叱咤激励

 馬と馬の間から、やぐらが見えた。おれたちを迎える、丸に四つの細葉が描かれた家紋の旗が櫓に掲げられている。家紋の名前はわからないが、味方の家紋は絵で覚えている。おれは絵柄を覚えるのはうまいんだ。記憶力がいいのも、早馬には必要な能力といえる。どこのだれに、なにを伝えなくてはならないかは、どんなことが起こったとしても、忘れちゃいけないからだ。


 騎馬が前に進み始めた。砦への入場はいつも胸がざわめく。違う土地の者と関わる機会が多いから、いつもだれかしらから絡まれるし、そばでケンカが起きることもある。戦前はみんな神経がいきり立っているんだ。


 馬に乗っていたお偉方は屋敷の方に進んでいく。おれたち歩兵はき抜けの板の間で休みを取る。いつものことだった。


 馬の姿が見えなくなると、後ろでどさりと音がした。振り向くと案の定、ひざをついたり、やりに寄りかかったりしている。熱田神宮から半刻(一時間)ほどで中島砦までやってきたのだ。歩いてきたならば、一刻(二時間)かかる。お偉い方々が着ているうるわしいよろいではなくとも、鎧は動きを鈍くするものだ。だが、殺されないためにも、大切なものだから、重いのは仕方がない。


 歩兵の頭には、黒光りしたかさが被せられている。そして、どうには殿様の蔵から貸し出される、すね当てや胴当てで体を守っていた。どんな者でも着ることができるよう、大きめに作られているので、おれには少し大きい。


 戦前いくさまえはどんなに疲れていても鎧を脱ぐことはできない。いつ出発するのかもわからないからだ。鎧が脱げるのは、戦が終わった後か、怪我をして手当を受けるときだ。戦は褒美もとんでもないが、その分、生きて帰れるかどうか……。もちろん、おれはこの速い足で、なんとか逃げて帰るつもりだけど。


 おれのふくらはぎには、硬いすね当ての代わりに、柔らかく頑丈な動物の皮でできた、早馬用のすね当てを巻いている。みなと同じような硬いすね当てをしたまま、走るのは厳しい。それでも、足は鈍いだるさをまとっていた。おれは縁側に腰を下ろすと、すね当ての上から、やや張りかけたふくらはぎを優しく揉んだ。


 しばらく経ったころだろうか、「よう」と図太い声が後ろからひびく。後ろを振り向かなくても、だれが話しかけているかくらいは、容易にわかる。同じ村に住む矢次郎だ。がっしりとした体つきで、若者の中では一番の力持ちである。


「今回も参加しているのか、矢次郎」


 おれはぶっきらぼうにたずねた。互いの初陣ういじんは、前の夏ごろの戦で、今回が二度目の参加だ。初陣が同じ戦だったからか、こいつはやけに絡んでくることが多い。


「こんな大戦、参加しない手があらすか。大戦には何度も出て、手柄を立てて、おっかあたちを楽させてやりてえと思うもんだに」


 矢次郎はおれの許しも得ずに、どかりと隣に腰かける。歩兵の中でも少しだけ上等な鎧が音を立てて重なり合った。


「おやじさんは、元気か?」

「ああ」

稲生いのうの戦いで、足をやってしまったと聞いたもんで」

「そうだな」

「そんであれば、そろそろ腰を落ち着けたほうがいいんでないか」


 特に話すこともないので、適当てきとうにあいづちを打っていたが、この問いには思わず口を閉じる。十四にもなれば、そろそろ縁談えんだんい込んでもおかしくはない。先行きが不安な三人での生活ではなく、助けてくれる者と結ばれれば、きっと生活は楽になるだろう。しかし、縁談にも男にも興味がわかなかった。それよりも、戦で早馬としての功名こうみょうを立てることしか頭にない。


「だれかと縁を結ぶより、おれは走っていたいから」


 握り飯が配られていることを目の端にとらえ、おれは立ち上がった。握り飯は湯気が出ているほどに熱々で、塩のしょっぱさが疲れた体にしみわたる。これぞ、まさしく生き返るようだ。


 二、三個握り飯をほおばると、体のすみずみまで力がみなぎってくるのを感じた。井戸に寄って、腰にぶらさげたひょうたんに水をくむ。


 一口、二口と水を飲みほしたころ、ぶおう、ぶおう、ぶおうと、ほら貝の音が周囲にひびきわたった。


 出陣の時間だ。


 おれは、周りの者たちと一緒に、庭先で殿様方の登場を待った。馬のひづめの音が軽快に聞こえてくる。太陽の光に照らされて、きらめくよろいに身を包んだ、殿様方が馬に乗って、おれたちの前に立った。


 二人の大殿様の後ろで、比良の若殿様が、存在を消して立っている。この軍を率いているのは、井関の殿様と千秋の殿様なので、お二人を立てていらっしゃるのだろう。かっぷくの良い温厚な男が井関の殿様で、その隣に立っている若武者が千秋の殿様に違いない。


 井関の殿様が口を開いた。


「みなの者! 我らが主君、織田おだの三郎さぶろうぎみより早馬である。『ぜん照寺しょうじとりでに到着せり』、我らは殿の道を作るべく、敵の本陣へと向かう!」


 重く鳴りひびいた叱咤しった激励げきれいがおれたちの心を奮い立たせ、疲れを霧散むさんさせた。体中に鳥肌が立ち、思わず、こぶしを振り上げる。


「「「えい、えい、おう」」」


 うなる声が空気をふるわせた。全身に血がわきたち、今すぐにでも戦場に出たくなってしまう。


「それぞれ持ち場につけ。出発するぞ!」


 すべての兵が持ち場へと動き出す。ここからは、いつ敵兵と出会うかわからない。


「比良の兵らはどこにいる」


 すずやかな声が背後から聞こえた。近くにいた兵が、声の主を見て頭を下げる。おれはとっさに声の主がだれかをさとり、ふりむいて頭を下げた。


「みなの者、頭を上げてくれ」


 命令に従い、頭を上げれば、りりしい若武者が馬の上から、おれたちを見下ろしていた。

 比良の若殿様だ。

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