐに見つめてくる。


「私は“キンソウイ”見習いの中條志郎なかじょうしろうと申す。京から参った。ここは有松にある廃屋はいおくだ」

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