死屍累々
「みなの者、手を止めさせて済まぬ。比良から来た者たちは、二つの部隊に分けることになった。一つは兄上の軍に合流する。残るはこの砦に残り、主君がいらっしゃるのを待つ。……早馬については、兄上の軍に合流し、なにかあれば、砦に連絡を」
若殿様はおれをちらりと見て、軽くうなずいた。
「はっ」おれは再び
「みな、生きて
若殿様の顔を見ていなくともわかった。いや、顔を見ていなかったからこそ、わかったのかもしれない。その声には、かすかに諦めの色がにじんでいた。馬がきびすを返し、さっそうと立ち去っていく。若殿様の残り
この戦、変だ……。
背中を冷たい汗がにじむ。おれはあわてて、心の中で頭をふった。
おれの勘違いに違いない。不安になり、余計なことを考えてしまっただけだろう。
「
考えている間に物事は進んでいく。井上のじいさんが、若殿様の家臣から命を受け、先発隊と後発隊のふたつに分けた。おれと同じくらいの若者たちもふたつに分けられている。
思案にひたっていたおれは、慌てて井上殿の元へ向かう。周囲を見渡すと、矢次郎が先発隊に配属されていた。
ほら貝の大きく低いひびきがそばから聞こえてくる。
中島砦から出た三百人ほどの兵を、晴天が迎え入れる。
隣を歩く者とも話せないわけではないが、だれも口を開かない。口を一文字に結び、目をぎらりとたぎらせて、周囲を見渡している。いつ、どこから敵の矢が降ってくるかわからないからだ。
街道である
頭上を一羽の鳥が横切った。
「敵襲だあああ――!」
引きつるような
目を凝らすと、前方に大軍が押し寄せていた。おれは今までこんな大軍を見たことがない。黒光りした
刀がかち合う音は悲鳴へと取って代わる。血しぶきが周囲にまみれ、大地を汚していった。
おれは駆け出していた。味方の命が奪われそうになる前に、敵兵の背に、刀を突きたてる。
すぐ後ろで聞いたことのある声の悲鳴が耳に届く。
「矢次郎!」
振り向けば、敵の兵に押さえつけられ、首を切り落とされそうな矢次郎を見つけた。おれは無我夢中で駆け寄ると、敵の首に刀をかけた。あふれる血と絶えゆく命を気にしているゆとりはなかった。矢次郎がなにか言っていたが、おれの耳には届かない。
やらなければ、やられてしまう。襲いかかってくる敵兵に、刀を振り回して、切り付けた。返り血で顔を生あたたかいものでまみれる。
長く感じていた時間も、ついぞ終わりを迎えた。血塗られた手が滑り、刀がすっぽ抜ける。
「辰巳、なにをやっている! 走れ!」
またたきの間、矢次郎の声と目の前で振り上げられる刀をとらえるのが同時だった。おれは反射的に、後ろに飛びすさる。地面に転がった死体に、振り下ろされた敵の刀が食い込んだ。おれは刀が抜かれる前に、背を向け、走り出した。
敵味方の死体が転がり、これぞまさに
――織田方の早馬だ! 切り捨てよ!
――早馬しか追いつけぬ。
――早馬じゃ!
そんな言葉が風に包まれて飛んでくる。おれは奥歯を噛み締めて、足がちぎれそうになるくらい、足を蹴りだした。
そう遠くないところに中島砦の旗が見える。
もうすぐだ。あそこまで行けば、おれは生き残れる。呼吸を整えることもなく、足場の悪い中走って、息も絶え絶えになりながら、必死に手を伸ばす。
ヒュンと羽が風を切った。
鈍い音がして、激痛が太ももに宿る。次の瞬間、背中に何本もの矢が突きささった。足からくずれ落ちていく体を支えるすべはない。
いつのまにか黒い雲が空を覆い隠していた。ぽつりぽつりと雨つぶが落ち、間もなくしてどしゃぶりとなる。叩きつけるような雨は、黒くなった返り血も、背から流れた赤い血も洗い流していった。
おれは死ぬのか?
体中が冷たくなり、
「死に、たくない」
おれはまだ、
かすむ景色を求めながら、おれはただ、願った。
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